BABYMETALが千葉・幕張メッセ国際展示場で行ったワンマンライブ「BABYMETAL RETURNS - THE OTHER ONE -」の模様が、WOWOWプライムで3月25日20:00より、WOWOWライブで4月7日21:00より放送される。
BABYMETAL初のコンセプトアルバム「THE OTHER ONE」の発売を前に、1月28日と29日の2日間にわたって行われたこのライブ。2021年10月以来、ライブ活動を“封印”してきた彼女たちはこの幕張メッセ公演で、1年3カ月ぶりにその封印から解き放たれた。
音楽ナタリーではライブの放送および配信に先駆け、BABYMETALを長年追ってきたライターの柴那典と西廣智一の対談をセッティング。会場でライブを鑑賞した2人は公演を振り返り、BABYMETALの音楽と出会ったきっかけやパフォーマンスの魅力についても存分に語った。
文 / 西廣智一
「とんでもないものが始まったぞ!」「面白くなりそうだな」
西廣智一 柴さんが最初にBABYMETALのライブを観たのはいつ頃でしたか?
柴那典 最初は「I、D、Z」シリーズの、初めて生バンドと一緒にやったタイミングなので、O-EASTだったはずです(2012年10月6日に開催された「I、D、Z ~ LEGEND "I"」。参照:白塗り生バンドも登場!BABYMETAL初ワンマン大成功)。これは西廣さんもずっと観てきていらっしゃるのでご存知だと思いますが、BABYMETALのライブってその時々のメンバーの状況や成長度合い、現実社会、あとはメタルをモチーフにしたおとぎ話や神話のような世界がごちゃ混ぜになって進んでいくという、現実と虚構が常に交錯している感じがあって。「おお、これはとんでもないものが始まったぞ!」と強く感じられたのが、NHKホール(2013年6月30日開催の「LEGEND “1999” YUIMETAL & MOAMETAL 聖誕祭」)だったと思います。西廣さんが最初に観たのはいつ頃でしたか?
西廣 僕は当時、音楽ナタリー編集部に在籍していて、結成から間もない重音部(さくら学院の“部活動ユニット”)をきっかけに、今のBABYMETALを知りました。ライブに関しては2012年に入ってすぐの、SHOW-YAなどが出演したイベント(「WOMEN'S POWER 20th Anniversary」)。そこで「これは面白くなりそうだな」と感じ、夏に目黒鹿鳴館での単独公演(参照:BABYMETAL、メタルの聖地で「コルセット祭り」開催)を観てその思いが確信に変わりました。
柴 結成は2010年ですけど、本格的に歴史が始まったのは鹿鳴館からという印象が強いですよね。
西廣 ファンタジー的なコンセプトとメンバーがステージ上で話さずに“物語”が進行していくスタイルが、鹿鳴館を起点に始まった印象もありますし。特に日本ではこの20年ほどで映画「ハリー・ポッター」シリーズや「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズが大ヒットしたことも手伝い、ああいったファンタジーの世界がごく当たり前のものとして受け入れられるようになった。その土台があったからこそ、BABYMETALの物語も子供騙しとして切り捨てられることなく、そのストーリー性を含めて楽しめるグループが登場したと、広く愛されるようになったのかなと。加えて、キャラクターのかわいらしさとライブ会場で起こっているモッシュの嵐、そういう非日常と現実との対比もまた面白かったのかなと思うんです。
柴 そうですね。2010年から2012年くらいの、あの当時においても異質なものだったように思います。
西廣 アイドル文化に照らし合わせても、その時期というのはまさに「アイドル戦国時代」と呼ばれ始め、アイドルの表現の幅もどんどん広がっていったタイミングともリンクしていて。中でもBABYMETALは誰もが思いつきそうで実現できていなかった「アイドル+ヘヴィメタル」というコンセプトに、かなり本気で取り組んでいた。結果、アイドルファンからも面白がられ、メタルサイドからも興味を持たれたわけですものね。
柴 本当にその通りだと思います。
西廣 これまでの十数年の歴史の中で、BABYMETALには先の鹿鳴館を筆頭に数々のターニングポイントがあったと思います。
柴 僕は現地で観ることはできなかったんですが、メンバーはやっぱり2014年夏の「Sonisphere」(イギリス・ネブワースで開催された野外フェス「Sonisphere Festival UK」)が大きなターニングポイントだと言うんですよね(参照:BABYMETAL、イギリスの大型フェスでMetallicaらと競演)。なので、まずは「Sonisphere」に至るまでの、生バンド編成で修行していく一連の流れがあったと思います。そもそもあの音圧の中で全力で歌って踊ること自体、体力的にもしんどいでしょうし、その中であれだけのショーを成立させるという構築期だった。そこからいろんなフェスに出ていって、2013年のサマソニ(「SUMMER SONIC」)までは本当に成長と呼ぶにふさわしいものだったと思います。そして2014年3月の初めての武道館(参照:BABYMETAL、初武道館初日は1万人コルセット祭り)が成長期における1つの到達点。そして、「Sonisphere」から2016年9月の東京ドーム(参照:BABYMETAL、純白の海に沈んだ東京ドームで5万5000人が“THE ONE”に / BABYMETAL第4章、11万人が目撃した東京ドーム公演で堂々完結)までが、海外での人気の広まりとともに、ある種の風格というか、凄味みたいなものが芽生えていく時期だった。そこから広島の「LEGEND - S - 洗礼の儀 -」(参照:BABYMETAL、新たな時代の幕開け飾ったSU-METAL凱旋公演2DAYS)へと至るところで、再びターニングポイントを迎える。この公演を境に、挑戦の日々に突入した印象もありますよね。
