自分に対する勝手な偏見を求めてる
──さっきの「ポップス」の話にもつながるんですけど、そうやって作った「新しいからだ」を、作品として他者に提示するということは、諭吉さんにとってはどういうことなのですか?
……私って本当に自分のために音楽を作っているんですよ。
──はい。
今はそれがたまたま他の人にも見てもらえる状態になっているんですけど、それと同時に、私が音楽を作るときって「自分は人にどういう人間と思われたいか?」という部分をすごく意識しているような気がするんです。例えば「ムーヴ」を作ったときは、「ムーヴ」みたいな曲を作る人だと思われたいから、こういう曲を作ったんだと思う。(自分がはめている指輪を指さして)この指輪は自分で作ったんですけど、私にとっては音楽もこの指輪と同じようなものなんです。
──ある種の装飾品というか。
私は、自分を見せるため、自分を着飾るために音楽を作っている。こういう言い方をすると「嫌だな」と思う人もいるかもしれないけど、自分は本当に自己中心的な発想で音楽を作っているような気がします。「諭吉佳作/menって、こういうものを作って提示している人なんだ」と誰かに思われることで、私のやりたいことは達成されるっていう。
──見られたり、触れられたり、知覚されたりすることで、自分の体や存在は成り立つ。そういう認識が諭吉さんの根底にあるんですよね。そこに対して自覚的であることって、当たり前のようで、すごく特別なことだと思いますね。
自分にそういう感覚があるのは、やっぱりすごく自覚していて。例えば、何かを考えたり思ったりしたときに、私はそれをTwitterやブログで1回形にして「見られる」という状態にしないと、それが自分の考えとして確立された感じがしないんです。それをみんなが見るかどうかは自分で決められることではないのでわからないんですけど、でも、自分はそう思っていて。これって、もしかしたら危険な考え方かもしれないなとも思うんです。SNSが発達した時代で、「見られる」ことが前提の世の中だからこういう発想になっちゃっているのかもしれないし、あまり正常ではないのかもしれないけど。
──なるほど。
私、根本的にはすごく人にチヤホヤされたいのかもしれなくて(笑)。小さい頃、なんでもいいから芸能人になりたかった時期があったんです。今もそうと言えばそうなんですけど。「え、そういうタイプなの?」と言われるかもしれないけど、そうなんです。私は、見られることは得意じゃないのに、見られたい。自分が見られて、認識されて、勝手に想像される……そういうことをすごくされたがっているんですよね。例えば、「諭吉はめちゃくちゃ性格が悪いから嫌い」と勝手に思われたら嫌ですけど、自分に対する勝手な偏見みたいなものは、すごく求めている感じがする……なぜかはわからないんですけど。その方法が、今は音楽なんですよね。もちろん、音楽が好きだから選んでいるんですけど、ほかにも好きなものがあれば、それをやりたくなっちゃうだろうし、それで見られたくなるだろうし。「人を元気にしたい」とかじゃなくて、ただただ安易に「芸能人になりたい」と思うような発想が根本にあるからこそ、人に見られて、認識されることをすごく望んでいるのかもしれないです。
社会性ってなんだろう?
──諭吉さんがそう考える根底にあるものって、言葉にすると重く受け取られすぎてしまうかもしれないけど、存在不安みたいなものもあるんでしょうかね?
あっ、それはあるかもしれないです。私は学校生活がうまくいかなくて不安定な時期もあったりしたし。芸能人にはそれ以前からなりたかったんですけど(笑)。でも、根底に不安があるからこそ、「人に認識されたい」という欲求がより大きくなった部分はあるんじゃないかと思います。
──今の話を聞いて思うんですけど、僕は諭吉さんの存在にすごく「社会性」を感じるんですよね。それは諭吉さんが社会にうまく馴染んでいるとか、「空気が読める」とかそういう話ではなく、諭吉さんという存在自体が内包するさまざまな位相やコミュニケーションを感じる、ということでもあるんですけど。乱暴にぶん投げてしまうと(笑)、「社会性」と言われてどうですか?
……私に社会性は、限りなくないと思います(笑)。
──(笑)。
難しいですけどね。「社会性ってなんだろう?」って考えたら、わからないし。こうやって取材で、別に仲良しの間柄ではない人間同士でしゃべっていて、何か不具合が生じているかといったら、生じていないとは思いたいんですけど……。
──生じてないです。
でも、学校とかのフィールドになると、私は本当にダメで。大丈夫だったときもあるんですけど、ある時期から本当にダメになってしまって。自分は人と関わるのはすごく苦手だし、友達もできないし……。今の私が知っている社会って、学校とこういう仕事場だけなんですけど、学校を自分の社会だと仮定すると、本当に自分は社会に向いていないなと思います。自分と同じような人もどこかにいるのかもしれないですけど、そういう人ともそう簡単には出会わないなと思うし。「友達いつできるんだろう?」って不安です(笑)。
私は本当に利己的にやっている
──でも、この先、諭吉さんという存在や諭吉さんが作る作品から広がっていく社会というものも、きっとありますよね。コラボ盤である「放るアソート」はその象徴だと思うんですけど。
音楽のコラボに関しては、ありがたいことにお声をかけていただいたり、こちらからお声をかけて承諾していただいたり、本当に楽しい経験ができています。でも、音楽の場所では音楽でしゃべっているから……社会性と言われると、どうなんだろう?(笑)
──わかりました(笑)。何かを伝えようとはしていないようで、しているようで、していない言葉があって、不思議に動き続けるメロディとリズムがあって。そういうものによって構成された音楽が、こうやってCD作品になって確かな質量を持って世界に存在している。その事実があることで生きやすくなる人って、僕は多いんじゃないかと思いますけどね。少なくとも僕は、諭吉さんの音楽がこうやってあることが心地いいです。
誰かを救いたいみたいな気持ちはないんですけど、そうなったらなったで、ありがたいです。私は本当に利己的にやっていると思います。でも、だからこそ、それが「いい」と思ってもらえたら、さらにいいなとは思いますね。