WOWOW「YELL JAPAN」特集|今のファンモンを詰め込んだ9年ぶりツアー

FUNKY MONKEY BΛBY'Sの全国ツアー「YELL JAPAN」の最終公演の模様が6月25日(土)20:00よりWOWOWで独占放送・配信される。

昨年、DJケミカルの後押しを受けてファンキー加藤とモン吉の2人体制で活動を再開したファンモン。「YELL JAPAN」はグループとしては約9年ぶりのライブツアーで、2月に彼らの地元である東京都八王子市のJ:COMホール八王子でスタートし、5月の東京・中野サンプラザホールまで全国12都市13公演が行われた。各地でメンバーは「Lovin' Life」「あとひとつ」「希望の唄」など代表曲の数々を披露して復活を待ちわびたファンの思いに応えつつ、2日間にわたる中野サンプラザホール公演では6月29日リリースの新曲「ROUTE 16」をいち早くパフォーマンスして、未来への展望もしっかりと見せてくれた。

音楽ナタリーでは、ツアーを終えたばかりのファンキー加藤とモン吉にインタビュー。「YELL JAPAN」のエピソードとツアーファイナルの見どころについて、たっぷりと語ってもらった。

取材・文 / 宮本英夫撮影 / 入江達也

ファンモン世代との再会

──「YELL JAPAN」ツアー、おつかれさまでした。振り返って、どんなツアーでしたか?(参照:「BABYSがいないとただのおっさん」ファンモンが全国にエール届けたツアー終幕、旅はまだ続く

モン吉 ホント、いいペースでやれましたね。最後だけ2DAYSでしたけど、基本的には週1の間隔でライブができたので、歌いすぎて喉を潰しても1週間あれば治るし、体調も元に戻るし、理想のペースで回れたツアーだったと思います。昔は忙しすぎて、「ここはどこ?」状態で、ファンへの感謝の気持ちだけでツアーを乗り切るみたいなこともあったんですけど、今回は1公演ごとにちゃんと集中してできたのがよかったです。今までで一番楽しいツアーでした。

「YELL JAPAN」東京・中野サンプラザホール公演より。(Photo by AYAMI KAWASHIMA)

「YELL JAPAN」東京・中野サンプラザホール公演より。(Photo by AYAMI KAWASHIMA)

「YELL JAPAN」東京・中野サンプラザホール公演より。(Photo by AYAMI KAWASHIMA)

「YELL JAPAN」東京・中野サンプラザホール公演より。(Photo by AYAMI KAWASHIMA)

ファンキー加藤 ファンの方々が長い間待っていてくれて、本当にありがたかったです。全国のBABYS(ファンモンファンの呼称)の皆さんが、「再結成してくれてありがとうございます」と言ってくれるんですけど、それは本当にこっちのセリフなんですよ。ライブ中のMCでも言ったんですけど、いくら僕らが声高らかに「再始動します」と言っても、やっぱりそこで待っていてくれる人がいないと、なんの意味もないことなので。例えば、昔小学生だった子が「初めて観ることができました」とか、その一方で小学生だった頃にお父さんに連れてきてもらってファンモンのライブを観た人が、今お父さんは定年退職して、自分は社会人になって、「今度はお父さんにチケットを買ってあげて、一緒に来ました」みたいな話もあって。

──いい話ですね。

ファンキー加藤 いい話なんですよ。ほかにもいろんな話を聞いていて、だから本当に……再始動するにあたって、いろいろごちゃごちゃ考えたり、迷ったりしましたけど、そういったBABYSの声がすべてかなと思います。来てくれた人たちの、それぞれの物語の中にファンモンの音楽があって。新生ファンモンとして初めてのツアーが終わって、第2幕をスタートできるのは、すごく喜ばしいことですね。自分たち以上に、来てくださるお客さんが笑顔でいてくれることが一番うれしかったです。

──僕の身近にもいましたよ。中野サンプラザに一緒に行った取材スタッフの若い男の子が、昔ファンモンのファンクラブに入っていて、「ライブを観るのは東京ドームぶりです」って(参照:「FUNKY MONKEY BABYS“最幸”の解散ライブ in 東京ドーム」)。

