ナタリー PowerPush - 矢野顕子、忌野清志郎を歌う
「ひとつだけ」は彼のための曲
──アルバムのラストには清志郎さんと2人で歌った「ひとつだけ」も収録されていますね。この曲は矢野さんの中でも特別な曲だと思うんですが。
そう。彼と一緒に歌ってるとき「この曲は彼の曲だ、彼のために書かれた曲なんだ」って思ってましたからね。
──そうなんですか?
違いますよ。元々はアグネス・チャンに書いた曲だったので。
──ああ、そうですよね。
でも彼が歌っているときには、本当に彼が歌うための曲のように聞こえるじゃない?
──はい、2人が同じ方向を向いて歌っている感じがします。
そうね。ありがとうございます。
これでまた矢野顕子の世界が広がった
──今回この10曲を歌ってみて、改めて思ったことなどあれば教えてください。
「500マイル」と「多摩蘭坂」のトラックは、松本淳一くんっていう素晴らしい作曲家が作ってくれたんです。彼と一緒にできたのはうれしかったですね。これでまた矢野顕子の世界が広がったかな、と思いました。
──このバンドアレンジを松本さんが担当しているんですか?
そうです、彼のユニットで。オンド・マルトノっていう楽器とテルミンと彼のピアノと。その3人のバンドなんです。3人だけでこのサウンドを作ってるんですね。
──弾き語り部分のミックスは吉野金次さんですね。
はい。
──そこはもう阿吽の呼吸という感じで?
ええ。彼は日本で私はニューヨークでしたけど、彼は私のスタジオの構造をよく知っているので、ピアノをどの位置に置くか、マイクをどこに置くか、そういう細かい指示をしてくださって。その指示を聞いてアメリカ側のスタッフが録音して、1曲やるごとにファイルを日本に送って「これでいいですか?」って。
──すごいですね。
そうね。でも前回のレコーディングで、彼はスタジオのことをずいぶんよく知ってますからね。
ずっと友達でいられるような相手だった
──生前の清志郎さんの思い出なども少し聞かせていただけますか。
そうですね。彼、実はとてもいいお父さんでしたよね。子供たちのことを本当に愛してたしね。だけどもやっぱり思春期の子供たちからすれば「お父さんうぜえ」みたいなところもあったりして。そういうときはとても寂しそうにして……。
──そうなんですか?
そんなこともありました(笑)。
──矢野さんは清志郎さんとはしょっちゅう会ってたんですか?
いえいえ。1年に1、2回くらいだったと思う。
──会ったときにはどんな話をするんでしょうか?
もうほんとにいろんな話。あとはなんかこう……手紙をよく書いてましたね。私も彼も。その昔はファクスですけど。ひどい話もありますよ。
──というと?
相手のファクスの紙を全部消費させるの(笑)。くだらないこと書いて。彼の場合はほとんど絵ですけどね。あとは留守電もいっぱいになるまでぶつぶつ言ったりとかして(笑)。
──いいお友達だったんですね。
私は彼のこと小学校の同級生だと思ってましたから。
──それは清志郎さんが少年っぽいということですか?
いえ、小学生の同級生って自分が封印したい過去を全部知ってるじゃない? そんなふうに幼いときの気持ちのままで、ずっと友達でいられるような相手だってこと。何も打算がなくて、計算もなくて、こいつと付き合うことによってこういう利点があるな、とかそういうの全くない。そういう関係でしたね。
──アーティスト同士、音楽の話もしてましたか?
あんまりしなかったですね。普通の話のほうが多かった気がします。
──お互いの作品の感想なんかは?
ああ、そういうのはよくカードに書いて送ったりしましたよ。ちゃんといつも聴いてたから。
──清志郎さんからもらった感想で思い出深いものはありますか?
特にないです(笑)。でも私のことをすごく尊敬してくれてたし、とっても仲良くしてくれてたから。音楽的に褒め合うことなんて別に必要じゃなかったしね。ただ新しい曲を一緒に作ろうっていう約束をしていて、そのあと彼がちょっと風邪を引いてしまって、それができなかったのがちょっと心残りですかね。
──それはいつ頃のお話なんですか?
(癌が)再発する直前ですね。
──作れたら良かったですね。
うん、きっととってもいいもの作れてたと思いますけどね。
- ニューアルバム「矢野顕子、忌野清志郎を歌う」/ 2013年2月6日発売 / 3150円 / YAMAHA MUSIC COMMUNICATIONS / YCCW-10192
- ニューアルバム「矢野顕子、忌野清志郎を歌う」
収録曲
- 500マイル
- 毎日がブランニューデイ
- デイ・ドリーム・ビリーバー
- 誇り高く生きよう
- 雑踏
- 多摩蘭坂
- 胸が張り裂けそう
- 約束
- 恩赦
- セラピー
- ひとつだけ(矢野顕子 with 忌野清志郎)
矢野顕子 (やのあきこ)
1955年東京生まれのシンガーソングライター。幼少からピアノを弾き始め高校時代にはジャズクラブで演奏する。1972年頃からセッション奏者として活躍し、1976年にアルバム「JAPANESE GIRL」でソロデビュー。1979年から1980年にかけては初期YMOのライブメンバーも務めた。近年はrei harakamiとのユニット・yanokamiで新たな一面を見せるなど、そのチャーミングで独創的なスタイルは、後に続く世代のアーティストたちにも絶大な影響力を誇っている。2013年2月にはカバーアルバム「矢野顕子、忌野清志郎を歌う」をリリース。