由薫メジャー1stシングル「lullaby」特集|ワンオクToruプロデュース曲が映し出す、変化し続ける次世代SSWの現在地

沖縄出生のシンガーソングライター・由薫が、映画「バスカヴィル家の犬 シャーロック劇場版」の主題歌を表題曲として収録したシングル「lullaby」をリリースした。

2000年生まれの彼女は昨年11月に、3カ月連続デジタルシングルリリースの第1弾となる「Fish」でデビュー。今年2月にそれらをまとめた1st EP「Reveal」を発表すると、そのハスキーかつ優しい歌声が早耳の音楽リスナーの間で話題となった。メジャー第1弾シングルとなる「lullaby」はONE OK ROCKのToruがプロデュースを手がけた楽曲で、等身大の彼女の魅力が詰まった「Reveal」の楽曲たちから一転、映画の世界観に寄り添う美しく壮大なアレンジが印象に残る。またToruのディレクションによって、由薫の持つ新たな魅力が引き出されているのも聴きどころの1つだ。

幼い頃から海外を転々としていたこともあり、物事を常に客観的に観察するようになったと今回のインタビューで明かしてくれた由薫。それが彼女の生き方やクリエイティビティにどのような影響を与えてきたのだろうか。1つひとつ言葉を選びながら、丁寧に語ってくれた。

取材・文 / 黒田隆憲撮影 / 星野耕作

驚きを通り越して信じられない

──まずは映画「バスカヴィル家の犬 シャーロック劇場版」の主題歌「lullaby」を歌うことが決まった心境をお聞かせください。

決まったのは1年以上前で、当時からよく「プレッシャーを感じますか?」と聞かれるのですが、まさか自分が映画の主題歌を歌うなんて想像もしていなかったので、まったく実感が湧かなかったんです。ライブハウスで日々弾き語りのライブをしていた自分には、驚きを通り越して信じられないような思いでいっぱいでした。

──「lullaby」はONE OK ROCKのToruさんが書き下ろした楽曲ですが、デモを聴いたときどのように感じましたか?

映画そのものがとても壮大な内容だったので、その世界観に合った楽曲を作られるのは大変だったと思うのですが、デモを聴いた時点で素晴らしい楽曲になると確信しました。しかもToruさんは、私と膝を突き合わせながらどんな曲が映画に合うのか試行錯誤しながら制作してくださって、アレンジがどんどんブラッシュアップされていくのが楽しかったです。

──Toruさんからは歌について何か具体的なアドバイスはありましたか?

Toruさんに言われて一番印象的だったのは、自分の声についてのことでした。あまりレコーディングの回数も重ねていない中、自分の声のどういう部分がほかの人によく聞こえるのか、どういう発声をすればより効果的なのかなどを一緒に発見してくださって。「由薫の声って、実は低音が魅力なんじゃない?」みたいに具体的なヒントをもらうことで、自分の中の知らなかった部分に出会っていくような体験もしました。

──これまではシンガーソングライターとして等身大の歌詞を歌うことが多かったと思うのですが、今回のように映画の世界観に寄り添いながら歌詞を書いたり歌ったりしてみてどうでしたか?

もともと映画がすごく好きだったので、映画を観てそこからさらに自分の視点を加えていくという一連の流れにすごくワクワクしました。自分だけの世界観を楽曲に投影していくのではなく、映画から何を汲み取って、自分が映画のどの部分を曲にしたいのか。そこに制約や不自由さを感じる人もいるかもしれないですけど、私にとってはむしろ自由で楽しい作業でした。何より、大好きな映画に主題歌で携われることがうれしかったです。

由薫

アイデンティティが形成されたスイスでの日々

──沖縄で生まれた由薫さんは、2歳でアメリカに移住して3年過ごしたのちに金沢で1年過ごし、スイスで6歳から9歳まで暮らしていたと聞きました。ご自身の最初の記憶はどのようなものですか?

