吉田山田「焼き魚」インタビュー|「吉田と山田が生きていればこの音楽は消えない」苦境に立たされた2人が切り開く新境地

吉田山田が昨年4月に所属していたレーベル・ポニーキャニオンを離れて独立。独立後初のシングルとなる「焼き魚」を2月1日に配信リリースした。

メジャーデビューシングル「ガムシャランナー」に始まり、NHK「みんなのうた」がきっかけでヒットを記録した「日々」、TikTokを介して拡散された「もやし」など、これまで数多くの楽曲をポニーキャニオンからリリースしてきた吉田山田。約13年続いたレーベルとの契約が昨年4月に満了となり、吉田山田は今、自主レーベル設立に向けて動いている。2人がパーソナリティを務めるラジオなどでもたびたびレーベルスタッフの名前が出るなど、彼らの活動に大きな影響を与えてきた所属レーベルを離れることは、吉田山田の音楽にどのような影響があるのか? 本人たちに今の心境を聞きながら、独立後初リリースの新曲「焼き魚」から垣間見える吉田山田の“新たな感性”について、じっくりと話を聞いた。

取材・文 / 倉嶌孝彦撮影 / 鳥居洋介

「2人なら世界がどうなっても音楽をやり続けられる」

──表立って発表されてはいませんでしたが、昨年の4月に所属レーベルだったポニーキャニオンと吉田山田の契約が満了になったと伺いました。今回のインタビューでは、レーベル所属がなくなってから新曲のリリースに至るまでの心境なども伺えればと思います。まず契約満了の話を聞いたとき、率直にどう思いましたか?

吉田結威(G, Vo) 最初に話を聞いたときは寝耳に水というか、すごくびっくりしました。音楽業界全体の流れもあるし、僕らの実力不足もある。新型コロナウイルスが流行して、ライブが難しい時期も体験してきたし、CDからサブスクが主流になるような流れも含めて音楽業界全体の変化を感じていたから、いつかこういうことが起こるんじゃないか、みたいなことは考えていたので「ああそうか」と受け止めるしかなくて。

山田義孝(Vo) 僕らは「日々」のようなヒットもあったけど、数字としてものすごく大きい成果を出せたわけではなかったから、そもそもデビューから13年もメジャーレーベルが付き合ってくれたこと自体が奇跡のようなことだったんじゃないかなと思っていて。もちろん驚きはあったし、寂しさも感じるけど、僕はこれまでの感謝の気持ちが大きかったですね。

吉田山田

吉田山田

吉田 ミュージシャンという仕事だから「自分たちが叶えたい夢に向かう」という思いが中心にはあるけど、事務所の人たちだったり、レーベルの人たちだったり、仲間が増えれば増えるほど、みんなの思いを背負うような感覚があって。例えば自分の心が折れそうなとき、ポニーキャニオンの人に支えてもらったこともある。だから同じチームとして活動できなくなることはすごく寂しいですね。でもここ3年くらいはコロナ禍ということもあり、ポニーキャニオンの社屋に入れない、なんなら事務所の日音の社屋にも入れない時期があって。人と人との接触が制限される中で、山田とオンラインで会話をしている中でふと「もしいろんな人が離れていって、最後に僕と山田の2人だけになっても音楽を続けよう」と思ったんです。それまでは仲間と一緒に喜びを分かち合いたいと思っていたし、一生誰かのために、みんなに囲まれながら音楽をやっていくんだと思っていました。でもコロナ禍になり、いろんなことの価値観が大きく崩れて個人の判断力が試されるようになったとき、山田がどう思っているかはわからないけど、「山田と2人なら世界がどうなっても音楽をやり続けられる」という思いがより固まった気がして。それは決して仲間が必要ないという意味ではなくて、僕らの夢や音楽に必要な最小単位は結局2人なんですよね。世の中がどうなっても、所属がどうなっても吉田と山田が生きていれば吉田山田という音楽は消えない。そういう思いがデビューして13年経った今が一番強い気がしています。

山田 僕はよっちゃんのように周囲のこととかを考えられるタイプではないから、自分のことしか語れないけど、コロナ禍でも曲を作り続けてきて「いい曲が作れた」という感覚が自分を生かしていると感じています。もし全然曲が作れていなかったり、微妙なものしか生み出せていなかったりしたら、もっと将来に対して不安に感じていると思うけど、僕とよっちゃんは世の中がどう変わっても「今、一番いいものができた」と胸を張って言える音楽を作れる。その希望が僕の中にあり続ける限り、音楽を続けられるし、よっちゃんの隣にもいられる。それにこの2人ならきっと大丈夫だっていう自信もあるんですよ。根拠はないけど13年これで続けてきたからね(笑)。

みんなの顔を見て、寂しさを実感した

──音楽業界全体の流れを少し補足すると、最近では自主レーベルを立ち上げて、インディペンデントな活動にシフトするバンドやアーティストが増えています。なので、吉田山田の境遇がものすごく不遇なものである、というわけではないんですよね。お二人は所属していたレーベルを離れたことでどういう変化を感じていますか?

