音楽ナタリー Power Push - WATARU
これが俺の“アイランドミュージック”
O-Shen、超いいじゃん!
──WATARUさんにとって、ルーツとなった音楽はなんだったんでしょうか。
ハワイで聴いた音楽ですね。家族旅行でハワイに行ったんですけど、車のラジオで流れてきた音楽がすげえよかったんです。すぐにCDがないか探しに行ったんですけど、題名がわかんなかったから見つけられなくて。それで違うCDを手にしたら、それがO-Shenのアルバムで、もうドハマリ。「超いいじゃん!」ってなって、日本に帰ってからも朝飯食ってる間ずーっと聴いてて、ハワイ語も耳コピしてましたね。
──ちなみに、ラジオで聴いた音楽って見つけられましたか?
そのあとすぐに見つかって、トレイシー・チャップマンの「Baby Can I Hold You」だったんですよね。でも初めて聴いたのは'Ale'Aがカバーしたバージョンで、こっちはなかなか見つからなかった。
──高校時代に始めた音楽活動ですが、どんなふうにスタートを切ったんでしょう?
17歳あたりからラップをやりはじめて、渋谷とか六本木でパーティを開くようになったんです。ちょうど当時、自分たちでパーティを企画するのが流行ってて、サークルのパーティ券を配ったりね。
──企画自体もご自身で担当されていたんですね。
自分たちで企画してイベントをやってる友達が多かったんです。一緒にチケットをバラまきつつ、ハコを借りる方法とか知って周りとイベントを企画したり、自分だけでやってみたり。内容はヒップホップメインで、自分でオーガナイズしたイベントでは自分がトリで出てたんです。GarageBandで作ったオケを流してライブをやって。ギターも少しだけ弾けたので、それを録ってループさせて歌ったりもしました。
別れを乗り越えて
──音楽活動は何人で行ってましたか?
最初は2人組だったんですよ。当時俺は渋谷でギャングぶってて、相方は埼玉のほうでチーマーみたいなことをしていて(笑)。当時お互い揉めてて、仲が悪かったんですよね。で、一悶着起こしたあとに、俺は高校を転校する機会があったんです。そしたらそいつ、転校先の先輩だったんですよ。すげえ気まずかった(笑)。でもそこから仲よくなって、一緒に歌うことになって。それが高校2年ぐらいのときでしたね。ただ2年ぐらいで、活動方針の衝突があって別れました。
──別れたあとは1人で?
1回音楽活動はストップしたんです。再開するとしたら別の人と組むつもりだったんですけど、ある日「自分1人でできるんじゃねえか?」って思い立って、ソロでまた楽曲を作り始めました。2人でやってた曲も1人用に作り直したし。ライブは年3、4回ぐらい企画して、対バンで呼んでもらったり。
サーフィンの魅力は深すぎて言い切れない
──WATARUさんはサーファーとしての活動も勢力的ですよね。サーフィンを始めたきっかけはなんだったんでしょう。
空手の道場にサーフショップを経営している人がいたんです。その人がロングボードを持ってきて、試しに乗ってみるよう言われて。それでボードの乗り方を練習したら「今度一緒に行こう!」って誘ってくれて、小学校3年のとき千葉の外房でサーフィンをやってみたんですよね。それが最初です。面白かったし、サーフボードもウエットスーツもカッコよくて。でも車の運転ができなかったから、当時は年に1、2回ぐらいしか海に行けなかったんです。そのあとハワイで現地のお兄さんに教えてもらって、どこまでも波に乗れるようになってからはもう楽しくて! 日本に帰ってからすぐ親父にボードを買ってもらいました。でも中学校2年のとき、ロサンゼルスで死にかけたんですよ。
──えっ!
めちゃくちゃ波がデカくて、泳いでも泳いでもボードに引っぱられて戻れなくなったんです。何度も波に飲まれて体力も限界が近付いてて、「これ死ぬわ」ってなるぐらいヤバい状況になって。それでボードだけ岸に流して危険を知らせて、ローカルの人になんとか助けてもらったんです。けっこう乗れるようにはなってたんですけど、波を乗り越えるっていう技術はまだなくて。
──命の危険にさらされても続けたい魅力とは?
