田舎でくすぶっている高校生に読んでほしい
──最初に「音楽に夢を見ることができない」という部分がお二人は共通していると尾崎さんがおっしゃいましたけど、それでも「祐介」と「持ってこなかった男」を読むと、音楽で生きていくことに対する執着に似た思いもあるように感じます。
尾崎 夢を見ることができないからこそ、続けることができたとも言えます。僕は音楽を始めた頃から本当に劣悪な環境にいました。平日の夕方17時半から4万8000円のチケットノルマでライブをやっていたんですよ。
吉田 え、ノルマ高くないですか?
尾崎 1600円のチケットが30枚。平日の夕方17時半に、お客さんが来るわけないですよね。それでも、何かの間違いでメジャーのレコード会社の人が来るんじゃないかと信じてやっていました。地方に行っても、ほかのバンドの人は全然話してくれなくて、違う宇宙に来たような疎外感を感じて。でも今思うと、もっとライブハウスのノルマが安くて、周りも優しく接してくれる環境だったら、すぐに辞めていたかもしれないです。これ以上はないだろうというくらいにつらい環境から始まったから、たまにライブハウスの人が「お前らがんばってるから、今日はノルマ半分でいいよ」と言ってくれたりすると、ものすごく得した気分になるんですよね。結局莫大なお金はとられているんですけど、それでもうれしくて、「今日は得したな」って発泡酒じゃなくてビールを買ったりして。
吉田 よく考えたら「じゃあ、なんでいつも全額取ろうとしてたんだよ」という話ですよね(笑)。そもそものノルマ設定がおかしいんじゃないか?って。
尾崎 そう(笑)。でも、あれが普通だったんです。それでもキツかったけど、なんとかなっていたんですよね。悔しい思いはいっぱいしてきたし、「このバンドには勝てない」と思ったバンドがたくさんいましたけど、その人たちはみんな辞めてしまっている。でもその当時は、その狭い世界がすべてで、先のことなんて考えられない。負けている以上、自分のほうが先に消えることは目に見えているから、「どうやって続けようか」とずっと悩んでいました。“勝つ”ことよりも“続ける”ことをずっと考えていたし、そのために自分を誤魔化すことで必死でした。それでだんだんと自分を騙す方法もわかってきたし、どうすれば楽で気持ちのいい方向に逃げることができるかもわかってきた。そうやって生き延びてきたから、その癖が創作においても抜けないんです。
──今、10代や20代で音楽活動をしている人たちは、ライブハウスに出るよりも先にSNSなどを通して自分を好きになってくれる人とつながることもできるし、お二人がバンド活動を通して見てきたものとはまた違った景色が広がっていると思うんです。そう考えると、尾崎さんや吉田さんの世代が音楽を始めた頃は、音楽業界や世の中全体の考え方やシステムが変化していく狭間の時期だったとも言えると思うんですよね。
吉田 ネットに曲を上げて、お客さんが付いてからライブする人たちはカッコいいですよね。お客さんがいないのにライブハウスに出たって、なんにもないですから。
尾崎 でも、失敗して知った痛みは、高いノルマを払ってライブハウスに出続けてきたことで僕らが得た対価じゃないですか? ネットに自分の音源を上げても成功しなかった人は、下手をしたらただ数字が残るだけで終わってしまうかもしれない。でも、ノルマを払ってお客さんのいないライブハウスに出て、「なんなんだろう、これ」という悔しさ、虚しさ、怒りを感じてきた人には、結果は出なくてもその感情があるし、“負けた”という事実がありますよね。それは考えようによっては、自分たちが掴んだものなんじゃないかと思います。
吉田 確かに、そうですよね。僕もいつライブをやってもお客さんが全然いなかったんですけど、それでもライブ後に感想をもらうのをすごく楽しみにしてました。
尾崎 今の10代や20代の人たちは、「持ってこなかった男」を読んでどんな気持ちになるんでしょうね。もしかしたら、「書いてあることがわからない」という人たちもいるかもしれないですよね。
吉田 考えて書いたわけではないんですけど、田舎のくすぶっている高校生とかにも読んでほしいなと思います。僕は10代の頃に「BECK」のような夢のあるバンドマンガも面白く読んでいましたけど、実際にああいう景色を見ることができたわけではなくて。ああならなかった例として、この本を読んで「こんなやつもいるんだな」と思ってもらえたらいいなと思います。
小説執筆への意欲
──吉田さんは今後、尾崎さんのように小説を書いてみたいという気持ちはありますか?