吉田 一番感じるのは頻繁に会っていたスタッフさんに会わなくなったことの寂しさ。それ以外のところで言うと、実はあまり実感がなくて。というのも、これまで僕らはレーベルが用意してくれた仕事がどれで、事務所が用意してくれた仕事がどれかを意識せずにやっていたので、所属レーベルを離れることで失ったものをそこまでまだ認識できていない。それはちょうどコロナ禍でいろんな現場に伺う機会が減っていたからかもしれないし、もしかしたらこれから失ったことを痛感する瞬間があるのかもしれないですね。

山田 ほかのレーベルの方がどうなのかはわからないけど、ポニーキャニオンの皆さんは本当に距離が近くて、「この人のこの言葉がなかったら生まれなかった曲がある」とも言えるくらい大事な存在でした。ある意味、「レーベルとアーティスト」という垣根を超えていたと思う。これから先、そういう曲が生まれなくなるのは寂しいですね。

山田義孝(Vo)

山田義孝(Vo)

吉田 僕らも歳を取ったんですよ(笑)。10年前だったら契約終了を伝えられたら「ふざけんなよ!」って怒ったかもしれないけど、今は僕らにも家族があるし、ポニーキャニオンのスタッフさんにも、日音のスタッフさんにも家族がいることがわかっている。仕事の話だけじゃなくて、プライベートの話もしてきた仲だからこそ、スタッフさんにも守るべき家庭があって、ちゃんと家庭を守るためには会社を回していかなきゃいけない立場もある。それぞれ自分が守りたいもののためにお互いがんばろうって、手を振りながら別れられるようになっていた。

山田 所属は離れてしまうけど、会おうと思えばすぐ会えるし。それこそ何組か出演するイベントに出ることになればポニーキャニオンのスタッフさんも現場にいることがありますから。

吉田 昨年6月に日本橋三井ホールで開催したツアーファイナルに(参照:吉田山田の居場所はここにある、2人で回った全国ツアー東京で幕)、ポニーキャニオンのスタッフさんがみんな来てくれたんですよ。本当にデビューの頃からお世話になっているスタッフさんたちが勢ぞろいで。みんなの顔を見たとき、初めて実感したんですよね。「寂しい」って。それでライブ後の挨拶のときに、在籍中長らくアーティスト担当をしてくれたスタッフさんに、冗談で「まあ、もう二度と会うことはないと思うんで」って言ったんですよ。言い方も明るい感じで冗談っぽく言ったんですけど、それを聞いたスタッフさんがシュンとしちゃって。

──その冗談、吉田さんがよく言いそうな冗談ですよね。

吉田 うん。いつも言っているようなことだから、もちろん冗談だと受け止めてくれると思ったし、なんなら冗談だとわかってたんじゃないかな。でもこの言葉がもし本当だったら茶化せないという思いもあって、いつもみたいに笑い合えなかった。そのとき、「ああ、本当に離ればなれになるんだな」と実感しました。本当に冗談で言ったんだけどなあ。

吉田山田の“秘密基地”を作る

──配信シングルは所属事務所の日音からリリースされますが、5月のアルバムリリースの際には自主レーベルを立ち上げるという話を聞きました。

吉田 せっかくならこの状況を楽しめることは何かなとも考えていて。例えば自主レーベルを作ればCDに僕らオリジナルのロゴを付けることができるわけですし、やれることの幅がちょっと広がるかなと。

山田 いいレーベル名がまだ思い付いてないんですよね。

吉田 「キャニーポニオン」というレーベル名を提案したら、日音のスタッフさんに怒られました(笑)。

吉田結威(G, Vo)

吉田結威(G, Vo)

──大手レーベルを離れて自主レーベルからリリースするようになったら、吉田山田の音楽はどう変わると思いますか?

吉田 正直まだよくわかっていないし、僕らは前を向いて活動してかなきゃいけないから「ポニーキャニオンがいてくれたらな」って言えないし、本当にお世話になったから「レーベルから離れてこれができるようになった」とも言いたくない。という微妙なところなんですよ(笑)。1つ感じているのが、今になって2018年からの3部作、「変身」「欲望」「証命」というアルバムを僕らがやりたいように制作させてもらったのが大きいなということ。これはポニーキャニオンの懐が深かったからなんですが、3部作ではエンジニアさんや参加ミュージシャンも僕ら主導で選ばせてもらっていたし、候補曲からどれをアルバムに入れるかとか、そういうジャッジの手綱をアーティストに委ねてくれていた。大きなレーベルを離れて、いろんな物事を自分たちで考えなきゃいけなくなったとき、3部作の制作で培った経験がすごく役に立ってますね。

山田 制作に関して大きな変化はないし、僕らがやるべきことは変わらないんですよ。でも自分のレーベルを持つのは子供の頃の“秘密基地”を作るような感覚なのかなと感じています。ロゴを作るのも自分たちの旗を立てることに似てるし。そういうワクワクすることがあると、これから生まれてくる曲にも影響があると思う。