シンガーソングライターの山猿が8月8日にCDで発表した最新アルバム「あいことば8」が、12月9日に配信リリースされた。
2019年にEPICレコードジャパンを離れ、インディーズレーベル・PAC DA RECORDZを自ら立ち上げ活動を行っている山猿。同レーベルではレコードショップを通さず、オフィシャルWebストアやライブ会場限定でCDを販売するという独自の流通を展開してきた。最新アルバム「あいことば8」も当初CDのみでのリリースだったが、このたび各音楽ストアでの配信が決まった。音楽ナタリーでは「あいことば8」配信開始に合わせ、山猿へのインタビューを実施。アルバム制作時のエピソードやコロナ禍での活動について語ってもらった。
取材・文 / 松永尚久
自分の作品は直接、手渡しで届けたいんです
──山猿さんは2019年にメジャーレーベルを離れ、インディーズレーベル・PAC DA RECORDZでの活動をスタートしました。活動や制作環境に変化はありましたか?
インディペンデントに戻って制作環境が変わった、ということはないですね。地元である福島で、好きな仲間たちと自由に曲を作っています。現在は誰かに頼ることなく、自分でライブ会場を押さえたり、一緒に制作したい人に声をかけたりして、楽しんで活動ができる環境を用意しています。だから子供の頃に戻った気分で、ワクワクしながら毎日を過ごすことができている。以前より充実感がありますね。
──作品の販売方法もCDショップなどの流通に頼らず、ライブ会場やオンラインショップを中心に展開されるようになりましたね。
自分が音楽活動の中で特に大切にしているのはライブなのですが、オーガナイザーに呼んでいただくのではなく、自らいろんな街へ行って会いに行くようにしていて。だからこそ、1人でも多くの方に自分の作品を手渡しで届けたいんです。終演後には必ず物販ブースに立って、皆さんの声を聞きながら自分の作品に対する思いを伝える。そういうつながりを大切にしたかったんです。
──一方で手渡しを大切にするスタイルをスタートさせた瞬間、国内で新型コロナウイルスが流行してしまいました。山猿さんもいろいろ思うことは多かったのではないでしょうか?
確かに、ひと言では言い表せられないくらいさまざまな感情が生まれました。その中でも特に「ファンの皆さんに会いたい」という思いが強くて。その願いがいつか叶う日を楽しみにし続けていましたね。
──そんな困難を乗り越え、徐々に有観客でのライブも行えるようになりましたが、近況はいかがですか?
つい先日、神戸の高校で今年初となる有観客ライブをやらせていただきましたが、楽しかったです。コール&レスポンスができない中、どうやって皆さんとの一体感を味わえるかを寝ずに考え、ハンドクラップや簡単なダンスを盛り込んだんです。一緒に踊ってくれた皆さんのキラキラした表情を見ていたら、改めて「音楽やっててよかった」と思いました。その日の夜は興奮して眠れませんでした。
──また2021年は、東日本大震災が発生して10年になります。本来なら多くの人に直接伝えたいことが多い1年だったと思います。
当時僕は被災して、半年間避難生活を強いられましたが、そのときに人とのつながりの大切さを痛感しました。恋人や友人、そして家族……当たり前のように交流していた人たちに会えない状況が続いたので、「人との絆を大切にしよう」と思えるようになったんです。僕はそれまで人見知りだったんですけど、震災後は近所のおじいさんやおばあさんとちゃんと目を見て挨拶したり、ご近所付き合いを意識するようになりました。それから10年が経過して、今度は新型コロナウイルスで大切な人に会えなくなって。改めて人とのつながりについて考えさせられましたね。
──自粛期間中はどんなことをされていたのですか?
ライブができない代わりに、とにかくたくさんの楽曲を制作しました。1日1曲くらいは作っていたかも。楽曲制作に集中できたからこそ、普段通りに生活できないことに腐らず、この状況を乗り越えることができたのかもしれないです。
リモートでの制作に移行したら、これまで以上に濃密な作品に
──その軌跡が最新アルバム「あいことば8」に集約されていると思うのですが、この作品は何かテーマを持って制作されたのでしょうか?
