マジで“アンビバレンス人生”って感じ
──Young Keeさんが曲作りを始めたのはどのタイミングだったんですか?
高校時代に軽音楽部でバンドを組んだときですね。中学3年生くらいまでは、クリスティーナ・アギレラやアリアナ・グランデ、マイリー・サイラスのような洋楽のポップシーンの真ん中にいる人たちばかりを聴いていたんです。でも、そのあとに大きな出会いがあって。僕には2つ離れている兄がいるんですけど、その兄からお下がりをもらうような感じでアニメや服のことも教えてもらっていて、その兄に初めて音楽でレコメンドされたのが、米津玄師さんの「YANKEE」というアルバムでした。昔、音楽を聴く小さいプレイヤーがありませんでした?
──ありましたね。MP3プレイヤー的な。
音源が入った状態のプレイヤーを兄がそのままくれたんですよね。当時、四六時中音楽を聴いていたんですけど、兄の好みで作られたプレイリストを聴いて、どんどん日本の音楽が好きになって。そこから女王蜂さんのライブ映像やインタビューをインターネットで見たりすることも増えました。僕はずっと海外に夢を見ていたけど、「日本でも極めている人は自分を異世界に飛ばしてくれるんだ」と思ったんです。日本語の歌詞がメロディと一緒にスッと頭の中に入ってくることの魅力も感じたし、日本人だからこそ共感できるものがあることも知った。そういう部分にコミットしていくうちに、絵やファッションの道にも進みたいと思っていたんですけど、1個に絞ろうと思って、中学3年生の頃には軽音楽部がある高校に進もうと決めていました。
──初めて作った曲のことは覚えていますか?
覚えていないです。でも、フラストレーションを叫び散らかすようなライブをしていました。同級生とギャーギャー騒いで、「ヤバかったね!」みたいな。徐々に人に見せるものとして成長はしていきましたけど、最初の頃はギャーッとやって、「ヤバい! 爆発したね!」で終わっていました(笑)。
──それくらい、当時はフラストレーションを感じていたということですね。
傷付きたくないけど傷付きたいし、人のことを愛したくないけど愛したい、みたいな、そういう感覚がずっとあるんですよね。ずっとわかっていたんですけど、「ああ、やっぱり僕は普通に生きることはできないんだ」と思っていました。
──「無敵」の歌詞に「アンビバレンス」という言葉が出てきますけど、まさにYoung Keeさんを言い表している言葉ですよね。
そうですね、完全にアンビバレンスです。本当は傷付きたくないし自分を守っていたいのに、それじゃ退屈だし、自分の成長にもならない。だから刺激を求めちゃうし、人をもっと知ろうと思ってしまう。そういうところはマジで“アンビバレンス人生”って感じです。矛盾しまくっています。
──ご自身のアンビバレントな性格や「普通に生きることができない」という感覚に対して、中高生の頃は、どのように向き合っていたのでしょうか?
高校生くらいの頃までは完全には受け入れられていなかったと思います。まず学校という施設で、決められた人数で決められた人間が同じ箱に入れられて過ごすということが僕の肌に合っていなかったんですよね。そこで大切な人にも出会えたけど、自分にとってはすごく狭かった。移動教室とかでも「男と女」みたいな区別があって「自由じゃないな」と感じたし。中学の頃に「学ランを脱ぎたい」と思って、勉強して服装自由の高校に入ったんですけど、それでも僕からしたら全然自由じゃなかった。服装自由というのも、ただそれだけ、みたいな感じ。1つの表現方法を許されただけで、全然自由じゃないなと思っていました。なので、しがらみが剝がれていったのは、大人になってからですね。いろんなクリエイターの人たち……それは音楽をやっている人でも、そうでない人でも、そういう人たちに出会って、「もっと自由に生きていいんだ」と思えた。それまではけっこう長い間、とらわれていた感覚があります。
──初めて作った曲のことは覚えていないということですが、完成して最初に手応えを感じた曲のことは覚えていますか?
基本的に、すべての曲に対して「できたな」と思ったことは一度もないです。自分が納得する作品を出したいとは常に思っているんですけど、「これは100%出せたわ」と満足したことはない。ポップミュージックとなると、歌詞表現が前提としてあるじゃないですか。文字の並びってすごく奥深いと同時に、自分の中にまだ選択肢があまりないんですよね。聴いてくれる人に伝わらなきゃいけないし、難しい言葉ばかり知っていればいいわけではい。その中で自分の感情とマッチする言葉って、なかなかないんです。そういうことを全部クリアして作詞ができたことは一度もないので、今後精度を上げていきたいとは思っています。
──文学もお好きなんですか?
