B'z×WOWOW特集レビュー第2弾|国民的な存在感を確立した活動中期を紐解く、B'z好き著名人の楽曲紹介も

B'zの結成35周年を記念した特集プログラムが5月よりWOWOWで放送されている。

6月に始まる5年ぶりの大型ツアー「B'z LIVE-GYM Pleasure 2023 -STARS-」を盛り上げるべく放送中の本プログラム。第2弾となる「B'z Live History Vol.2」では、1997年から2005年までのB'zのライブ映像が厳選して届けられる。音楽ナタリーでは、このプログラムの放送を記念したB'z特集を展開中。前回は1990年代初頭から中盤までの活動初期の歩みを振り返ったが(参照:B'z結成35周年特集WOWOW放送記念|快進撃はここから始まった──幾度もの変革を迎えた活動初期の歩みを振り返る)、今回は彼らが国民的アーティストとしての存在感を確立した活動中期の歩みをおさらいしながら、「B'z Live History Vol.2」の見どころを紹介していく。

また本特集公開にあたり、ピエール中野(凛として時雨)と本並健治が当時のB'zの楽曲の中から特に好きな1曲をセレクト。B'z愛あふれるコメントとともに紹介するので、そちらも合わせて楽しんでほしい。

文 / 西廣智一

10周年を目前にしてのソロ活動への挑戦

1990年代後半から2000年代半ばまでの約10年間は、日本の音楽シーンにおいて大きな転換期となるタームだったと言える。1997~99年は国内のCD売り上げがピークに達したタイミングで、この3年間は毎年ミリオンヒットシングルが10数作、ミリオンヒットアルバムにいたっては毎年20作以上という恵まれた時期でもある。しかし、2000年代に入るとCDの売り上げは少しずつ下降傾向を見せ、音楽の楽しみ方も携帯電話の着メロや着うた、あるいはPCでのファイル共有ソフトやデジタル配信へと移行し始めることになる。

5月20日放送の「B'z Live History Vol.1」では、B'zがブレイクを果たしてから幾度にわたる変革のタイミングを迎える1990年代初頭から90年代半ばまでを、ライブを通じて振り返ったが、6月10日オンエアの「B'z Live History Vol.2」では音楽業界が大きく移り変わる中でも決してブレることのなかったB'zのたくましさを、数々のツアー映像を通して確認することができる。今回のテキストでは番組内で紹介されるライブ映像に触れつつ、B'zが「B'zらしさ」を確実なものへと昇華させながらも、ライブ活動を通じて数々のチャレンジを重ねた1997年から2005年までの足跡を振り返りたい。

1996年の3~7月にライブツアー「B'z LIVE-GYM '96 -Spirit LOOSE-」を全国44会場で実施したB'zは、同年11月にミニアルバム「FRIENDS II」のリリースを挟みつつ、松本孝弘(G)と稲葉浩志(Vo)はそれぞれソロ活動に取り組むことになる。松本は5月に発売したアルバム「Rock'n Roll Standard Club」にも参加したメンバーとともに全国ツアーを行い、稲葉は翌1997年1月に1stソロアルバム「マグマ」を発表する。自身のルーツミュージックを気心知れた仲間たちとカバーすることで原点を見つめ直した松本と、B'zの中では表現しきれない側面をソロアーティストとして形にしようとした稲葉。1998年に控えたバンド結成10周年を目前に、この意欲的な活動は大きな手応えとなったことだろう。

ソロ活動の合間にもB'zとしての制作は続けられており、1997年3月には「FIREBALL」を発表。ヘビーさに特化しつつも彼ららしいキャッチーなメロディが施されたこの曲を携え、3、4月にはナゴヤドームのこけら落とし公演を含むキャリア初のドームツアー「B'z LIVE-GYM Pleasure '97 -FIREBALL-」を開催した。このツアーの模様は、今年3月に幕張メッセで行われたデビュー35周年記念イベント「B'z presents -Treasure Land 2023-」にて、「B'z LIVE-GYM Pleasure '93 -JAP THE RIPPER-」とともに完全版が上映されたことでも大きな反響を呼んだばかり。この2公演が記念すべきタイミングにフルバージョンで上映されたという意味でも、「B'z LIVE-GYM Pleasure '97 -FIREBALL-」は彼らにとって「B'z LIVE-GYM Pleasure '93 -JAP THE RIPPER-」と同じくらい忘れられないライブだったということだろう。

