音楽ナタリー Power Push - 八代亜紀×寺岡呼人
演歌の女王×J-POPの仕掛け人 新たに見出したブルース
生き様が乗った八代の歌声
──12曲のバリエーションに富んだブルース解釈の中で、やはり大きな軸になっているのが、八代さんのずしりとくる深い歌声ですね。歌の表現に関しては自然と出てくるものですか?
八代 自然ですよね。でもやっぱり詞に合うメロディじゃないと自然には乗せられないです。私いつも、メロディって大事だよって言うの。アレンジもね。
──八代さんは普段は明るくお話されていますけど、レコーディングのときはスパっとその曲に入り込むんですか?
八代 もうイントロで入りますね。
寺岡 ホントにイントロが鳴って声が出た瞬間に“八代亜紀”になってる。
八代 ブースに入ったら“八代亜紀”なんですよ。ブースを離れると“亜紀ちゃん”なの。「すごくよかったね」って亜紀ちゃんが八代亜紀を褒めてるの。
──ちなみに寺岡さんから歌う際のアドバイスは?
八代 寺岡さんはね、優しいから。「いいんじゃないですか」って言うだけ。
──歌う前に、事前に「こういうイメージで」とかそういうこともなく? お任せですか?
寺岡 まずリズム録りのときに仮歌を歌っていただくんですけど、基本的にそれがもう完璧なんですよね。なので、本番も安心して聴いてられるんですよ。あととにかく今回、1にも2にも、八代さんの歌に驚いたんです。僕もそれなりにいろんな人のレコーディングをしてきましたけど、ここまで歌を表現できる人はほかにいないなと。世の中に“歌がうまい人”はいっぱいいるし、実際そういう人のレコーディングは何人もやったことがあるんですけど、歌がうまいっていうのは、歌に感動するのとはイコールじゃないなってことに最近気付いて。歌がうまいから泣けるとか感動するとかじゃない。その奥に、何かもっとその人のアイデンティティだったり生き様のようなものがあって、それが歌に宿って初めて感動するっていうのを、今回まざまざと……。八代さんの歌のすごさは、相当なショックだったんです。
──刺激的なレコーディングだったんですね。
寺岡 はい。しかも歌入れがものすごく短時間なんです。最大1日5曲やったんですけど、僕らJ-POPの世代じゃ、もうあり得ないんです、その数って。速さと表現力はホントに驚きでしたね。
八代 だって1発目が一番いいんですよ。感覚もノリもね、イントロの感情で歌うわけだから。だってライブはそうでしょ。ライブは1発勝負でしょ?
寺岡 歌もその感覚でやってます?
八代 うん、そうなんですよ。「で、もうこれでよくね?」とか言っちゃって(笑)。あはは。
寺岡 あはは(笑)。
目指すはブルースファミリー集結の熊本音博!?
──八代さんはジャズアルバムとブルースアルバムを作ってこられましたが、次に作りたいものは何か見えてきましたか?
八代 次、見えてきたね。歌謡浪曲だね。どう? THE BAWDIESが作った平成歌謡浪曲。
寺岡 すごいですね、それ。
八代 あはは(笑)。
──逆に寺岡さんは八代さんに「この方向の歌をやってみてほしいな」というのはあります?
寺岡 僕はさっき言ったみたいに、マリーナ・ショウの「Who Is This Bitch Anyway?」のムードで昭和歌謡とかやったら絶対にいいものになるんじゃないかと思いました。
八代 いいですね。
寺岡 例えば「フランチェスカの鐘」もそうですけど、今回、改めて昔の曲の歌詞ってすごくいいなあと思ったんですよ。今はもう言葉を詰め込むだけ詰め込んで、でも何言ってるかわかんないっていう曲が多いんですけど、この時代の曲ってやっぱり行間があるなと。あんまり多く語らないんですけど、妙に残る。文字だけ見たらちょっとチープに見えても、そこにメロディが乗ったらものすごく粋になるとか、改めてそのよさに気付きましたね。
八代 いいですね。
──ちなみにお2人はライブでの共演予定はないんですか?
寺岡 こっち的にはぜひぜひという感じです!(笑)
八代 今後ね。THE BAWDIESも呼んでね。ブルースファミリーでどうですかねえ。
寺岡 いいですね。(横山)剣さんとか中ちゃんも呼んで。
八代 いいね。「熊本音博」(笑)。
収録曲
- St.Louis Blues
- The Thrill Is Gone
- 別れのブルース
- フランチェスカの鐘
- Give You What You Want(THE BAWDIES 提供楽曲)
- ネオンテトラ(横山剣 提供楽曲)
- 命のブルース(中村中 提供楽曲)
- The House of the Rising Sun
- 夢は夜ひらく
- Bensonhurst Blues
- あなたのブルース
- Sweet Home Kumamoto
八代亜紀(ヤシロアキ)
熊本県八代市出身の演歌歌手。15歳で歌手を目指して上京し、銀座でクラブ歌手として活動を始める。1971年にシングル「愛は死んでも」でデビューを果たし、1973年には出世作となった「なみだ恋」を発表。1979年発売の「舟唄」が大ヒットを記録し、1980年には「雨の慕情」で「第22回日本レコード大賞」大賞を受賞した。演歌歌手として確固たる地位を築きながら、一方で画家としても才能を発揮。フランス「ル・サロン展」に5年連続で入選し、永久会員となった。2010年にはデビュー40周年シングル「一枚のLP盤」を発表。2012年5月には小林旭とのデュエット曲「クレオパトラの夢」、10月には小西康陽プロデュースによる初の本格的なジャズアルバム「夜のアルバム」をリリースし、翌2013年3月にはニューヨークの老舗ジャズクラブ「Birdland」でライブを行う。その後初の学園祭出演などを経て、2015年10月、寺岡呼人プロデュースによる初のブルースアルバム「哀歌-aiuta-」をリリース。
寺岡呼人(テラオカヨヒト)
1968年生まれ、広島県出身。1988~93年にJUN SKY WAKER(S)のベーシスト兼コンポーザーとして活躍。バンド脱退後はソロでの活動を展開するとともに、他アーティストのプロデュースも行い、これまでゆず、矢野真紀、ミドリカワ書房、植村花菜、グッドモーニングアメリカらのプロデュースを手がけている。2001年より、自身が尊敬するアーティストや親交のあるアーティストをゲストに迎えコラボレーションを行うイベント「Golden Circle」を不定期に開催。2014年9月には通算14枚目となるオリジナルアルバム「Baton」をリリースした。