好きですね。ニーチェの考え方が好きだし、三島由紀夫や寺山修司も好きです。江國香織さん、凪良ゆうさんも大好きですね。あと、「シンジケート」(穂村弘の歌集)とか。小さい頃から本を読むのは大好きでした。それも兄の影響なんですよ。
人にはそれぞれ使命があって、僕にとってはただそれが音楽だった
──曲作りはどのように行っているんですか?
“ベッドルーム界隈”のイメージを持たれることもあるんですけど、かなりバンド的に作っていますね。僕は楽器を弾くこともあまりないし、自分の中で楽曲のイメージはできているけど、それをアウトプットする手段があまりないんです。もちろん、今後自分の表現の邪魔になるような部分は努力でなくして、選択肢を増やしていきたいと思っているんですけど。今は岩本岳士さんという、インディーズ時代から一緒にやっているめちゃくちゃ尊敬しているプロデューサーさんとスタジオに入って作っています。僕はメロディと歌詞、あとはイントロやギターソロをたまに考えたりする感じで、基本的には岩本さんと方向性を話し合っていますね。
──岩本さんはロックバンドQUATTROのフロントマンとして知られているお方ですが、どのようにつながったんですか?
僕は軽音楽部の顧問に見守られながら校長室でソニーミュージックの新人開発部と契約したんですけど、そのときに担当してくださっていた新人開発部の方が紹介してくれました。岩本さんとは、ともかく話しまくるんですよね。世間話だけでスタジオの時間が終わっちゃうときもあるくらい。音楽に対してのお互いの思いを伝え合ったり……僕が1人で話しているだけかもしれないけど(笑)、それも理解してくださったり、そういう関係性の中で一緒に曲を作っています。
──音楽をやって生きていくことに対しての決心は、校長室で契約書を交わしたときにはすでにありましたか?
決心みたいなものはそもそもなかったんですよね。周りの人は「すごいね」と言ってくれたし、「本格的に音楽を始めるんだね」とも言ってくれたけど、自分では「いや、もうすでに始まっていたんだけどな」と思っていました。自分の中では、小学3年生のときにクリスティーナ・アギレラ主演のミュージカル「バーレスク」を見たときからもう始まっていたんです。そのときからずっと地続きなんですよね。「音楽で食っていこう」みたいな感覚もなくて。ファンの人や友達、家族やお世話になった人に恩返ししたいという気持ちはあるけど、裏を返すとそれしかない。音楽はただ自分が生きるうえで必要だったもの。今は音楽という自分の人生の一部を、素晴らしい方たちと続けさせてもらっている感じですね。
──お話を聞いていて、Young Keeさんは「自分の人生を生きられている方なんだ」と感じます。「ほかの人がどう動くか」よりも、「自分が何をしたいか」がきっととても大事なんですよね。
そうですね。高校生の頃も勉強はマジで大嫌いだったけど、その代わり自分が面白いと思うことを知りたかった。「スタディだけが勉強じゃない」という感覚がずっとあります。今は自分の気付きを人に還元したり、聴いてくれる人にいい音楽を届けることが、自分が人生でできる一番意味のあることかなと思っていて。「救われてきた」というとクサいけれど、自分が救われてきたような、人に寄り添えるような楽曲を作ることが、自分が存在している意味だと思うんですよね。人にはそれぞれ使命があって、僕にとってはただそれが音楽だっただけ。たまたま自分に合ったことを、好きな人たちとやらせてもらって、聴いてくれるリスナーさんたちに届けられる。この現状に感謝しています。自分は幸運だなと思いますね。
ポップミュージックを楽しむ人生を送りたい
──シングル「無敵」のカップリング曲「ゆめうつつ」は浮遊感のあるサウンドと、どこか生々しさもある歌詞描写が印象的な楽曲です。どのようにして生まれた楽曲ですか?
