シンガーソングライターの栗山夕璃率いるバンド・Van de Shopが11月26日、デビューシングル「レセプション」を配信リリースした。
Van de Shopは2014年から2020年までボカロP・蜂屋ななし名義で活動していた栗山(Vo, G)と、端倉鑛(Manipulator, DJ)、仁井伯(Piano, Key)による3ピースバンド。デビュー曲「レセプション」はジャズ、ロック、エレクトロなどをポップに昇華した楽曲で、歌詞にはバンドの理想像や、オーディエンスに対する思いが込められているという。音楽ナタリーでは今作のリリースを前にメンバー3人にインタビュー。バンド結成の経緯、それぞれの音楽的ルーツ、「レセプション」の制作などについて聞いた。
取材・文 / 森朋之
2人がいたらもっと自由に遊べる
──まずはVan de Shopが結成された経緯から教えてもらえますか?
栗山夕璃(Vo, G) 2016年に「ONE OFF MIND」という曲をこの3人で制作したのがきっかけですね。当時は3人ともそれぞれ作曲活動をしていたし、全員の意見をまとめるのに時間がかかって大変だったんですけど、頭の中にあったイメージ通りに楽曲を表現できて。そのときからこの2人と「バンドで活動したいね」という話をしていたんです。ただ、当時自分が目指していた音楽のクオリティやイメージのレベルがけっこう高くて、5年前の僕たちでは形にできない楽曲もたくさんあったんですよ。その後、それぞれがレベルアップして、しっかり形にできる曲も増えてきて。「今ならバンドとしてやっていけそうだな」と思い、今年に入ってから始動しました。
──5年前の時点で、やりたい音楽ははっきりしていたんですか?
栗山 そうですね。僕の中では「この3人でやる音楽はこういうものだ」というイメージが明確にあったので。仁井(伯)くんはすごくピアノが上手で、端倉(鑛)くんはオーケストラのことや管楽器に詳しい。もともと僕がやってきたのはロックやEDMにジャズのコードを取り入れた音楽なんですけど、2人がいてくれたら、それだけじゃなく、曲作りのうえでもっと自由に遊べると思いました。
端倉鑛(Manipulator, DJ) 最初に栗山(夕璃)くんと出会ったのは「ONE OFF MIND」を投稿するちょっと前なんですけど、その頃からいろいろと曲作りの相談や協力をするようになって。当時、僕も作曲の勉強中だったんですが、栗山くんのようにジャズとロックを融合させている人は周りにいなくて、「この人はすごいな」と思ったんです。仁井くんのことも「すごくうまいピアニストがいるんだよ」と教えてもらって。そういう刺激を受けて、僕にもやれることがあるかもしれないと思い、加わらせてもらったという。
──栗山さんが作る曲に魅せられたのが入り口だった?
端倉 はい。さっき栗山くんが言ったように、この3人じゃないと作れない曲があると思ったんです。それは今も変わらず、いつも2人が作る音楽に感動しているんですけど、きっと僕にしかできないこともあるだろうし、僕と同じように2人にも感動してほしいなと。
仁井伯(Piano, Key) 端倉くんは、以前アミメキリンという名義で活動していて。そのときのファンの中には、「ボーカロイドの調声がうまい人」というイメージを持ってる方もいると思うんですけど、端倉くんは実はオケを作るのもすごく上手なんです。
端倉 いえいえ(笑)。
仁井 でもちょっと性格が控えめというか(笑)、曲のストックもたくさんあるのに、なかなか投稿しないんですよね。いつも「もったいないな」と思っているんですけど。
端倉 僕は変に完璧主義というか、自分で納得しきれないものを表に出す決心がつかなくて。でもなかなか踏み出せない自分をいつも引っ張ってくれるのが、栗山くんと仁井くんなんです。
仁井 Van de Shopでは、端倉くんのアイデアもたくさん取り入れながらやっていきたいですね。
──仁井さんもバンドとして活動することに意義を見出している?