やっぱりスイスが最初の記憶なんじゃないかなと思います。3年住んでいたのですが、田舎だったので大体同じような景色が広がっていて、今でもふと思い出すことがありますね。家の近くにあった湖や山……日本の田舎もすごく好きなのですが、スイスの田舎はそれとは少し違う。もちろん、昔の記憶なので美化されている部分はあるけど、それも含めて記憶の中にあるスイスは1つのユートピアだなと思います。

──別のインタビューでは、スイスでの日々が由薫さんのアイデンティティを形成したとおっしゃっていました。

スイスではインターナショナルスクールに通っていたのですが、英語という共通言語こそあれ人種も年代も本当にバラバラだったんです。それぞれ母国語を持ち、まったく違うバックグラウンドを持っているから、“平均”がないんです。自分がどれだけ変でも、みんなも個性的だから伸び伸びしていられる(笑)。そこで数年間を過ごせたことが、自分のアイデンティティ形成にはものすごく大きな影響があったと思います。

──その頃から音楽は好きでした?

好きでしたね。スイスにいた頃は車移動が多くて、両親が持っているCDをずっと車の中で聴いていました。あと学校の音楽室が屋根裏にあって、部屋の隅に楽器がたくさん置いてあったんです。その中からそれぞれ気に入った楽器を選び、クッションソファに座って合奏していました。そうやって、音楽に対して自由な感覚で向き合えたのは大きかったと思います。そこで私が選んでいたのはトライアングルや木琴など、簡単な楽器ばかりでしたが(笑)。担任の先生も、ギターを弾きながら帰りの会をやったりしていて、とにかく自由な校風でした。

由薫

──それだと日本に戻ってきたときは、相当カルチャーショックを受けたでしょうね。

自分にとってはスイスでの生活が基準になっていたので、日本文化を異文化として観察しているようなところがありましたし、慣れるまではものすごく大変な思いをしましたね。最初の登校日、まだランドセルを持っていなかったのでエコバッグを肩に提げて学校へ行ったら、先生にめちゃくちゃ怒られたんですよ。「それって、そんなに大事なこと?」と当時は思いましたが、今となってみれば先生も怖かったんだと思います。たくさんの生徒を管理しなきゃいけない立場だし、とにかく人に合わせられない、私みたいにマイペースな人間は管理しづらいですから。でも、当時はなぜ怒られているのかまったくわからなかったし本当につらかったです。先生だけでなく、クラスメイトとの関わり方もまったくわからなくて。まずは自分から変わらなきゃいけないと思って、いろいろ観察するようになりましたね。

──観察、ですか。

どうやら日本には上下関係があるな、とか。この子がピラミッドの頂点にいる理由はなんだろう?とか。この子はこういうことをするとすごく嫌がるけど、こういうことには喜ぶんだな、みたいに観察していました。今考えるとちょっと気持ち悪いと思いますが……(笑)。そうやって観察することによって、ちょっとずつ自分を日本文化の中にフィットさせていきましたね。「ありのままの自分」は、心の中に押し込んで生活していたと思います。

テイラー・スウィフトへの憧れ

──本格的に音楽を始めたのは、15歳の頃にお父さんにアコギを買ってもらったことがきっかけだったとか。

たまたま入った楽器屋さんに中古のギターがたくさん置いてあって、その中の1つに父が反応したんです。「いいものなのに安い!」って。ちょうどその頃私はテイラー・スウィフトに憧れていたので、買ってもらいました。テイラー・スウィフトは、私の年代がドンピシャで、逆に彼女の曲を聴かないほうが少数派という感じだったんですよね。カントリーミュージックからもっとポップな路線になっていくあたりから聴いていたのですが、歌詞に共感したり楽しい気持ちになったりしていました。そこからギターを持って歌う女性のシンガーソングライターをYouTubeで掘ってよく聴いていました。

由薫

──そこからはギターにのめり込んでいったわけですね。

はい。当時習っていたピアノはレッスンにまったく身が入らなかったんですけど、ギターには夢中になりました。ピアノって、持ち運びができないからそこでしか弾けないじゃないですか。でもギターはいつでもどこでも、自分が弾きたいと思ったときに自由に弾けるところが気に入ったのだと思います。

──ギターはどうやって練習したのですか?

とりあえず簡単な曲からカバーしつつ、少しずつレパートリーを増やしていきました。YouTubeにギターの解説動画がたくさん上がっているので、わからないときはそれを参考にしていた時期もありましたね。ギター教室などに通っていたわけではないので、上達するまでものすごく時間がかかりましたけど。