ナタリー PowerPush - 八代亜紀×小西康陽
演歌の女王、ジャズを歌う
感覚で歌っちゃう人なんでしょうね
──八代さんの歌の存在でがらっと世界が変わるという現象は、譜面には表れなくても、楽曲全体の仕上がりを左右するアレンジ作業のひとつになっていますよね。
八代 そうですね。セッションした、という感じはありますね。
小西 八代さんは譜面にもすごく強くて。
八代 いや、譜面は読めないんですよ。でも譜面を追いながら1回曲を聴くと、その曲の行き方がわかるんです。
小西 僕がアレンジを1小節分短くしたりすると、八代さんにはすぐばれちゃうんですよ(笑)。
──お話をお聞きしてると、シンガーとしてアルバムに参加されたというより、歌を歌うミュージシャンの耳でレコーディングをされているのがよくわかります。
八代 私はバックの演奏がすごく気になるんです。イントロとか、歌の中のリズムの間合いとか、そういうもので歌うタイプなので、ちょっと音が違ったり、テンポが違ってたりするとものすごく気になります。感覚で歌っちゃう人なんでしょうね。
八代さんに言われて「ああ、これってジャズになるんだ」と
──アルバム後半は日本の曲が中心になっています。アレンジの感じもリズム楽器がもっと入ってきて。これは、大まかにいうと前半は八代さんのやりたかったこと、後半は小西さんのやりたかったことなのかな、というふうにも思えたんですが。
小西 でもね、僕がリクエストして歌ってもらったのは最後の2曲「ただそれだけのこと」と「虹の彼方に」だけなんですよ。「私は泣いています」にしても「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」にしても、みんな八代さんとのお話の中から出てきた曲なんです。
──そうなんですか! りりィの「私は泣いています」とか、確かに当時ヒットした曲ですけど、今、八代さんが歌いたいと選曲されていたというのは興味深いです。
八代 ああいう歌ってリズムがね、いいんですよ。アルバムでも歌ったことはあるんですけど、ジャズのアレンジになったときにどうなるのかな、と思ったんです。
小西 僕も八代さんに言われて「ああ、これってジャズになるんだ」と思った。
──松尾和子さんの「再会」も八代さんの選曲なんですね。
八代 これも10代のクラブシンガー時代にリクエストが多かった曲なんです。クラブではリクエストされたらなんでも歌わなくちゃいけないでしょ。
──そう言えば、「虹の彼方に」を最初に八代さんが「自分の色の曲じゃない」とおっしゃってたときに、小西さんが、松尾和子さんの「再会」の歌詞と通じ合う部分があるからこの曲をアルバムの最後にしたいとお願いしたというやりとりがあったそうですね。
小西 「虹の彼方に」の歌詞って「いつか小さな鳥が虹を超えて遠くへ行けるのなら、どうして私にもそれができないんだろう」っていう歌詞じゃないですか。これって「再会」の歌詞と表裏一体だなと思って。
八代 そうですね。
小西 この2曲に共通点があると思ったから「虹の彼方に」を歌ってほしくなったんです。
八代 そうですね。でも「虹の彼方に」は大人から離れたメルヘンの歌じゃないですか。そういう意味では、八代亜紀が歌ってきたドロドロの女心の感じからすると、メルヘンでおりこうさんな感じの歌ですよ。今回、歌ってほしいと言われたときも「この歌が私に合うのかな?」って思ったんですよ。
小西 八代さんが歌うことによって、この歌詞に深いものが出ると思いました。ビリー・ホリデイ的な何かが出るんだろうと。
八代 それでね、いざ、私が「ラルラルララー」って感じでかわいく歌ったら、小西さんがね「……あの、かわいいです、それ。でも、かわいくないほうがいいんです」って!(笑)
小西 よく覚えてますね(笑)。
──そういう意味でいうと、もう1曲の小西さんのリクエストである笠井紀美子さんの「ただそれだけのこと」のカバーにも、選曲といい、アレンジといい、お2人が勝負しあってる感じがありますね。
小西 ユニバーサルの役員室で、最初に全ての曲のキー合わせをしたんですよ。そのときにピアノ1台だけで八代さんがこの曲を歌って、僕はそれを横で聴いてたんですけど、もう鳥肌が立ちましたよ。最高でした。
八代 そうでしたっけ(笑)。
テクニックも表現力を超えて「かわいい人」
──小西さんから見て、八代亜紀という歌い手の一番すごいと思わされたところはどこでした?
小西 やっぱりテクニックも表現力もすごいし、レパートリーにしても、キー合わせにしてもすごくご自分を知ってらして、すべて完璧に準備してきてくださるんです。いろんなこだわりも100%自分の力を出すためとして納得できる。でもね、それを超えて言いたいのは、なんというか……かわいい人なんですよ(笑)。
──例えば、歌入れのときはスタジオの照明を暗くしてとか、そういうタイプではなくて?