ファンキー加藤 そういう人がいるんですよね。再始動してから、「ファンモン世代です」と言ってくれる人がやけに多いんですよ。例えばテレビのディレクターになっている人とか、ラジオ局で働いている人とかが、「僕、実はファンモン世代なんです」って。そんな世代があったことすら俺たちは知らなかったんですけど(笑)。「学生のときにみんなでカラオケで歌ってました」とか、そういう人たちとの再会が本当にうれしいなって、シンプルに思いましたね。

FUNKY MONKEY BΛBY'S

FUNKY MONKEY BΛBY'S

ずっと支え合ってきた頼もしい存在

──2013年にFUNKY MONKEY BABYSが解散して以降はお二人ともソロ活動に専念していました。その間にソロツアーはありましたが、「YELL JAPAN」がファンモンとしては9年ぶりのツアーでした。準備のやり方は以前と変わりませんでしたか?

ファンキー加藤 変わらないですね。

モン吉 ただ、歌詞の覚えが悪くなった(笑)。

ファンキー加藤 前は3回スタジオに入ったら歌詞が体に浸透する感覚があったけど。今回は7、8回は入ったんじゃないかな。

モン吉 それでも、なかなか覚えられない。最後にはもう「これは本番にならないとわからないや」という感じでしたね。

FUNKY MONKEY BΛBY'S

FUNKY MONKEY BΛBY'S

──ソロのツアーと、ファンモンのツアーとでは気持ち的に違いますか?

ファンキー加藤 ソロのほうがピリピリするというか、マイナス思考になっていくような緊張感がありますね。それはやっぱり、責任が自分の肩に全部のしかかるから。でも去年の武道館(参照:新生ファンモンが嵐の船出、8年ぶりワンマンでファンに誓う「この先は解散なしです」)のときに思ったんですけど、ファンモンは2人で支え合うから、いい意味でリラックスして挑めるんですね。「YELL JAPAN」の大阪公演のときに、俺の喉の調子が悪くて、ソロだったら頭を抱え込んじゃう状況だったんですけど、今回は「モン吉、頼むわ」と。

──ああー。なるほど。

ファンキー加藤 それって、昔のファンモンがそうだったんですよ。例えばモン吉が腰が痛いとなると、俺と(DJ)ケミカルがいつも以上に前に出ていくとか、そういうところがあったから。しかも、その後のソロでやってきた経験もすごく生きていて、1人で大きな会場でのワンマンをちゃんと成し遂げてきたからこそ、今ファンモンの2人で「さあ、やるぞ」となったときに、いい形でステージに臨めているような気がしますね。本当に頼もしく思ってます。

モン吉 そんなふうに言っていただけると、ありがたいです。あと、今回のツアーで一番気がかりだったことと言えば、こんな状況(コロナ禍)だから、いつ中止になるかわからない状態だったこと。

FUNKY MONKEY BΛBY'S

FUNKY MONKEY BΛBY'S

ファンキー加藤 マジで、それだけは怖かったよね。俺、1人でホテルに2カ月ぐらい泊まってました。単身赴任ですよ。

モン吉 感染する可能性を考えて。覚悟が違うよね。カッコいいよ。

ファンキー加藤 それぐらい気合いを入れて臨んでいたことは間違いないです。ツアーが始まった2月って、ちょうど感染者が増えた時期じゃないですか。同業者だったり、お芝居の舞台だったり、「スタッフに陽性が出て中止」という話をたくさん聞いていたので。

モン吉 うちらはラッキーだったよね。

ファンキー加藤 でもね、俺たち以上にスタッフさんがすごくがんばって、いろいろと自粛してくれていたんですよ。そもそもライブのスタッフって、酒好きが多いじゃないですか。それなのに飲み歩くことも我慢して、俺らは俺らで、ライブが終わっても打ち上げなしで、楽屋のお弁当を食べて帰る。それぞれが自分の精一杯をやりつつ、ラッキーも重なって、1カ所も中止にならなかった。そこはホッとしました。

2022年6月12日更新