2007年8月に初音ミクが発売されてから10年。その間に多くのボカロPたちがさまざまなアプローチで曲を書き、流行を作り、シーンを前に進めてきた。近年も「ボカロブームが衰退している」とまことしやかにささやかれる一方で、ナユタン星人が2016年4月に公開した「エイリアンエイリアン」、バルーンが同年10月に公開した「シャルル」など新世代のアンセムが生まれており、今のボカロシーンは新たなフェーズに突入していると言えそうだ。
8月発売の初音ミク10周年記念コンピレーションアルバム「HATSUNE MIKU 10th Anniversary Album『Re:Start』」に新曲「ひとごろしのバケモノ」を書き下ろした和田たけあき(くらげP)も、2017年のボカロシーンにおけるトップランナーの1人だ。2010年に初めて自作曲を投稿して以来、歩みを止めることなく新曲を発表し続けた彼は、活動6年目を迎える2016年2月に公開した「チュルリラ・チュルリラ・ダッダッダ!」が大ヒット。同曲のYouTubeでの再生数は、2017年9月時点で520万回を超えている。
音楽ナタリーでは今回、長年シーンを内側から見続け、現在第一線で活躍している和田に取材をオファー。彼の目から見たボカロシーンの現状について、忌憚なき意見を聞かせてもらった。
取材 / 橋本尚平・倉嶌孝彦 文 / 橋本尚平 撮影 / 草場雄介
- V.A.「HATSUNE MIKU 10th Anniversary Album『Re:Start』」
- 2017年8月30日発売 / U&R records
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初回限定盤
[CD2枚組+10周年記念イラストブック]
4212円 / DUED-1228 -
通常盤
[CD2枚組]
3240円 / DUED-1229
- DISC 1
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- アンノウン・マザーグース / wowaka feat. 初音ミク
- ヒバナ / DECO*27 feat. 初音ミク
- ボロボロだ / n-buna feat. 初音ミク
- Initial song / 40mP feat. 初音ミク
- 大江戸ジュリアナイト / Mitchie M feat. 初音ミク with KAITO
- リバースユニバース / ナユタン星人 feat. 初音ミク
- 快晴 / Orangestar feat. 初音ミク
- それでも僕は歌わなくちゃ / Neru feat. 初音ミク
- ひとごろしのバケモノ / 和田たけあき(くらげP) feat. 初音ミク
- 君が生きてなくてよかった / ピノキオピー feat. 初音ミク
- 神様からのアンケート / れるりり feat. 初音ミク
- Steppër / halyosy feat. 初音ミク、鏡音リン、鏡音レン、巡音ルカ、KAITO、MEIKO
- DISC 2
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- みんなみくみくにしてあげる♪ / MOSAIC.WAV×鶴田加茂 feat. 初音ミク
- Tell Your World / livetune feat. 初音ミク
- 千本桜 / 黒うさP feat. 初音ミク
- 初音ミクの消失 / cosMo@暴走P feat. 初音ミク
- ロミオとシンデレラ / doriko feat. 初音ミク
- 独りんぼエンヴィー / koyori(電ポルP) feat. 初音ミク
- カゲロウデイズ / じん
- from Y to Y / ジミーサムP feat. 初音ミク
- *ハロー、プラネット。 / sasakure.UK feat. 初音ミク
- BadBye / koma'n feat. 初音ミク
- オレンジ / トーマ feat. 初音ミク
- ハジメテノオト / malo feat. 初音ミク
ボカロが面白いのは「ボーカリストが一番偉い」じゃないところ
──初めてVocaloidと出会ったときのことから聞かせてください。
出会いって意味で言うと、「初音ミクというものが発売される」っていう記事をネットで見て、「ボーカルの打ち込みができるんだ。まあでも、どうせ機械っぽい声でたいしたことないんだろ」って思ったのが最初です。でもその後、ryo(supercell)さんの「メルト」を聴いて「えっ、ここまでできちゃうんだ!」ってすごく驚いて。ただ、その頃はまだ地元にいて。バンドでギターをやってたけど、ボーカルが10曲作ったら僕が1曲作る、ぐらいの頻度でしか曲は作ってなかったんですよ。
──あ、そうだったんですか。
しばらくして当時やってたバンドで上京したときに、僕はスタジオミュージシャンとして活躍しているギタリスト・西川進さんのローディーを始めたんです。いろいろ現場を回ったんですが、ある日の現場がryoさんの「君の知らない物語」のレコーディングだったんですよ。僕はその日、アンプが置かれてるブースのドアを開けてハウリングさせるという仕事をしてたんですけど(笑)、バンドのギタリストとして尊敬する西川さんとボカロPとして大好きなryoさん……表と裏って言ったら語弊がありますけど、自分にとっての音楽の神々がそこでつながった感覚があったんです。
──面白い偶然ですね。
そしてその直後に新木場STUDIO COASTでやっていた「ミクフェス 09'(夏)~初音ミク 2nd Anniversary~」を観に行ったんです。ryoさんのステージで西川さんがギターを弾いていたので、僕はアシスタントの日ではなかったんですけど入れていただけることになって。たぶん、ディラッドボードを使った初めての初音ミクのライブだと思うんですが、それを観て「すごくいいな」と思ったんです。まさかVocaloidでライブができるなんて思ってなかったし。
──今でこそ当たり前ですけど、当時は斬新でしたよね。
ミクはそれ以前になんとなく買ってはいたんですけど、「ミクフェス」をきっかけに本格的に使うことにしました。あと、それと同じぐらいのタイミングで、やっていたバンドがいろいろあってダメになるんですよ。バンドがなくなったことで自分から発信する手段がなくなってしまったので、当時バンドでやろうとして結局やれなかった曲をミクに歌わせたんです。それが1作目の「くらげ」です。
──初めてボカロ曲を投稿したときの感想は?