吉田 テーマを見つけられたら、小説も書いてみたいですね。自分にそれができるのかどうか確認してみたいです。さっき自我についての話題があったと思うんですけど、今は自我が強いままでよくても、それが自分の表現の限界になってしまったら嫌だなと思うんです。もっと表現の幅を広げたいんですよね。
尾崎 吉田さんに「広げたい」なんて言葉、似合わないですよ(笑)。
吉田 能動的に何かをやったりはしないかもしれないですけど(笑)、いつの間にか広がっていたらいいなと思うんですよね。
──尾崎さんは「母影」(おもかげ)が芥川賞にもノミネートされましたが、今、尾崎さんが小説という表現を必要としているのはなぜなのでしょう?
尾崎 自分が確実にできることではなくて、難しいことをやる必要があったんです。音楽ももちろん難しいんですけど、それはあくまで作ったものと世の中がどう交わっていくかの難しさです。バンドとしては、今までやってきたことを守っていかなきゃいけない部分もある。それは、自分がリスナーとしてバンドを聴いてきた中で、好きだったバンドが変わってしまったときの悲しみも知っているから。でも、小説は、いまだに毎回書き切れるかどうかすらわからない。そういう表現ができることは、自分にとって大きな挑戦だと思います。
吉田 小説は完全にフィクションになるから、やっぱりエッセイとは違いますよね。「母影」を読んで「文学だな」と思いました。「ペッティングに成功!」みたいな書き方はダメじゃないですか(笑)。「カーテンが揺れた」とか、「影が動いた」とか、そういう文章で表現していかないといけない。
尾崎 直接的じゃない表現で。
吉田 仕掛けもたくさんあるし、「どうやって書いているんだろう?」と思いました。最初に全体像を考えるんですか?
尾崎 最初に考えるのは設定だけですね。設定を考えたら、あとはその場その場で進めていきました。ただ、いくつか書きたい場面はあって、それをいつ出すか、その場面をどうつなげていくのかも同時に考えていって。「祐介」までは、うまくいかない自分の恥ずかしい実体験や情けない話を書き続けてきたけれど、「次は音楽のことは書かない」と決めていたんですよ。
吉田 ああ……なるほど。
尾崎 「祐介」まではいかに自分の傷口を見せるかという感覚で書いていたけれど、傷が癒えていく過程であったり、「それがあったから次に行ける」というものを表現したかった。そのためには、自分のことを書くだけではダメだと思いました。尾崎世界観という人間だけでは説明しきれないものを表現しないといけなかった。寝転んでいた状態からちゃんと起き上がって、根気強く書き続けなければいけなかったんです。なので、ずっと筋トレをしながら書いているような感覚だったんですけど、そして、そうすることで、やっと書き手として体に負荷がかかってきた。
──「母影」には、尾崎さんが今までの言葉をすべて捨てて、新しい言葉を獲得しにいったような質感がありますよね。結果として、すごく美しいもの、優しいものが表現されているなと思います。
尾崎 自分が今まで知っていた言葉を捨てて、また空いたスペースに言葉を入れていく。そうすることで、言葉になる前にあったもの、言葉にしてしまったあとに生まれる気持ちを表現できればいいなと思っていました。そこに何かの発見があるんじゃないかと思ったんです。特に去年1年間は、「言葉って疑わしいものだな」と思うことが多かったんですよね。コロナ禍でライブが中止になったり、バンド活動ができない中で、インタビューを受けては「苦しいです」と言っているけれど、「その言葉って、いったいなんなんだろう」と思って。言葉では補えない、表現できないことが自分の中には確実にあったし、小説は、その気持ちそのものだったなと思います。
吉田 ……いいですねえ。
尾崎 (笑)。
吉田 僕も小説を書いてみたくなりました。声に出して言っても伝わらなくて、クソッって悔しくなってしまうような気持ちでも、文字で表すことで伝えることができるかもしれない。もちろん、それでも伝えきれないかもしれないけど、書くことでしか伝えられない場合もありますからね。
尾崎 そうなんですよね。声に出して伝えることができなくても、文字にしたら伝わることだってあるし。文字では伝えられないことだってあって。声に出すことで伝えられることもある。もちろん、どちらでも伝えられないことがあって。吉田さんも、今回の本で自分のエピソードはほとんど使いきっていると思うので、これからがますます楽しみです(笑)。