今回の「B'z Live History Vol.2」では、この「B'z LIVE-GYM Pleasure '97 -FIREBALL-」から多くの楽曲がオンエアされる予定だ。その中には派手なオープニング演出を用いた「FIREBALL」はもちろんのこと、当時未発表だった「Calling」(のちに音源化されたバージョンとはアレンジが異なるので、そちらにも注目)、さらには90年代初頭のデジタル色が強かった時代の楽曲も含まれており、表現者として、そしてエンタテイナーとして脂の乗った彼らのパフォーマンスともども、今の目や耳でも十分に刺激的な内容となっている。特に、90年代半ばのハードロック期を経たタイミングで奏でられる90年代初頭の楽曲群は、新たな輝きを放つものへと進化。そういった点も含めて、ツアー当時ロックバンドとして頂点に君臨するB'zがここから先どう進んでいくべきか、そのヒントもいろんな場面から見出すことができる重要なライブと言える。

「B'z Live History Vol.2」より。

「B'z Live History Vol.2」より。

確立された、国民的アーティストとしての存在感

このドームツアーで得た手応えを糧に、再びスタジオへと戻っていったB'zは、7月にリアレンジされた壮大なバラード「Calling」、10月にはハードロックとデジタルサウンドを融合させた「Liar! Liar!」とシングルを連発。そして約2年ぶりのオリジナルアルバム「SURVIVE」を完成させ、11月のリリース初週でミリオンを達成する。結成10周年を目前に、B'zの集大成的内容の本作に「SURVIVE=生き残る、生き延びる」というタイトルを付けるあたりにも、彼らのこの先に向けた強い意志を感じ取ることができる。

そして、アニバーサリーイヤーの1998年に突入すると、B'zはこの新作アルバムを携えた全国アリーナツアー「B'z LIVE-GYM '98 -SURVIVE-」を開始。アルバム同様「DEEP KISS」が1曲目を飾る本ツアーは、瞬間移動やステージセットの崩壊など、前年のドームツアーをさらに推し進めたエンタテインメント色の濃い内容で、ホール会場でのプレビュー公演を含め30万人以上を動員。ロックアーティストとしての圧倒的な存在感を、今回放送される映像から感じ取ってもらえたら幸いだ。

また、この年は「さまよえる蒼い弾丸」(4月)、「HOME」(7月)といったシングルのほか、初の公式ベストアルバム「B'z The Best "Pleasure"」(5月)および「B'z The Best "Treasure"」(9月)もリリース。ベストアルバムはそれぞれ500万枚以上、400万枚以上という驚異的なセールス記録を残すなど、節目にふさわしい華やかなトピックを数多く生み出し、この1年を通してB'zという存在がジャンルの枠を超えた国民的アーティストとして認められることとなる。

その後、松本と稲葉は再びソロ活動に取り組むことに。1998年12月には稲葉が1stソロシングル「遠くまで」を発表し、1999年3~4月には松本が初めてボーカルにチャレンジしたシングル「THE CHANGING」とソロアルバム「KNOCKIN' "T" AROUND」を立て続けにリリースし、それぞれ注目を浴びる。その一方で、B'zとしても26枚目のシングル「ギリギリchop」を6月に、通算10枚目のオリジナルアルバム「Brotherhood」を7月に発表。過去2作のアルバムではデジタルテイストも復調気味だったが、「Brotherhood」では打ち込みを一切使わず徹底的に生身のロックサウンドを追求し、Mr. Bigのビリー・シーン(B)とパット・トーピー(Dr)をゲストに迎えるなどこだわりの強い1枚に仕上がっている。そんな力作を引っさげたツアー「B'z LIVE-GYM '99 -Brotherhood-」には、音楽ライブ初開催となる横浜国際総合競技場(現・日産スタジアム)での2公演も含まれており、2日間で約14万人を動員する快挙を成し遂げた。