八代 ないです(笑)。わあわあ言いながら「はい、いきましょ!」って感じで歌います。音楽が始まったら、もう全然問題ないんです(笑)。だって、今回のレコーディングでも、スタジオでもみんなが出入りする通路みたいなところで歌ってたんですから(笑)。
小西 あそこに魔法があるんですよ、きっと(笑)。
──このアルバムは世界配信も大規模に行なわれます。だから、日本以外の人にこれがどう聴かれるか興味があります。それに八代さんが英語で歌っているのを聴いていると、普通に英語でジャズソングを歌っている人よりも歌詞の中身が伝わってくるような説得力がありますよ。
八代 本当ですか? どうしよう、小西さんうれしい。
──英語の歌詞の歌い方で気をつけられたところはありますか?
八代 アレンジとかメロディとかが合っていれば、歌詞が英語でもそういう感情に自然となるんですよ。
小西 僕なんかは世界中にいろんな国の人たちがいて、いろんな英語で歌っているレコードをたくさん聴いてるじゃないですか。アーサ・キットみたいに個性的な英語もあれば、フィリピン出身のヴァイ・ヴェラスコの英語もあるし。八代亜紀の英語は素晴らしいと思いますよ。
──英語だから正しく発音すれば全てOKじゃなくて、アジア訛り、日本訛りはあっていいですよね。アメリカに行くとメキシコ人やアジア人も堂々と訛りを隠さずにしゃべっていて、むしろそれが心地良く聴こえる瞬間が多いし。そういう意味でも、このアルバムで聴ける英語は、日本訛りというより八代亜紀訛りというか、八代さんの言葉にちゃんとなっているんです。
小西 そうそう。だから英語でジャズを歌ってる日本人シンガーってたくさんいますけど、ぜひ、八代さんのこの「夜のアルバム」を、ちょっと聴いてみてほしいですね。
八代 心が伝わるとうれしいですね。
──本当に素晴らしいアルバムをありがとうございました。ジャケットやブックレットのアートワークも素晴らしくて。
八代 LPレコードで欲しいですよね。アナログで欲しいって人、たくさんいますよ。
小西 ブックレットの最後に1枚だけカラー写真が入っていて、その八代さんがいいんですよ。
八代 あのピンボケしてるやつね! あれ、かわいいよね(笑)。
小西 実際のレコーディング風景はこんな楽しい感じでした、という(笑)。
──またぜひ、この続編をいつかお願いします。もっと歌いたい歌もいっぱい出てくると思うし。
八代 いっぱいありますね。ジュリー・ロンドンの「ラブレター」とかね。
小西 またやりたい。
八代 またやりたいね!(笑)
収録曲
- フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン
- クライ・ミー・ア・リヴァー
- ジャニー・ギター
- 五木の子守唄~いそしぎ
- サマータイム
- 枯葉
- スウェイ
- 私は泣いています
- ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー
- 再会
- ただそれだけのこと
- 虹の彼方に
八代亜紀
熊本県八代市出身の演歌歌手。15歳で歌手を目指して上京し、銀座でクラブ歌手として活動を始める。1971年にシングル「愛は死んでも」でデビューを果たし、1973年には出世作となった「なみだ恋」を発表。1979年発売の「舟唄」が大ヒットを記録し、1980年には「雨の慕情」で「第22回日本レコード大賞」大賞を受賞した。演歌歌手として確固たる地位を築きながら、一方で画家としても才能を発揮。フランス「ル・サロン展」に5年連続で入選し、永久会員となった。2010年にはデビュー40周年シングル「一枚のLP盤」を発表。2012年5月には小林旭とのデュエット曲「クレオパトラの夢」、10月10日には小西康陽プロデュースによる初の本格的なジャズアルバム「夜のアルバム」をリリースした。
小西康陽
1959年、北海道札幌生まれ。1985年にピチカート・ファイヴでデビューを果す。豊富な知識と独特の美学から作り出される作品群は世界各国で高い評価を集め、1990年代のムーブメント“渋谷系”を代表する1人となった。2001年3月31日のピチカート・ファイヴ解散後は、作詞・作曲家、アレンジャー、プロデューサー、DJとして多方面で活躍。2009年にはニューヨーク・ブロードウェイで上演された三谷幸喜 演出・脚本のミュージカル「TALK LIKE SINGING」の作曲・音楽監督を務めた。2011年5月には「PIZZICATO ONE」名義による初のソロプロジェクトとして、アルバム「11のとても悲しい歌」を発表。2012年10月10日発売の八代亜紀「夜のアルバム」ではアルバムプロデュースおよびアレンジを担当した。