米津玄師|愛情ってなんだろう“変化の中にある連続”を見つめて

米津玄師が新曲「Azalea」を配信リリースした。

「Azalea」は有村架純、坂口健太郎、生田斗真が出演するNetflixシリーズ「さよならのつづき」の主題歌として書き下ろされたピュアなラブソング。リリースに際して音楽ナタリーでは米津にインタビューし、「Azalea」の制作背景について聞いたほか、8月に発表したアルバム「LOST CORNER」以降の変化や、先日新たなミュージックビデオが公開されたハチ名義の楽曲「ドーナツホール」についても語ってもらった。

取材・文 / 柴那典撮影 / 堀越照雄

もう少し瞬発的な、刹那的な生き方をしてもいい

──まずはアルバム「LOST CORNER」をリリースされて以降の心境について聞かせてください。8月のリリースからしばらく経っての実感はいかがでしょうか(参照:米津玄師1万5000字インタビュー|4年間の旅の先 たどり着いた失くし物の在処)。

アルバムを作り終わって晴れやかな気持ちでいたのは間違いないですけど、終わってひと息ついたような感覚はまったくなくて。アルバム曲のレコーディングが終わった翌週にまた次のレコーディングがあったんです。個人的な感覚としてはまだ怒涛の渦中にいる感じです。振り返れるような時間はあまり過ごしていないかもしれない。

──制作スケジュールがずっと立て込んでいるんですね。

そうですね。歳を取るにつれて「もっと働きたい」という意欲が増してきているような気がします。同時に、歳を取れば取るほど体感時間がどんどん短くなって、気が付いたら1年、2年経っている。「人生であと何曲作れるんだろう?」みたいな気持ちが大きくなってきているんですよね。もっといろんなものを作っていけたらいいなという感覚になってきている気がします。

米津玄師

──前のインタビューでも伺いましたが、「LOST CORNER」というアルバム、特に「地球儀」という曲を作ったことは、米津さんにとって人生レベルの大きな山を越えたような経験だったのではないかと思います。それを形にしたことで、荷を降ろしたというか、身が軽くなったというか、そういう変化はありましたか?

それはものすごくありますね。自分の人生において最大の出来事だったので。先のことはわからないですけど、少なくとも現時点においてはあの出来事に比肩するような体験はなさそうな感じがするんです。ある意味では余生というか、“その後の人生”という感じすらある。なので、目的を強く持って目指すべきところに向けて邁進していくというやり方じゃなくて、もう少し瞬発的な、刹那的な生き方をしてもいいのかなという気持ちがあります。そのためには自分の心情的にも軽やかさみたいなものが必要な気がする。これまで自分はずっとローギアで、沸々と何かを見つめて考え続けるような人生を送ってきていて。それはいまだに変わらないんですけど、もう少し軽やかさがあってもいいと思う。「STRAY SHEEP」(2020年8月発売の5thアルバム)も今聴き返してみるとものすごく重たさが宿っているように思うし、そこに対する反動として「LOST CORNER」があったわけで。この軽やかさみたいなものを、もっともっと軽くしていきたいっていう気持ちが今はあります。あまりもったいぶった生き方をしたくない。そういう感じかもしれないですね。

タイアップ先に育ててもらった感覚

──NHK連続テレビ小説「虎に翼」の主題歌である「さよーならまたいつか!」についても改めて聞かせてください。このドラマとこの曲は朝ドラ史上でも稀に見るほどの広がり方と愛され方をしたように思いますが、米津さんにとっては「さよーならまたいつか!」を作った経験はどういうものになりましたか?(参照:米津玄師「さよーならまたいつか!」インタビュー|“キレ”のエネルギー宿した「虎に翼」主題歌

おそらく自分が朝ドラの主題歌をやるのは人生において最初で最後だと思うんですけれど、それが「虎に翼」という素晴らしいドラマであったことは本当に光栄だし、幸運なことだと思います。これは「虎に翼」に限った話ではないんですけど、振り返って考えてみても、そういうタイアップ先に育ててもらった感覚がすごくあるんですよね。

──育ててもらった。

「虎に翼」で言えば、正直、主人公の寅子のモデルになった日本初の女性弁護士である三淵嘉子さんという方のことは、このドラマに関わるまではまったく知らなかったですし。フェミニズムや女性の地位向上についても、ここ10年くらいでその活動が大きくなってきたということは知っていたし、自分なりに調べたり見つめたりしてはいたものの、それでも結局どこか遠まきに眺めている部分がずっとあった。でも、このドラマに関わるうえで男性としての自分がどう介入していくか、そこをあやふやにしたままでいるととんでもないことになるというのは、曲を作る前からよくわかっていて。そういったことを踏まえ、自分なりに作品を見つめてできあがったのが「さよーならまたいつか!」という曲でした。そうすると、曲を作り終わったあともやっぱりその態度は残るわけで。曲を作ったことによって、そのときの回路が自分の中に残り続けるし、増幅していく。人生の一部になっていく。そうなると生活の中で見える景色も全然違ってくる。「さよーならまたいつか!」という曲を作ったことが、自分の人格を形成するうえでの大きな要因になってくれたという感じがします。それは「虎に翼」もそうだし、例えば「アンナチュラル」「MIU404」「ラストマイル」もそうで。タイアップ先と出会う前と出会ったあとの自分って、大きく違うような気がするんですよ。ここ最近、アルバムを作り終わったときにそういうことを思いました。

米津玄師

──タイアップは日本特有の文化とも言えますよね。アメリカやイギリスのポップミュージックのシーンと対比して考えると、例えばテイラー・スウィフトやビヨンセのようなアーティストが何かの主題歌を書き下ろすということは滅多にない。一方で、J-POPのカルチャーにおいてはメインストリームのアーティストがアニメやドラマや映画の主題歌を書くということが一般的になっている。かつ、米津さんの場合は、それが単なるセールスや認知度を得るための機会じゃなく、アーティストとしての内省の深まりとか視野の広がりみたいなものに結び付いている。これってすごく稀有なことなのかもしれないと思ったりしました。

社会性というものを獲得していくべきだと思ったんですよね。最初に自分の本名で自分の顔を出して歌うと決めたときから、他者に対する姿勢とか、他者からどう見られているのかとか、そういうものを見つめずには、少なくとも自分は生きていけなかった。それこそタイアップというのは日本のポップシーンにおいて、特にメジャーでやるならば付いて回るものだと思っていて。最初はそこに疑いを抱いたりすることもあったけれど、やっぱりこれは自分にとってものすごく重要なことだと思い知ったんですよね。いろんな作品や物語を他者と言い換えるならば、他者と自分を擦り合わせていって、どこまでが共通点なのか、どこまで突っ込めばハレーションが起きるのか、止揚するポイントはどこなのか、そういうことを常に考え続けてきた。タイアップというのはそういう文化。これは人と人との関わりとほとんど変わらないことであって。自分はタイアップやそういったものを通して社会の一員としての自覚をより強めていってるんじゃないかな、という感じはします。