夢か現実かわからない子供時代の思い出に対する僕の向き合い方や郷愁と、岩本さんの思いが混ざり合った感じですね。けっこう前からあった曲なんですけど、今回のシングルに入れたのは、「無敵」のカップリングということも大きいです。「WIND BREAKER」の主人公の桜遥は、人に拒絶されながら幼少期を過ごしていて。「WIND BREAKER」という作品は、見ている人の過去や子供時代を思い出させる作品でもあると感じたんです。なので、こういう夏のまどろんだ記憶みたいな曲を「無敵」の対として出すのは、いいかもなと思いました。
──Young Keeさんは2022年に「Bad Memory」というアルバムをリリースされていますが、“記憶”というモチーフはYoung Keeさんにとって大きなものなのでしょうか?
そうですね。「Bad Memory」を制作した頃は、自分が精神的に落ちている時期で。「Bad Memory」というタイトルにも表れていると思うんですけど、生きていく中であった、過去のいろんなつらいことややるせないことに向き合おうとしたんです。ただ、「Bad Memory」を作っていた時期は、それを受け入れる力や跳ね返す力のレベルが今よりも低くて。自分が精神的に強くなかったので、消化できないものも多かった。そういうことがあると、防衛手段として、人は“忘れること”を選んでしまう。「そんなつらいこと、そういえばあったけど、全然思い出せない」って、そのときの感情すら思い出せなくなる。脳がそういう処理をしてしまうんですよね。でも、僕はそれが嫌で。絶対に忘れたくないし、自分が違和感を覚えたり、消化できなかったりしたことだとしても、絶対に自分のものとして持っておきたい。消えちゃうのが嫌だから。どんどんと手からすり落ちていく消化しきれなかったものたちを、それでも思い出してみよう……「Bad Memory」はそういうコンセプトで作ったアルバムでした。
──「絶対に忘れたくない」と思えることが、僕にはすごいことだと感じます。自分に置き換えてみても、僕はどちらかと言えば“忘れる”ということを処世術のように使ってしまう部分があるので。ただ、歳を重ねてきて、今になって遥か昔の子供の頃の痛々しい記憶を思い出すことがあるんですけど、痛ましさは変わらなくても「思い出せてよかった」と思うことも多いんですよね。
たぶん、子供の頃よりもレベルが上がっているから、悲しみに対する向き合い方が違うんですよね。同じ悲しみがぶつかってきても、レベルアップしているから、それを許せるようになっている。でも、きっと「忘れたい」と思うほうが健康的なんですよね。脳の仕組みは知らないけど、携帯の写真フォルダにも容量があるように、全部を詰め込んで、全部を覚えていたら、たまらない。でも、もしかしたら、自分の記憶を振り返って、それを音楽という時間芸術に落とし込んで作品として出しちゃえば、脳のフォルダからは消えたとしても「忘れてないし、ある」みたいな状態にできるんじゃないかなって。そして、もし同じような状況のリスナーさんがいて、その音楽を通して何かに気付いてくれるのなら、それはすごく尊いことだし、やる意味があると思います。
──この先の展望はありますか?
今よりも成長して、歌詞の解像度も上げて、楽曲全体で、伝えたいことをより鮮明に伝えることができるようになりたいです。そしてリスナーの人たちと一緒に、ポップミュージックを楽しむ人生を送りたいです。なので、もっといい曲をじゃんじゃん出します!
「WIND BREAKER」原作者 にいさとる コメント
初めて歌い出しを聴いた瞬間に「あぁ、桜の歌だ」と漠然と思った記憶があります。
桜の髪がイメージされて、「こんなにも綺麗な言葉で桜を表現するなんて…!」と1人テンションをあげていました。
しかし、何度も聴くうちに、このフレーズは十亀と兎耳山のことか…とか、ここは梶のことだ…など色々なキャラクターが想像できて、聴くたびに様々な解釈ができる言葉選びが素敵だな…と、原稿を描きながら何度もリピートして聴いていました。
「ウィンブレ」という物語を抜きにしても勇気をもらえる歌だなと思いますし、「無敵」というタイトルも、字面の印象は無骨で力強いイメージですが、メロディや声は透明感や優しさがあってそのギャップもとてもよかったです。
素敵な歌をありがとうございました。
プロフィール
Young Kee(ヤンキー)
21世紀生まれのシンガーソングライター。2021年8月にYoung Keeとして活動を開始し、EP「Boys Blue ep.01」をリリース。同年にAmazonのCM曲「ふるさと」の歌唱アーティストに抜擢された。2022年10月に1stアルバム「Bad Memory」を発表。2024年5月にはアニメ「WIND BREAKER」のエンディングテーマ「無敵」をシングルとしてリリースした。
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