過去作ではまずどんな楽曲を作るか考えたり、テーマを設定したりすることが多かったんです。でも「あいことば8」は制作に入る前からたくさんの新曲が完成していたので、各期間で生まれた感情を純粋にパッケージしただけというか。自分の日記みたいなアルバムですね。ちょっと恥ずかしい気持ちもあるのですが、それを皆さんと共有した感じ。だから事前にテーマは設けませんでした。
──1日1曲ペースだと数多くの候補があったと思うのですが、どういう基準で収録曲をセレクトされましたか?
あまり意図みたいなものはなかったんですけど、改めて楽曲リストを見ると、四季の巡りを自然に表現できているなって。カレンダーのような作品になったと思います。
──これまでの作品と、制作方法やモチベーションで違いはありましたか?
特に新しい制作方法は取り入れていないですが、スタッフとリモートでやり取りすることは多かったです。各スタッフの住んでいる場所や環境がバラバラなので、コロナ禍以前から一堂に会して制作する機会を作るのが難しくて。月に1回くらいしかセッションできないことも多かったのですが、リモートなら柔軟に時間を設定できて、1日に数回集まることもできたり。そういう意味では、これまで以上に充実したレコーディングになったのかもしれないです。
──オンラインでありながらも濃密なセッションを繰り返して完成させたアルバムゆえに、どの楽曲も個性豊かですね。
確かにヒップホップ、ジャズ、ポップスなど、さまざまなジャンルを盛り込んだ作風になったかも。「山猿は枠にとらわれない音楽を追求するミュージシャン」であることを示すアルバムに仕上がったと思いますね。
純粋な“思い”を表現したからこそ、タイトルはいらなかった
──アルバムのオープニングを飾る「灰色 feat. ITACHI」は、行動が制限された世界で自分らしさ、大切なものを見い出そうとする心の動きを丁寧に表現した、ドラマチックなナンバーですね。
人間っていろんなしがらみがあって、そこで孤独や悩みを抱えてしまうこともあるはずで。そんなときは「空を見上げて、自分の好きだった風景や人のことを思い出すのかな」と考え、この曲を作りました。客演で参加しているITACHIは宮城で被災したラッパーで、住んでいた家が流されてしまったんです。そこは更地になって、今は工場が建っているんですが、彼と一緒に「震災前の頃に戻りたい」という思いを巡らせて生まれたのが「灰色」です。配信リリースした7月7日の七夕と同じく、1年に一度は大切な瞬間や人を思い出すようにしたい、という気持ちを込めています。
──この楽曲のミュージックビデオにはTikToker / YouTuberの孫亜妃さんが出演し、人気者が体験する光と影が表現されています。
彼女にはSNSを通じてコンタクトを取り、出演していただいたんです。究極のさびしがり屋たちに向けた歌詞だけでなく、数多くのフォロワーを持つSNSユーザーならではの悩みを描いたMVにぴったりだと思い、孫さんにオファーしました。孫さんだけでなく、今回アルバムやMVの制作に参加していただいた方はほとんど、僕がDMでオファーしたんです。
──「名前の無い歌」も、MVの再生数が1900万回を超えるほど話題を集めている曲ですね。
2020年は予定していたツアーをやむなく中止することになり、ファンの皆さんにも会えない状況が続き、心がモヤッとしていて。その心境を誰かに伝えたくて、即興で作った短いフレーズをSNSにアップしたところ、「この苦しい時代を一緒に乗り越えよう」とか「みんなも同じ状況の下で闘っていると感じて勇気が出た」など、たくさんのメッセージが届いたんです。その後「続きを聴きたい」というリクエストが殺到したので、知人のエピソードを参考に完成させました。その知人は海外に住んでいる、自分の大切な方と会えない状況が続いていて、彼の悩みを歌詞に反映しています。
──もともと楽曲にする予定がなく、ファンの方々からのリクエストを受けて作られたからこそ、「名前の無い歌」というタイトルを付けたのですか?
楽曲というよりは純粋に“思い”を表現した音楽……という感じの作品なので、無理にタイトルを付ける必要はないのかなって。聴いた人それぞれが自由に解釈してほしかったので、このタイトルにしました。
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多数の仲間たちが山猿のもとに集結