初めてのことに緊張や戸惑いはつきもの。期待に胸を膨らませて臨んだものの、想定外のハプニングに見舞われて大失態を犯してしまうことも。そんな初々しい体験を芸人たちに振り返ってもらおうと、この企画では「芸人が綴る初単独メモリーズ」と題して「初単独ライブ」にフォーカスする。ほろ苦くも忘れられない彼らの記憶を覗いてみたい。
連載1回目に登場するのは
文
初単独と私
ゾフィーとして初めての単独ライブを開催したのは、2016年3月19日。タイトルは「悪魔にパンを投げろ!」。事務所の先輩である永野さんからは「悪パン」と悪意を持って略されています。なぜこのようなタイトルにしたかというと、当時テレビで知ったフィリピンのことわざ「石を投げられたら、パンを投げ返せ」にとっても感銘を受けたからです。「もしも石をぶつけられたら、パンなら柔らかいからいくつぶん投げても大丈夫!」私はそう解釈し、むかついたらパンを投げれば、ストレス解消にもなるし、相手も怪我しないし、確かに復讐としては最高だよねなんて、はたと膝を打っていましたが、後日「相手が悪意を持って攻撃してきても善意で返しなさい」という本来の崇高な意味を知り、愕然とした記憶があります。
そんなろくでもない人間が作ったはじめての単独ライブ。披露したコントは麻薬とか詐欺とか事故とか病気とかそんなんばっかり。他にも「1日501善という目標を掲げて善行をカウンターで計測し続ける警察官」とか「透明人間の薬を開発したものの、実は社会的なメリットが何もないことに気付いて、国民からただのスケベ扱いされてしまう博士」とか。「あの頃はテレビとか考えずに好き勝手やってましたね。思い出すとなんだか恥ずかしいです」なんて足組んで過去を振り返ろうと思っていたけど、ちゃんと思い出してちゃんと全部面白かった。全部好き。年齢を重ねても全然丸くなんない。最悪です。このままじゃ人間の業に手を叩いて爆笑するような老人になってしまうことでしょう。ご近所の俳句仲間に「上田さんのは面白いとか面白くないとかじゃなくて、単純に不愉快」なんて言われちゃうことでしょう。ああ、嫌な晩年。
あとは「幕間コント」ってのもやりました。通常、単独ライブでは、コントとコントの間を幕間映像でつないで、その間に次の舞台や衣装を準備するという段取りになっています。しかし私は、舞台でやりたいコントがあまりにもあふれてしまったため、すでに作っていた映像コントを削って、コントとコントの間をコントでつなぐことにしたのです。これが幕間コントです。しかし本番当日、リハーサルの段階でふと気がつきました。「え? ちょま、着替えるヒマなくない?」私は初単独の興奮で完全にバカになっていたし、相方は普通に完全なバカなので、誰もがまったく気付かなかったのです。本番まであと3時間。「こういう時こそ冷静であれ」必死に自分に言い聞かせ、合理的で最適な方法を探りました。そしてなんとか絞り出した答え、それは「全部のネタのはじまりをダッシュで登場にして、全部ネタの終わりをダッシュで退場にする」という作戦。とにかくマジすげえ急いで楽屋に戻って、マジ秒で着替えて、ほんでマジ全力で舞台に飛びこむ。なんてったって初単独。めちゃくちゃテンパってこんな解決方法しか思いつきませんでした。てなわけで、コントの世界観を、裏から聞こえるてんやわんやサウンドでぶっ壊す形となったのです。無念。
最後に。実はこの単独ライブには父さんが来てくれていました。父は当時、高校の野球部の監督でした。息子に野球をやらせたかったはずの父。その父の目の前で、息子がお笑い芸人として、人前に立っている。一緒にライブを見ていた父の友人の話によると、どうも父はひっそりと泣いていたそうです。そっか。父さんとしてはいろいろと胸中複雑なんだろうなぁ。なんて思って詳しく聞いてみると、父は野球部のコントで私がユニフォームを着ていたことに感動して泣いていたそうです。なんじゃそりゃ? そこ? おい父さん、てかあれ、詐欺のコントだぞ?
上田航平(ウエダコウヘイ)
1984年12月17日生まれ、神奈川県出身。大学卒業後に劇団を主宰し、コンビ・チェルシーとして活動したのち2014年に相方のサイトウナオキとゾフィーを結成した。結成当初から3年連続「キングオブコント」準決勝に進出。2017年、2019年には決勝進出を果たしている。「伊集院光とらじおと」(TBSラジオ)ではレポーターを担当。「シャキーン!」(NHK Eテレ)のコントコーナー「旬ハウス」にコンビで出演中。グレープカンパニー所属。
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大槻モヨ子 @lolita884
上田さん、文章も良いな。
ゾフィー上田「ちゃんと思い出してちゃんと全部好き」 | 芸人が綴る初単独メモリーズ Vol.1 - お笑いナタリー https://t.co/7flRu9ywgH