歌い手・吉乃が、ポニーキャニオンからメジャーデビュー。10月4日にテレビアニメ「ひとりぼっちの異世界攻略」オープニング主題歌「ODD NUMBER」、続いて8日にはテレビアニメ「来世は他人がいい」エンディング主題歌「なに笑ろとんねん」という、2つのアニメタイアップ作品を連続リリースした。
2019年に活動を始め、さまざまな「歌ってみた」動画を公開してきた吉乃。エッジの効いた力強い歌声から、艶やかな色気を感じさせる歌声まで、楽曲に合わせて自在に変化する多彩な表現力が高く評価されている。
音楽ナタリーでは吉乃のメジャーデビューを記念してインタビュー。自身を「普通の人」と語る彼女に、歌い手としての始まりやターニングポイント、そしてメジャーデビュー後の“地に足のついた”目標まで、さまざまな思いを語ってもらった。
取材・文 / ナカニシキュウ
スポーツ感覚でボカロ曲を歌っていた
──小さい頃はどんな子でしたか?
いたずらばっかりしてました。小学生のときとかは、カナヘビを捕まえるのに夢中になって学童へ行くのを忘れて、すっごい怒られたりとか(笑)。
──その当時好きだったものは?
アニメですかね。家の中で「ケロロ軍曹」とかが流れているのをなんとなく観て、なんとなく好きでした。その後、アニメは中学生くらいで自発的に観るようになるんですけど。「週刊少年ジャンプ」などの少年マンガ系が好きで、中でも「黒子のバスケ」「ハイキュー!!」といったスポーツものにハマってました。
──音楽に関してはどうですか?
両親にそれぞれ好きなアーティストがいまして。父はバンド系、母はポップス系が好きだったんですが、特に父の好きなTHE COLLECTORSさんのライブには幼少期から頻繁に父と一緒に参加していました。家の中や移動中の車の中でも、常に音楽がかかっている環境でしたね。
──自分から好んで音楽を聴くようになったのはいつ頃から?
初めて買ってもらったCDは宇多田ヒカルさんの「ぼくはくま」でした。確か「みんなのうた」で初めて聴いて、幼いながらに「すごく好きな曲だ」と思ったんです。その後母親と出かけたときに……どこだっけな、コンビニかタワーレコードだったと思うんですけど……。
──ダイナミックな二択ですね。
はい(笑)。そこでCDを買ってもらったのが、人生初の“音楽を所有する経験”でした。自分が音楽をいろいろ聴くようになったきっかけで言うと、ボーカロイドですね。同級生がメロディを口ずさんでて、「なんの曲?」って聞いたら、それが164さんの「天ノ弱」という楽曲で。この曲をきっかけにボカロ曲を聴くようになった感じです。私はその当時……というか今もパソコンが苦手なんですけど、この曲を知ってからはYouTubeで曲を探して聴く手順だけを友達に教えてもらいながらなんとか覚えました。
──「ぼくはくま」にせよ「天ノ弱」にせよ、「自分はこれが好き!」というものがかなりハッキリしていたんですね。
そうですね。特にボーカロイド楽曲はどれを聴いてもカッコいい曲ばかりで、両親が聴いていた音楽ともまた違ってすごく面白かった。その頃から友達とカラオケに行く習慣もできたんですけど、ボカロ曲って自分で歌ってみるとまた違う魅力があるんですよね。テンポは速いしキーは高いし、とにかく難しくて。
──生身の人間が歌うことを想定していないですからね。
「それをいかにうまく歌うか」みたいな、ゲームの攻略みたいな楽しみ方をしていました。スポーツ感覚っていうか。
──歌以外で何か、例えば習い事とかはやってました?
幼少期はいろいろやってました。ピアノ、バレエ、お絵描き教室、スイミング、バスケットボール……最終的にはバスケが一番長続きしましたね。通算で8年間やっていたので。
──ではバスケはけっこう得意なんですね。
それが全然なんですよ(笑)。最近そのことについてよく考えるんですよね。今、音楽活動をしていて「やっぱり歌が好きだな、音楽大好きだな」って感じる瞬間はすごく多いんですけど、バスケでは特にそういう感覚が得られなかった。それをよく8年間も続けられたなって。練習はキツかったですし、辞める理由がなかったから続けていただけというか。
──その当時はまだ歌い手としての活動はしていなかった?