本プログラムでは、歴史的ライブの1つと言える横浜国際総合競技場の模様に加え、ツアー後に追加で行われた「B'z LIVE-GYM '99 -Brotherhood- Extra」からの楽曲もピックアップ。かつて「The 7th Blues」(1994年)で試みた形とは異なる、より洗練されたハードロックナンバーが奏でられる「Brotherhood」収録曲や、その延長線上にあるアレンジで奏でられる初期の楽曲から、アーティストとして成熟期に突入した松本、稲葉の大人の色気をたっぷり感じ取ってほしい。

「B'z Live History Vol.2」より。

「B'z Live History Vol.2」より。

ライブに対する飽くなき探求心

2000年代に突入して以降も、B'zの快進撃はとどまることを知らない。テレビドラマ「Beautiful Life~ふたりでいた日々~」の主題歌に使用された「今夜月の見える丘に」(2月)は、シングルとしてひさしぶりのミリオンヒットに。5月に「May」、7月には「juice」とシングルを連発し、夏にはアリーナ&スタジアムツアー「B'z LIVE-GYM Pleasure 2000 -juice-」を敢行する。そして、同年12月に11枚目のオリジナルアルバム「ELEVEN」を発表すると、翌年初頭には新規ツアー「B'z LIVE-GYM 2001 -ELEVEN-」をスタートさせる。これと前後してリリースされたシングル「ultra soul」も大ヒットを記録するなど、時代の変わり目を見事に乗り切ることに成功。特に「B'z LIVE-GYM 2001 -ELEVEN-」ではステージの左右に吊るした20tものアメリカ製トレーラーから大量のアルミ缶がなだれ落ちる奇想天外な演出も話題となり、豪快さと繊細さを併せ持つ楽曲群とともに独自のエンタテインメントを追求していく。さらに、この年は台北と香港でキャリア初の海外公演も実現させており、この経験が翌年のステップアップへの鍵となる。

FIFAワールドカップが日韓共同で開催され、どこかお祭りムードの強かった2002年。B'zは同年6月、国際サッカー連盟初のオフィシャルコンサートに出演し、彼らが子供の頃から憧れ続けたAerosmithと共演するという大きな夢を達成する。その余韻が残る中、7月には12thアルバム「GREEN」の発売と、新たなドーム&スタジアムツアー「B'z LIVE-GYM 2002 GREEN ~GO★FIGHT★WIN~」スタートとさらに前進を続ける。そして、同年9月には初のアメリカ公演が行われ、その模様はインターネットを通じて生中継された。世界中から日本へと視線が注がれたこの年、B'zは世界進出への足がかりを築き始める。

結成15周年を迎えた2003年のB'zは、アニバーサリーイヤーにふさわしい「B'z LIVE-GYM The Final Pleasure 2003 -IT'S SHOWTIME!!-」と初の5大ドームツアー「B'z LIVE-GYM 2003 -BIG MACHINE-」という2つのツアーを実施した。前者は過去の「Pleasure」公演のさまざまな思い出の演出が再現されるという、節目ならではの内容で、ツアーファイナルでは「B'z LIVE-GYM Pleasure '93 -JAP THE RIPPER-」以来10年ぶりとなる渚園での野外ライブも実現。千秋楽の9月21日は台風15号が襲来したものの、悪天候ぶりをまったく感じさせない白熱のステージが展開された。その断片は今回放送される映像でも確認することができる。そして、後者のツアーは当時の最新アルバム「BIG MACHINE」収録曲を中心に、モトクロスバイクのスタントショーが空中で繰り広げられる衝撃の演出も用意。映像からも伝わる迫力あるパフォーマンスは、ファンならずとも必見だ。なお、B'zはこの年にも北米5都市でのUSツアーを敢行している。

大規模なツアーを終えた2004年は松本、稲葉ともにソロ活動に注力。B'zとしても「BANZAI」「ARIGATO」とシングルを発表するも、この年は初めてバンドとしてのライブが1本も行われなかった。しかし、2005年に入るとB'zの活動が再び活発に。3月にシングル「愛のバクダン」、4月にアルバム「THE CIRCLE」を発表すると、5カ月におよぶロングツアー「B'z LIVE-GYM 2005 -CIRCLE OF ROCK-」をスタートさせる。ホール、アリーナ、ドームとさまざまな規模の会場で公演を行う本ツアーでは、アリーナおよびドーム公演で初めて円形ステージを採用。さらに、ドーム公演ではステージが時速20kmで回転する演出も用いられるなど、ライブに対する飽くなき探求心が垣間見える内容となっている。この特別な演出も本プログラムで紹介されるので、楽しみにしていてほしい。

