Vaundy「ホムンクルス / Gift」特集|劇場版「僕のヒーローアカデミア」主題歌2曲を前後編インタビューで語り尽くす (3/4)

【後編】「Gift」で描いた「ヒロアカ」の根幹

「ヒロアカ」という作品に送る「Gift」

──「ヒロアカ」劇場版の主題歌を担当することを発表したとき、「ヒロアカのキャラクターたちにどういうふうにエールを送ってあげられるか考えて、僕なりの回答を込められたかなと思います」とコメントしていました。エールを送るというのは、どんな思いだったんでしょうか?

どっちかと言うと、エールを送ったのはエンディングの「Gift」のほうなんですよ。オープニングの「ホムンクルス」は前に話したように構造的であり、映画の趣旨に合わせて作った状況説明の曲なので。エンディングにすべてが詰まってます。

──では「Gift」について聞かせてください。「ホムンクルス」と「Gift」の2曲ありきの主題歌だなと映画を観て思いましたが、これは最初から2曲とも書いてほしいという話だったんでしょうか?

そうですね。「書いていただきたい」というふうに言っていただいて。2曲書けるのって、すごくありがたいんです。なぜかというと、「ヒロアカ」はやっぱり僕にとっても大事な作品なので、僕の中にVaundyというアーティストとしてタイアップをやる部分と、「ヒロアカ」にこういう曲を送りたいという感情の部分の2つがあるんですよ。これを1つにすることもできるんですけど、やっぱりそうするとどうしても濁ってしまうので、2曲書けるとそれぞれに役割分担できて助かるんです。オープニングにはオープニングとしての機能があって、その中で映画に対して「こうしたい」という僕の強い意思があるので、「ホムンクルス」は劇伴的に作ったんですけど、エンディングの「Gift」に関しては「ヒロアカ」全体への、堀越先生とかヒーローたちへの、僕からの「きっとこのマンガはこういうことを伝えたかったんじゃないかな、僕はこう感じたよ」という思いを込めた曲です。だから2曲で機能が分かれている。1曲だと、僕はどっちかと言うと「ヒロアカ」に送る曲として作った「Gift」を前に出したくなっちゃうんだけど、そうするとやっぱ映画全体がなし崩しになってよくないって思うし。だからちゃんと分けてよかったなって思います。

「Vaundy one man live 2024 at Makuhari Messe」の様子。

「Vaundy one man live 2024 at Makuhari Messe」の様子。

──「Gift」に関しては、映画のエンディングに流れる主題歌というオファーに応えるものでありつつ、Vaundyさん自身の思い、「ヒロアカ」という作品から受け取ったものを、より濃く曲の中に入れていくという意識があった。

そうですね。どのアニメもマンガも僕はそう思うんですけど、シリーズもののオリジナル映画って、本質的な伝えたいことは原作と一緒なんですよ。主人公たちが持っている苦難とか苦労とか、もしくはヴィランが持っているものは、最終的にどこにつながるかというとそのマンガの持っているテーマなんですよね。なので、エンディングって、どの場面でどこに入れても同じ意味になる。例えば「Gift」をテレビシリーズのエンディングにしても同じ意味を持つべきだと思うんですよ。そこがシリーズものの映画の面白いところで。だから「Gift」はこの映画の主題歌としてだけじゃなく「ヒロアカ」全体のエンディングとしても機能するように作りました。

善でも悪でもなく、無であることがギフト

──主人公のデクとオールマイトの関係性や、ヒーローがどういうふうにヒーロー足り得るのかとか、そういう物語の根幹の部分に関わることをひと言で表現する言葉として「Gift」というワードが出てきた?

そうです。受け継ぐ力とか、遺伝子とか、そういうものを“ギフト”に例えました。人から人に乗り移っていくもの、モノからモノに乗り移っていくもの。痛みも与えるし、うれしさや悲しさも生むけど、それがギフトなんだっていう。だから、自分が持ってる悲しみや苦しみも、結局はいつか誰かに渡すし、今もう渡してるかもしれない。それは僕らも一緒だと思います。「ヒロアカ」と僕らの世界で何が違うかって言ったら、それが派手か派手じゃないかという、個性の表現が違うだけで。その根源にあるものは、僕はあんまり変わらないと思ってるんです。自分の顔がこういう顔なのは、親の目鼻がこうだからで、しゃべり方がこうなのは親としゃべって幼少期を過ごしたからで、こういうものを食べてたからこういうふうになったとか、全部が影響元からのギフトなんですよ。よくも悪くも、僕らはそれらとともに生きていかなきゃいけない。それは悪いことじゃないし、うまいこと付き合っていかなきゃいけないよという、そういう曲です。

「Vaundy one man live 2024 at Makuhari Messe」の様子。

「Vaundy one man live 2024 at Makuhari Messe」の様子。

──歌詞の中ですごく深いと思ったところがあって。サビに「They call it “rain” and they are soaked」という歌詞がある。つまりギフトというものを雨に例えて、みんなビショ濡れだと歌っている。これはどういうイメージだったんでしょうか?

ギフトって、受け取りたくなくても受け取らなきゃいけないものだと思うんですよ。自由落下的なものというか。親からなのか、環境からなのか、いずれにしても当事者は選べない。生まれたときに何を最初に口にするかは自分で選べないし、生まれる前に母親が何を食べていたかも決められない。だから雨のようなものだと僕は思う。誰も傘を持ってないんですよね。でもそれって決して悲しいことではなくて。みんなびしょ濡れで、雨は常に浴びてるものなんだからしょうがないよねという。この曲の主人公は、本当はこんなものいらない、どうしてこんなふうになってしまうんだ、ギフトのせいでこうなるのは嫌なんだと思っていて。母親や周囲の環境から、それは一生ついてくるものだし、しょうがないものなんだよと教えてもらう曲です。最後は母親にその理由を聞いて、「それだけよ、ギフトはそれだけなの」と言われているところで終わるんです。何者でもないというか、善でも悪でもなくて、“無であること”がギフトなんだという。ちょっと哲学的なんですけど、「ヒロアカ」が最終的に描いているものも僕はそこにあると思うんです。だから、みんなもらったものは少なからず大事にするのもありだよねと思ってほしい。「Gift」はそういう優しい曲になればと思いました。

──ギフトという言葉には「贈り物」と「才能」という両方の意味がありますよね。であるがゆえに、それを雨に例えているのが「ヒロアカ」の主人公たちへのエールになる表現だと感じました。

それは主人公たちだけじゃなく、敵<ヴィラン>たちもそうで。その個性が大好きで、自分のことを好きになれる子もいるし、人それぞれなんだけど、みんな平等にギフトをもらってる。みんなびしょ濡れで、その濡れ方が違うだけなんじゃないかなと思ってるので。だから、うまいこと、風邪ひかないようにしたいよねという。

2024年8月13日更新