深すぎて言い切れないんですけど、波って1回過ぎ去ったら同じものはないし、それを乗りこなせるかどうかの駆け引きで。だから波に乗れたらめっちゃ気持ちいいんですよ。あとは死にそうになってもそれを克服して、また波に挑むことに成功したときの達成感とか。景色もきれいだし、続けたい理由はホントにたくさんあるんです。
ローカルでのコミュニケーションを作品に
──WATARUさんは千葉に移住して活動を行っていますが、現地ではサーファー同士で交流する環境があるんでしょうか。
けっこう広いコミュニティがありますね。みんな面倒見がよくて救われましたし、あったかい人たちばっかりです。住み始めた当初は知り合いはいなかったんだけど、有名なサーファーに教えてもらいながらどんどん人脈を広げたんです。海にはルールとか、縄張りがあるんですよ。で、それを守んないとケンカになる。
──サーフィンに対してはピースフルなイメージを持っていたので意外です。
もちろんそういう雰囲気はあるんですけどね。でも大会とか目標を持ってやってるやつもいるし、遊びでやってる人もいるから、そこでモチベーションの違いが生まれて、揉めごとが起こるんです。知り合いとかその縄張りの人と一緒にエリアに入れば、何かあったとき止めてくれますけどね。
──代表曲「Hawaii」のミュージックビデオにはWATARUさんと仲がよさそうな人が出てきますが、お知り合いですか?
彼らはハワイで俺にサーフィンを教えてくれた人です。もうお父さんとお兄ちゃんみたいな人で、本当の親父よりあったかい(笑)。それぐらい仲がよくて、家族同然に付き合ってます。彼らと過ごした日々が今の活動につながってますね。だからMVも現地で撮らなきゃダメだって考えてたし、ローカルでのコミュニケーションを作品にしたいって気持ちはありました。
自然じゃなくて、街で遊んでたんですよ
──東京から千葉に引っ越したきっかけは?
実家は広い森に囲まれてたんですけど、マンション開発で丸々森がなくなってしまったんです。家の周りの環境が変わり、結局デカいマンションだらけになって。気付いたら自然じゃなくて、街で遊んでたんですよね。まあスケボーとか好きだったからそれはやってたんですけど、街の遊びでは解消されなかったものがあって。それで免許を取ってからは行動範囲も広がったんで、自分で海に行ってサーフィンするようになったんですね。
──それがきっかけで、サーファーとしての活動が本格的に始まったんですね。
街の遊びにも飽きてたのかもしれない。思い返すと、俺はいつも自然の中で遊んでいたんですよ。親父がワケわかんないタイミングで「海行くぞ!」って誘ってくれたこともあったし(笑)。それがまた面白かったんです。親父の故郷も家の目の前に川が流れてて、竿を投げるだけで魚が食い付いたり。そういうふうに、自然の中で遊ぶことが自分の中に根付いてたんです。
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収録曲
- おしえて神様
- 同じ空の下
- わからねえよ
- Hawaii
- 波に乗ろう
おしえて神様、真夏のライブ3本勝負!
- 2016年7月21日(木)東京都 GARRET udagawa
- <出演者>
WATARU / アツヤキブルー / P*ROCK / セットラウンドリー - 2016年8月16日(火)東京都 GARRET udagawa
- <出演者>
WATARU / キャラメルパンチ / FRUITSEXPLOSION / RICHARDSON ZILLIS / tape me wonder - 2016年8月17日(水)東京都 下北沢CLUB251
- <出演者>
WATARU / 真田暎人 / sWan / and more
WATARU(ワタル)
1989年東京生まれ。幼少時から空手やサーフィンなどのスポーツに親しみ、高校時代に音楽活動を開始。ハワイアンレゲエやヒップホップ、R&B、カントリーの影響を受け、千葉・外房でサーファーとしての活動を行いつつ、自身の音楽スタイル“アイランドミュージック”を確立する。2016年より都内を中心にライブ活動を積極的に行い、6月には大阪・東京で無料招待制のワンマンライブを実施。7月に自身初の全国流通盤にあたるミニアルバム「おしえて神様」をリリースした。