「思ったよりも聴いてもらえるんだな」っていう感覚と、「もっと聴いてもらいたいな」っていう悔しさがありました。再生数って意味では中堅ちょい下、1万にギリギリ届かないくらいだったんですけど、バンドやってたときのMyspaceでの再生数は100行けばいいほうだったから、それと比べると「わあ! すげえ!」って思って。でもやっぱり「ミクフェス」でのryoさんを思い出すと「もっともっと聴いてもらいたい」って気持ちもすごくありました。
──バンド畑出身の和田さんの目には、ボカロシーンはどう映っていました?
めちゃくちゃ面白かったです。ボカロシーンの一番面白いところって“ボーカリストじゃなくて、作曲者がアーティストである”っていうところなんです。自分はずっとバンドでギターを弾いてて、どうしてもキーはボーカルに合わせなきゃいけないし、音量もボーカルが最優先で。別に不満ってほどではなかったんですが「ボーカリストが一番偉い」みたいに見えてしまうことに違和感があったんです。ボカロだと、本来なら裏方だったかもしれない人たちが自分の名前を前面に出して活動してて、リスナーもその人を目当てに曲を聴いてるっていうのが新鮮で。そういう音楽って2017年の今になっても、ボカロかEDMぐらいしかないですからね。
自分を殺しまくった末に残ったのは、本当の自分だった
──「最初は再生数が中堅ちょい下」と言っていましたが、振り返ってみて、ボカロPとしての自分の転機はいつだったと思いますか?
転機になったのは、2014年11月に「モノクロアンダーグラウンド」っていう同人アルバムを作ったことですね。それまでは「もっと自分を表現したい」と思いながら、とりあえず自分の好きなものを作っていくという方針だったんです。でも「モノクロアンダーグラウンド」が自分の中ですごく納得のいくものになって。枚数はそんなに売れてないけど「もうこれ以上はないくらい、最高のものができた」っていう満足感があったんです。とは言え「やめたくないな、ボカロ好きだしな」という気持ちがあったので、「じゃあ、これからのボカロは余生だ」ってことにして、今後は自分のやりたいことではなく人のために曲を作ってみようと思ったんです。
──なるほど。
そのタイミングで名義を「electripper(くらげP)」から「和田たけあき(くらげP)」っていう表記に変えて、アルバムの中から比較的“人のために作ってる”と言うか、自分の意志を入れずに書いたフィクションっぽい曲を2曲投稿して。その次に、最初から完全に“人のために作る”という発想で「わたしのアール」を作ったんです。
──その結果「わたしのアール」には大きな反響がありました。自分がやりたい音楽と違うものを作った途端に注目されたというのは、複雑な思いもあったのでは?
ネガティブな気持ちはまったくなかったです。だって、人のために作ろうとしたものが本当に人のためになったわけですから。「だったら前の曲も聴いてくれよ(笑)」とは思いましたけど、うれしかったです。ただ、ほかの人だけのために作品を作るというのは、どんどん自分の表現欲を殺していくのと同じことなんですよね。で、「わたしのアール」に続いて「チュルリラ・チュルリラ・ダッダッダ!」「キライ・キライ・ジガヒダイ!」と曲を作っていくうちに、だんだん「自分を殺したはずなのに、こっちのほうが自分の本質なんじゃ?」って思えてきたんですよ。
──自分の本質とは?
自分を殺して殺しまくった末に、どうしても残ってしまった部分は、風刺的で皮肉っぽくて、社会をバカにしたような表現だった。それは自分がカッコいいと感じていた情緒的なものとは全然違うんだけど、実はそれこそ自分が本当に言いたいことだったのかもしれないっていうことに、だんだん気付き始めたんです。
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上がいなくなるってことは下にチャンスができるわけで