仁井 すごくありますね、それは。僕は栗山くんと端倉くんが仲よくなったあとにSNSでつながったんですけど、栗山くんはそのときからいろんなことを見通せている人で。僕が昔投稿したピアノ曲(2015年発表の「parallel net;」)も評価してくれていましたし。それに自分自身も「誰かと一緒に曲を作ってみたいな」と思っていた時期だったので、バンドに加わることになりました。さっき話に出た「ONE OFF MIND」を一緒に作ったことも大きかったですね。完成時は「何かとんでもないものを作ってしまった」という手応えがあったし、しかも、結果それを本当にたくさんの人に聴いてもらえたという。
──その後、じっくり時間をかけて“3人のバンドの形”を追求したと。
仁井 そうですね。自分のことで言えば、地元の名古屋で演奏活動をしつつ、インターネットの音楽シーンに対して強く興味を持ち始めて。もともとボカロやゲーム音楽も自分のルーツにあるし、そういう音楽に生演奏を取り入れてみたらどうなるだろう?という発想も、Van de Shopの道筋につながっていると思います。このバンドがどうなるかは未知数ですけど、だからこそワクワクしているというか。お互いが持っているものを出し合って、自分にはないものを受け取って、3人にしかやれない音楽を作っていきたいなと。
3人のDNAに刻まれた音楽
──皆さんの音楽的なルーツはどんな感じなんですか?
栗山 最初は家でかかっていた音楽ですね。Earth,Wind & Fireとか、母親が好きだったスティーヴィー・ワンダー、ノラ・ジョーンズも聴いてました。そういう音楽の影響は、自分が作るメロやコード進行にも表れていると思いますね、DNAレベルで。
──邦楽はどうですか?
栗山 小6のときにアコースティックギターを買ってもらって、そのときに弾きたかったのがBUMP OF CHIKCENの「車輪の唄」だったんです。中学のときはRADWIMPSやELLEGARDEN、ASIAN KUNG-FU GENERATIONなどを聴くようになって。中3のときにMr.Childrenのベストアルバムが2枚同時に出たんですけど(2012年発表の「Mr.Children 2001-2005<micro>」「Mr.Children 2005-2010<macro>」)、そのときに札幌ドームでライブを観て、すごく好きになりました。ジャズに関しては、Caravan Palaceが大きいですね。エレクトロスウィングを聴き込むきっかけになったし、かなり影響を受けています。
端倉 僕は中学・高校の6年間、吹奏楽をやっていたんです。クラリネットから始まって、バスクラリネット、高校からはテナーサックスを吹いていて、初めはクラシックやビッグバンド編成の曲ばかり聴いていました。その後ラジオを聴き始めてからは、いろいろなジャンルの音楽に触れるようになって。ラジオのアニソン番組で初めてボーカロイドの曲を聴いたときに、「なんだこの音楽は。すごい!」と一気に興味を持ちました。高3になってからはなんとなくDTMを触り始めて。栗山くんと初めて会ったときは、ボカロとエレクトロスウィングの話で盛り上がって、意気投合したんです。
──仁井さんはいかがですか?
仁井 最初はクラシックが入り口でしたね。小さい頃からピアノとエレクトーンを習っていて。ピアノを弾くのは好きだったんですが、小中学校の頃はJ-POPにまったく興味がなかったんですよ。当時は学校でBUMP OF CHICKENやORANGE RANGEが流行っていて、給食の時間とかにかかっていたらしいんですけど、僕は全然知らなくて。小5のとき、友達がGReeeeNの話をしていたときも、「なんで緑色のことを話してるんだ?」と思ったくらい(笑)。
栗山・端倉 ハハハハハ!
仁井 あと幼少期は小田和正さんの曲も聴いていました。父が車でよくかけていたので。いろんな音楽を聴くようになったのは、中学生になってドラマやアニメの劇伴に興味を持ったのがきっかけです。ボカロ系の曲も聴いていましたね。友達に「この曲、ピアノで弾いて」とリクエストされたことがあって、それがwowakaさんの「ワールズエンド・ダンスホール」(2010年発表)だったんです。「え、今のボカロってこんなことになってるの?」とすごく驚いたし、当時はボカロシーンがすごく盛り上がっていて、面白い曲がたくさんあった。片っ端からカバーしたので、その頃の曲は今でもだいたい弾けますね(笑)。
──仁井さん、渋さ知らズオーケストラで演奏したこともあるんですよね?
仁井 はい、たまたま機会をいただいて。渋さのことはすごいバンドだということは前から知っていたんですけど、実際に中に入って演奏していると、まるでジェットコースターに乗っているような感じになるんですよ。音楽の波に飲み込まれる感覚というか。ものすごい体験でした。
──なるほど。皆さん三者三様ではありますが、つながってるところもありますね。
仁井 そうなんですよね。それぞれ性格も違うし、目指している音楽もちょっと違うんですけど、そのバランスをうまく取りながら、バンドとして発信していきたいと思っています。
端倉 同じ方向性で重なったときの面白さがすごくあるので。
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