してなかったです。
──では、それだけ熱中できるものがあることを知らなかっただけで、知っていたらバスケは辞めていたかもしれないですね。
いや、同時並行していたと思います。たぶん。
──それはなぜ?
なんでだろう(笑)。当時の私には“部活を辞める”という発想がまったくなかったんですよね。あと、「歌手になりたい」という思いは幼い頃から持っていたものの、その当時は「歌い手という活動形態のまま顔も出さずにプロの歌手になる」という前例がなかった。そういったこともあり、歌手という夢が自分の将来の選択肢から消えてしまっていた、というのも理由の1つかもしれません。
ぬるっと始まった歌い手人生
──では、歌い手の活動を始めたのはどういう経緯で?
もともとは「nana」というカラオケアプリでずっと歌っていたんです。“歌ってみた”を投稿できるアプリなんですけど、そこでけっこうな年数……4、5年くらい歌ってたのかな。その中で一度、運営さんに選んでいただいて、自分の歌がトップページのオススメ欄に入ったことがあるんですよ。そこで想像以上の多くの方々に歌を聴いていただけたことで、「このプラットフォームでこれだけ聴いてもらえるなら、より広い世界に向けて発信したらもっとたくさん聴いてもらえるかもしれない」と思い、新たなチャレンジの一環としてYouTubeに歌をアップしてみたんです。なので「よし、歌い手になるぞ!」と固く決意して歌を投稿し始めたわけではなくて、ぬるっと始めた感じです(笑)。
──力試しのような感覚が強かったんですね。
本当にそういう感じでした。厳密に言うと、YouTubeの前にまずはTwitter(現X)に投稿してみたんですね。歌い手の知り合いとかもいない状態だったんですけど、初手で300いいねくらいついて。当時の私からすると、300ってけっこう驚きの数字というか。
──「大バズりした!」と。
そうそう(笑)。「え、こんなに聴いてもらえるの? じゃあやっちゃおう」って次々に歌を投稿するようになり、同時にYouTubeにもアップするようになりました。
──その当時、歌はどうやって録っていましたか?
歌い手を始めて最初の2年間くらいはずっとスマホで録ってました。ただ、活動を続けていくうちに歌唱依頼をいただくようになるんですね、ありがたいことに。「自分の曲を歌ってもらえませんか」みたいな。そうなったときに「ご依頼で歌うのにスマホ録音はないよな」と思って(笑)、そこで初めてパソコンを購入しました。
──パソコンが苦手という自覚がありながら、人にやってもらうのではなくちゃんと自力で録っているんですね。
いや、でもいまだにパソコンは本当に嫌で……。
──「本当に嫌で」(笑)。
活動を始めた当初は「歌はいいのに、音がガビガビだよ!」とか「早くパソコン買いなよ!」とかずっと言われ続けていて(笑)。詳しい人から必要な機材をイチから教えてもらって、パソコンとオーディオインターフェース、マイクなどをそろえました。
自分は“こっち”なのかもしれない
──そうした活動の中で、ボーカリストとしてのスタイルはどのように確立してきたのでしょうか。
これに関しては、自分の中で明確に「ここが分岐点だった」というものがありまして。柊キライさんの「ボッカデラベリタ」を3、4年前に歌わせていただいたんですけど、そこで初めて“がなり”というか、ガツガツした歌い方にチャレンジしたんです。「nana」時代も含めて、それまではバラードをメインに歌ってきたんですけど、新しい歌い方にチャレンジした「ボッカデラベリタ」が初めて1000いいねを超えて。コメント欄でもすごい勢いで褒めてもらえて。これをきっかけに「自分は“こっち”なのかもしれない」と思うようになりました。
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ライブの喜びを知ってしまった