吉田靖直(トリプルファイヤー)×尾崎世界観(クリープハイプ)|音楽に夢を抱けないバンドマンが本を書いたら

そこまで反省していない吉田

──クリープハイプとトリプルファイヤーというと、かなりイメージの違うバンドですけど、尾崎さんの「祐介」と吉田さんの「持ってこなかった男」を読むと、見てきた景色やものの見方に、実は近いところがあるんじゃないかと思わされます。

尾崎世界観(クリープハイプ)

尾崎 吉田さんにも僕にも、物事を冷めて見てしまう虚しさというか、自分をどこまでも俯瞰で見てしまう感じがあるんでしょうね。しかも、カメラを覗いている自分のこともまた、カメラの向こう側から自分が見ている……そこにある恥ずかしさや滑稽さが似ているのかもしれない。そう言いつつも、やっぱり自分のライブで盛り上がってくれている人を見るとうれしい気持ちになるんですよ。でも、自分はそうなれなかったというコンプレックスが常にあるし、そのコンプレックスを音楽や文章で表現している。自分の人生のダメな部分を見せているという意味では、やっていることは曲芸に近いかもしれませんね。僕も吉田さんもきっと、ダメな部分を表現したほうが早いんです。僕らの音楽や文章に触れた人は、「この人、かわいそうだな。生きづらくて大変そうだな」って思うかもしれないけど、そうじゃない。生きている中で恥ずかしいことのほうが多いから、そっちのほうが楽して表現できるんです。本当にいいものをいいものとして表現するのは、難しいことですから。

吉田 たまにカッコいいことを考えたり思ったりすることはあるんですけど、それは表現しづらいんですよね。自分の精神の置き場を、常にニヤつくほうに持っていってしまうというか。

尾崎 わかります。しかも、ダサい部分を表現して、ダサいままで終わろうとも思っていないですよね。タダでは転びたくないというか、転んだときに「大丈夫?」って女子に心配してもらいたいという、野心というか……やましさがある(笑)。だからこうやってがんばって文章を書いたりもするんです。

吉田 僕らは自我が強いんですかね? 「自分の事ばかりで情けなくなるよ」って、たまに帰り道に思います(笑)。

尾崎 吉田さん、そうは言っても本当はそこまで反省していないですよね?(笑)

吉田 いやあ……(笑)。

余裕ぶるのは生き延びるため

──笑える側、滑稽な側、弱い側に立つことの強さというのも、きっとありますよね。

尾崎 そうですね。僕は子供の頃からマンガや小説を読んでいても、ダメな主人公たちが出てくる作品に憧れや幻想を抱いてきたし、そういうキャラクターたちを認めることで、自分の現状も認めることができると信じ込んできた。そういう部分は昔からずっと変わっていないですね。「ドラゴンボール」を観ても、自分はヤムチャかクリリンだと思っていました(笑)。だから「持ってこなかった男」で書かれている吉田さんの、1人だけ周りと違ってしまう感じは、わかるなと思いました。「来るなよ、来るなよ、絶対に来るなよ」と思っていたら、やっぱり不幸なことが起こる……あの感じ(笑)。同級生や変なやつに意地悪されるときの、“やられ様”がいいんですよね。吉田さんは、意地でも負けを認めない。潔くやられたほうが楽なのに、変に死にきらないというか(笑)。

吉田靖直(トリプルファイヤー)

吉田 やられたあと、後ろ向いてほくそ笑む、みたいな(笑)。そういうやつほど、最後までやられてしまうんですけどね。

尾崎 わかるなあ。「これくらいにしといてやるよ」って思い込もうとするんですよね。自分はやられているだけで、何もしていないくせに(笑)。その相手を挑発してしまうような感覚は、吉田さんの場合、どこから出てくるものなんですか?

吉田 自分がダサくなりすぎないようにってことだと思います。かわいそうな人になりすぎてしまうのが嫌だから、余裕ぶって見せている。そうでないと、家に帰ったあと、「このままじゃ死んじゃうかもしれないな」っていうくらいまでいっちゃうので。

尾崎 そうか(笑)。生き延びるためなんですね。

吉田 はい。なので、自虐まったくなしで、さらけ出さずに普通に生きている人を見るとすごいなって思いますね。ダメージを受けたとき、どうやって分散させているんだろう?と思う。僕はプライドが高いんだと思うんですよね。“いじめ”と“いじり”って違うじゃないですか。ハードルを下げてでも、自分がされているのは“いじり”だと思いたがる。

尾崎 なるほど。

吉田 でも小学生のときに、「今から吉田いじめるぞ」と言われたことがあって。「ああ、もういじめじゃん」と(笑)。

尾崎 「それは言うなよ」って(笑)。だんだんハードルを下げて自分を守っていく感覚、ありますね。人間、ブレなきゃやっていけないんですよね。世の中「ブレてはいけない」という風潮もあるけれど、ブレなきゃやってられないときもある。

ムカついた出来事も、書いて忘れられた

──尾崎さんと並んで「持ってこなかった男」にコメントを寄せている大槻ケンヂさんは「最後は共感ジンときたりもして」と書かれていますが、ジンとくるエモーショナルな部分が確かに「持ってこなかった男」にはあって。こうした表現というのは、これまでの吉田さんの音楽ではあまり表に出てこなかったですよね。

吉田 そうですね。バンドでは「感情を煽るばかりが芸じゃないだろう」と思ってむしろ強い感情から距離をとりながら曲を作ったりすることが多かったんですけど、今回のエッセイは、書いているうちにめちゃくちゃエモくなってきて、「あのとき、つらかったんだな」と思って泣きそうになったりして。それは、そうやって書こうと試みたというよりは、勝手にそうなったという感じでしたね。ただ、その泣きそうになりながら書いた部分はあとから読んで「キモいな」と思ったので、めちゃくちゃ修正したんです。なので原型はほぼ残っていなくて。それでも、自分で「ちょっと作家っぽいな」と思ったのは、今までたまに思い出してムカついていたような過去の出来事も、書くことで昇華されたというか、書いたら忘れていったんです。それは自分にとって新しい体験でした。

左から吉田靖直(トリプルファイヤー)、尾崎世界観(クリープハイプ)。

尾崎 でも、本の中には昔、吉田さんが悔しさを感じていたバンドの名前もいっぱい出てくるじゃないですか。「いなくなってしまった仲間たちの魂も本に込めた」という言い方を周りからはされるかもしれないけど、僕は、吉田さんの「俺は生き残ったぞ! ざまあみろ!」という気持ちの表れかなとも思いました。

吉田 あざけるような気持ちも……まあ、相手によってはまったくのゼロではないですね(笑)。

尾崎 そういうところが僕は好きですね。当時は自分も大したことなかったし、周りも大したことなかったし、狭い世界で争っていたということだと思うんですけど、それを書いて、本として形に残せたという結果が今の吉田さんにはある。

吉田 この本を書いているときは、出てくる人たちに「あのときの自分の気持ちを知ってほしい」という思いがありましたね。面と向かっては言えないようなことを書いているので、実際に読まれたら怖いですけど。