ヨルシカ|だからn-bunaとsuisはこのアルバムを作った

今回、歌いながら泣きました

──歌唱について、これまでの作品からの変化、進化など自覚する部分はありますか。

suis 純粋に、歌の練習をしたのでたぶん……。

n-buna うまくなりましたよね!

suis (笑)。上手になったのかなというのもありつつ、慣れもあって緊張は減りましたし、自分で全部できるやり方にしてもらった分、もっと自由にしようと私も貪欲になっていったんです。「もっともっと面白いことを細かいところにも入れちゃおう」みたいな遊び心もあったかもしれないですね……でも今回は、けっこう歌いながら泣きました。

n-buna 僕、その話初めて聞くんですけど(笑)。

suis つらい曲……特に「だから僕は音楽を辞めた」のラスサビに入る前の静かなところは、確かここだけで5、6回くらいテイクを重ねて、どんどん気持ちを追い込んでいきました。最初はけっこうメロ通りに歌っていたんですけど、6回目あたりになると普通に泣いてるんですよ。レコーディングスタジオにいるというよりも、青年が1人で部屋で「もうダメだ」って沈んでいる気持ちになって、憑依したように泣きながら歌って。逆に「エルマ」を録ったときは、わりとポカポカな曲なのに、私自身の体調があまりよくなくて気持ちが落ちているときで。だからあまり悲しい気持ちの出た歌声じゃダメだなと思ってエンジニアさんと相談して、ボックスから外に出て窓の前にマイクを置いて、陽の光を浴びながら歌いました。

n-buna いい歌が録れてますよね。自分のイメージだとこれは逆に、悲しい曲なんですよ。だから僕がディレクションしてたら切ない方向に持っていってただろうし、やっぱりそのあたりが新しい風なんですよね。それが想像を超えてうまくハマったものになってよかったです。

──朗らかなトーンで歌われることで、余計に切なさが強調される場合もあるでしょうし、そういう現象こそ、ヨルシカを始めるときに求めていた「人間ならではの感情表現」が実現されているということですよね。

n-buna そうですね。僕たちの技量が上がってきたのもあって、うまくハマってきたと思ってます。

──以前のインタビューではsuisさんがご自分の歌声について「性別をあまり感じさせない声」だと話してくれたじゃないですか。

suis そうですね、色気がないという話をしましたね(笑)。

──全曲を男性視点で歌った今作で、その特性がすごくよく作用していると思うんですよ。

suis ああー、ありがとうございます!

n-buna 「踊ろうぜ」とか言ってますけど、そんなに雄々しくも感じないですもんね。

suis はははは!(笑) このアルバムのコンセプトにおいて、その自分のあまり女っぽくない声がハマったのかな。うれしいです。

「パレード」のミュージックビデオのワンシーン。

“ダイナミクス感”と“生演奏としての魅力”の追求

──全体としてはすんなり歌えましたか。

suis キーの問題だけですね。私、本来歌いやすいキーはヨルシカで歌っている曲よりももっと低くて、ヨルシカに合う高い歌声を出そうとすると体的にはけっこう無理しているんですけど(笑)。それ以外は、n-bunaくんのメロは誰が作るどの曲よりもスッと入ってきてすぐ覚えられるし、デモの時点でちょっとメロがあやふやだなっていうところも、「おそらくこういうメロなんだろうな」って歌えるくらい、自分にとってやりやすい曲だなと思います。

n-buna いやもう、suisさんは器用ですからねえ!

──このやり取りは2年前にもあった気がしますけど(笑)、そのへんの息の合い方はどんどん増していそうですね。作曲面についても聞いていきたいのですが、第一印象としては「あえて曲調やサウンドの雰囲気に統一性をもたせているのかな?」と思いました。

n-buna そうですね。今回のアルバムではピアニストの方に入ってもらったこともあって、歌ものも含めて全体的にピアノ多めのアルバムにしようと思っていて。そこにちょっとロック成分を含めて攻めていこうかなというのは、最初のコンセプトとしてありました。初回限定盤に付属している手紙にも書いてあるんですけど、「だから僕は音楽を辞めた」の主人公の青年はピアニストに憧れていたんです。その人物像からも、ピアノの音をアルバム1枚通して使いたいというのは考えていて。この青年の人生に1本スジを通すためには、「あの夏に咲け」みたいなポップな感じや「雲と幽霊」のちょっとエレクトロな感じを、今回はわりと排斥していいかなと。

──それに音自体がすごくよくなりましたよね。

n-buna 音、よくなりましたね! 僕は、全体の音のよさの根幹はドラムとベースのリズム隊にあると思っているんですけど、その最初の音作りからドラマーのMasackさんと僕の息が合ってきたのかなと感じてます。スネアとキックのチューニングにこだわっていて、例えば「六月は雨上がりの街を書く」は上のほうの帯域でピアノが鳴っている分、ほかの楽器は下にいるので、その中で太く抜けてくる音をスネアで作ろうと。でもこのコンセプトなので明るめの音ではなくて、ピッチもちょっと低めでバスンと鳴るような音を作っていきました。そのあたりの意思疎通が本当にうまく取れてきたなと思います。あとはエンジニアの松橋(秀幸)さんの力がでかいですね。

──どんなやり取りをしていったんですか。

n-buna 今作の話し合いでよく言っていたのは、“ダイナミクス感”と“生演奏としての魅力”の2点を追求しようということでした。楽器が少なくなって音量が落ちるところでも、1つひとつの楽器のニュアンスがちゃんと聴こえてくることを重視しています。今回のアルバムにはピアノが入っていることもあって、全部の音が前に張り付いたような音圧が高めのものよりも、奥行きを大事にしたサウンドを心がけて一緒に作っていきましたし、マスタリングでもなるべくトータルコンプに突っ込まずに、ミックスで作ったダイナミクスを保ったまま聴いてもらえるように、むしろそれを際立たせるようにやっていったので。今作は「音がいい」と感じてもらえるようにうまく音を詰められたのかなと思ってます。

──実際、音圧で迫力を稼いでいない部分は、音の隙間が生かされていて、効果的に引き算ができていると思います。

n-buna 「編曲の基本は引き算にあり」ということを僕はずっと思っているので、引き算アレンジはどんどん突き詰めていきたくて。楽器が鳴ってないことで空く間って、逆に存在感があるじゃないですか。

──それによってノリが生まれたりもしますね。

n-buna そこに歌が乗ることで歌がさらに際立つ、それは本当に大事だと思っています。音圧の話をエンジニアの方たちと話しているとわかるんですが、もう音圧競争の時代はとっくの昔に終わっているんですよね。だからこそ今、こういう生感を追求した音楽ができて、それをみんなが受け入れてくれる時代が来ているっていうのはすごく感じてますし、個人的にも節目でした。最近の洋楽のヒット曲やクラブ系のサウンドでも、ダイナミクスと引き算、つまり盛り上がるところとそうじゃないところの差があるような隙間のアレンジが目立ちますし、それこそエド・シーランなんてアコギと簡単なシンセに語るようなメロディラインが入ってくるシンプルな構成で成り立っているけど、でもちゃんと盛り上がる箇所もある。引き算アレンジの真髄を持っているアーティストだなと思います。

──そういう大きな潮流で見ても、今作を自然とこういう方向に持って行きやすかったのかもしれないですね。

n-buna そうですね。今まで通りのバンドサウンドを基調としながらも、リスナーの方も違和感なく聴けるんじゃないかと思います。