西廣 その挑戦がコロナ前まで続くという。コロナ禍に入る前の日本公演、2020年1月末の「METAL GALAXY WORLD TOUR IN JAPAN EXTRA SHOW LEGEND - METAL GALAXY」はひとつ完成された感が強かったですね(参照:BABYMETAL「光の世界」描いた幕張1日目で新境地見せる新曲続々 / BABYMETAL「闇の世界」表現した幕張2日目、10周年迎える10月に“最終楽章”始動)。
やれることを全部やり切っている
柴 2017年の「LEGEND - S - 洗礼の儀 -」以降は、SU-METALとMOAMETALの2人でどうステージを成り立たせて、このスタイルでのBABYMETALの最高の形をどう作り上げていくかが課題でしたし、その最高到達点が西廣さんのおっしゃる2020年1月の幕張メッセ公演だった気がします。そもそも2020年1月から2月って、世の中的にもその時期を境に大きなライブがほぼ行われなくなったので、あの頃に観たライブってすごく記憶に残っているんですよね。ただ、2020年1月に観たBABYMETALというのは、僕の印象としては「このまま華々しい先行きがどんどん待っているのだ」というよりは、どこか終わりに向かっているような印象もありました。その後の世界ツアーも決まっているんだけども、ちょっと不穏な感じも最後にあった記憶があります。
西廣 確かに。あの公演って使用されたLEDスクリーンの大きさも特に印象的で、そこに映し出されるSU-METAL、MOAMETALのビジュアルの美しさにも圧倒されたことをよく覚えています。しかも、最後に(サポートメンバーの)アベンジャーズ3人が全員登場して5人でパフォーマンスもしましたよね。あそこで僕も収束に向かっているのかなという印象がありました。これは言い方が難しいですが、僕自身BABYMETALってそんなに長続きするグループではないと思っていて。だから、どこで幕引きをするのかを常々意識しながら観ていたので、あの幕張公演では最終章に向けて進み出したのかなという印象を受けました。
柴 だから、コロナ禍がもし訪れなかったとするならば、その世界線では結成10周年の2020年10月10日に何かが行われて(「METAL RESISTANCE EPISODE X」と銘打ち“最終楽章”を始動する予定だった)、それによって先行きがどうなるのかという運命の分岐点があったんじゃないかと思うんです。少なくとも2020年初頭のBABYMETALはいろんなチャレンジをしていた。それはアベンジャーズの取り組みやライブの演出もそうだし、アルバム「METAL GALAXY」(2019年10月リリースの3rdアルバム)でいろんなジャンルにトライしたこともそうだし、やれることを全部やり切っているイメージはありました。
西廣 BABYMETALに限らず、コロナによって先々予定していたことがすべて延期、変更になり、想定していた形とは違ったものになってしまったケースはかなり多かったと思います。特にBABYMETALの場合は、結成10周年のアニバーサリーを2020年にどんな形で迎える予定だったのか、今となってはわかりません。しかし、結果として活動が2021年まで続いたことでメンバーやスタッフさんにいろいろ考える余地が生まれたはずで、特にライブ活動の封印を発表した2021年10月からここまでの流れというのは、それぞれがBABYMETALと向き合う時間にもなったんじゃないかと思うんです。
柴 実は先日、メンバーにインタビューをしていて、その中でSU-METALとMOAMETALが言っていたのは、東京ドームを終えた時点で「10年はなんとか走り切ろう」とチームの中で意識が統一されていたということ。だから、今の2人体制になったときもなんとか強い気持ちを持ってやり切ろうと考えていたそうなんです。2021年の武道館10公演(参照:BABYMETALの“METAL RESISTANCE”、結成10周年記念の武道館公演で終幕)もコロナ禍で本当にライブができるかという葛藤もありながら、とにかくそこをやり切ってBABYMETALの活動に区切りをつけようという全員の共通認識があった。だから、西廣さんがおっしゃったようにBABYMETALというのはある時期から「これはいずれ終わるプロジェクトである」ということを意識させるようになっていたし、その中でとにかく全力で走り続けることが最初の10年だったんだろうなと、今改めて思います。だから、武道館をやり切ったあとに2人が「もうBABYMETALを終わりにしたい」と言っていたら、そこで本当に終了していた可能性もあったかもしれないなと思ったりもします。
西廣 よくも悪くも、コロナによってこの3年ですべてが変わってしまったんですね。特にBABYMETALのライブにおいては、お客さんの声援やコール、シンガロング、モッシュなどを通じてステージ上とフロアとが一緒に熱量を高めていくことが醍醐味のひとつだったので、2021年の武道館では本来の魅力をどこまで引き出せるのかも課題でした。
柴 そうですね。僕はあの時期、ライブ会場に足を運ぶことができなかったんですが、ご覧になっていかがでしたか?
西廣 正直に言うと、どこか足りないものが常に付きまといつつ、その足りないものをどうにか補おうと向き合い続けた10公演だったのかなと。それは、お客さんの声援やコールを過去のライブ音源から引っ張ってきて、それをライブに重ねて臨場感を出したり、先日の幕張公演でも来場者に配布していた「Savior Mask」なるフェイスマスクをドレスコードとして設定することで、お客さんと一緒にライブの世界観を作ろうとする試みだったりする点からも強く伝わりました。かつ、2公演ごとにセットリストを変更する中で、BABYMETALとして今やれることを全部やっておこうとする姿勢も見え隠れして、僕の中では「この10公演でBABYMETALとしてすべてを出し切るんだな」という感触もあった。なので、物足りなさはゼロではなかったものの、BABYMETALのステージを観ることができるという喜びのほうが勝っていたかもしれません。
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