音源や作品ではB'zサウンドをどんどん深化させ、ライブでは規模感が大きくなるのに合わせて演出面を強化させていった90年代後半から2000年代半ばのB'z。その真摯な姿を、「B'z Live History Vol.2」を通してより深く理解してもらいたい。

ピエール中野(凛として時雨)と本並健治が選ぶ、
1997年から2005年までで一番好きなB'zの楽曲

ピエール中野

ピエール中野

「ギリギリchop」

「Brotherhood」のドキュメンタリーが大好きで、B'zも自分たちと同じようにバンドの作り方してるんだと衝撃を受けて、もっと自分も頑張らなければダメだ!となったのをよく覚えてます。「ギリギリchop」がリリースされて、まさにロックバンドをこれでもかというくらいやりきっていて、周りのバンドマンからの評価も変わっていきました。アルバムとシングルでリズム隊が違っていて、どちらにも特徴と良さがわかりやすくあって、そういった取り組みをしてくれるのがドラマーとして嬉しかったですし、聴き比べに胸をときめかせてました。「ギリギリchopに意味なんかねーんだよ!」とライブで言い放つ稲葉さんもカッコ良かった。そうそう。B'zと言えば、夏フェスで、舞台監督さんが袖でみんな観ていいよってバックステージの出演者に声かけてくれて、超間近で観させてもらったんですが、一生忘れられないライブになりました。そういった心意気を通してくれるチーム全体の空気も大好きです。

プロフィール

ピエール中野(ピエールナカノ)

埼玉県越谷市出身のドラマー。2004年に凛として時雨に加入し、2008年12月にシングル「moment A rhythm」でメジャーデビューを果たした。自身のバンドでの活動のほか、GLAY、星野源、ももいろクローバーZなどのレコーディング作品に参加。近年では自身監修のイヤフォン「ピヤホン」の開発に携わるなど幅広く活躍している。

本並健治

本並健治

「FIREBALL」

1997年にガンバ大阪からヴェルディ川崎に移籍し、思うようなプレイが出来ず悩んでいたときにこの曲に出会いました。
「夢のもとへ そして自分のもとへ」という歌詞が、「夢に向かって、ゼロからスタートしてみろよ!」というメッセージに聞こえ、背中を押されて自分のプレイに立ち返るきっかけにもなりました。
現役時代、B'zさんの曲には度々勇気付けて頂きましたが、その中でも、とくに悩んでいた時期に背中を押してくれた、大切な曲です。

プロフィール

本並健治(ホンナミケンジ)

1986年に松下電器産業サッカー部に入団し、Jリーグ発足後はガンバ大阪の選手として活躍。1994年には日本代表にも招集され、国際Aマッチに3試合出場した。1997年にヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)へ移籍し、2002年に現役を引退。引退後はコーチや監督、解説者として活動しているほか、近年はバラエティ番組への出演など活躍の幅を広げている。


プロフィール

B'z(ビーズ)

松本孝弘(G)と稲葉浩志(Vo)により1988年に結成され、シングル「だからその手を離して」とアルバム「B'z」の同時発売でデビューを果たす。1989年に「BAD COMMUNICATION」のヒットで注目され、翌1990年に発表した「太陽のKomachi Angel」が初のチャート1位を記録。また1991年に発表したシングル「LADY NAVIGATION」が100万枚を超えるセールスを記録し大ブレイク。その後現在まですべてのシングルが1位を獲得し、歴代シングル首位獲得数、アーティストトータルセールス数などで歴代1位の記録を更新している。2007年にはその功績が認められ、アメリカのHollywood's RockWalkの殿堂入りという快挙を成し遂げる。またエンタテインメントショーさながらの派手なパフォーマンスに定評があり、ライブはホール、アリーナ、ドーム、スタジアムなどあらゆる会場で開催されている。2023年3月にデビュー35周年記念イベント「B'z presents -Treasure Land 2023-」を開催。6月より5年ぶりの大型ツアー「B'z LIVE-GYM Pleasure 2023 -STARS-」がスタートし、7月12日には通算54枚目となるニューシングル「STARS」を発売する。