音楽ナタリー PowerPush - 上杉周大×北海道日本ハムファイターズ

「ファイターズ讃歌」インタビュー3連戦!

栗山英樹監督

中田翔内野手

大野奨太捕手

明日10月11日からオリックス・バファローズとのクライマックスシリーズ ファーストステージに臨む北海道日本ハムファイターズ。そんなファイターズは、今シーズン、応援歌「ファイターズ讃歌」をリニューアル。北海道出身のバンド、THE TON-UP MOTORSの上杉周大(Vo)を新ボーカリストに迎え、どこまでも熱く、そして男らしい2014年版の「ファイターズ讃歌」を発表している。

ナタリーではこれを記念して上杉による、大野奨太捕手、中田翔内野手、栗山英樹監督のインタビュー企画を敢行した。その内容は選手による「ファイターズ讃歌」評はもちろん、音楽と野球の関係、プレイヤーと観客の関係などなど。意外なマッチアップだからこそ聞こえてきた言葉の数々にぜひ耳を傾けてみてほしい。

取材・文 / 成松哲 撮影 / アキタヒデキ

上杉周大×大野奨太

トーンが上がった上杉版「ファイターズ讃歌」

上杉周大 「ファイターズ讃歌」って最初はささきいさおさんが、次は速水けんたろうさんが歌われて、自分は3代目の歌い手なんですけど印象っていかがですか? 急に派手なヤツが出てきたなって感じですか?

左から大野奨太、上杉周大。

大野奨太 ははははは(笑)。声のトーンが上がったから、すごく耳に入ってくる感じがありますね。

上杉 ありがとうございますっ! 試合前や練習中って音楽を聴いたりするものなんですか?

大野 試合前の準備のときとか、移動中にずーっと聴いてる選手はいますね。(陽)岱鋼なんかは「いろんな音楽を聴くことでノレる」って言ってますし。

上杉 大野選手は?

大野 あまり熱心に聴いているわけではないんですけど、好きな歌があるとずっと聴くみたいなことはあります。

上杉 例えば誰の曲を?

大野 シクラメンの曲なんかですね。自分がバッターボックスに入るときの登場曲(「どんなに どんなに」)にもしてますし。何かを誰かに伝えようとしていることがすごく伝わってくる歌は好きです。

──シクラメンがそうであるように、上杉さんの「ファイターズ讃歌」もちゃんと大野選手に伝わったわけですよね? 「今までの人のとはトーンが違う」って。プロミュージシャンってどうやって聴き手に自分の音楽を“伝えて”るんですか?

上杉 自分に何ができるか?みたいなことは考えてますね。「ファイターズ讃歌」なら、スポーツの経験がそれほどあるわけではない僕がファイターズに何で貢献できるかっていうことを考える。そうすると「自分らしい音楽で貢献するしかないな」っていうことが見えてきたりとか。

左から大野奨太、上杉周大。

大野 自分らしい音楽ってどういうものなんですか?

上杉 速水けんたろうさんの「ファイターズ讃歌」ってすごくさわやかだったんですよね。でも僕はそういうタイプの歌い手ではないから、いかに力強く男らしく歌えるか?みたいなことはすごく重視してます。だから大野選手が「トーンが上がった」「耳に残る」って言ってくれるのはホントにうれしいんですよね。

プロ野球ファンの最大の喜びとは?

上杉 ちょっと話が変わるんですけど、キャッチャーって大変じゃないですか? 守備の要、試合を全部見渡すポジションだからファイターズの選手のこともそうだし、相手のことも観察してなきゃいけないわけですよね。

大野 ほかのポジションに比べて大変だとは思ってないんですけど、確かに人の動きやクセは気になってます。ただ、それは私生活でもそうで。街を歩いていてすれ違った人のことを「この人、何を考えてるんだろうな?」って見ちゃったりとか。そうやって観察することが習慣になっちゃってるので、練習や試合だからって苦労したり違和感を覚えたりすることはないですね。

上杉 試合中に気にする相手には、お客さんも入ってます? 僕らはライブ前に「こういう曲順でやろう」ってセットリストを組むんだけど、本番中、お客さんの雰囲気を察して曲順を変えたりすることがあるんですけど……。

大野奨太

大野 野球選手がお客さんに対してできることって、いいプレイをすることと勝つことしかないと思っているので、僕は何かパフォーマンスをすることはないですね。何かパフォーマンスできる選手はお客さんも喜ぶはずだから、それをするべきだとは思いますけど、そういう選手も当然勝つことを第一に考えてはいますから。もちろん試合前に決めたことを試合中に変えることはあるんですけど。

上杉 相手チームがいる以上、必ず作戦通りに物事が進むわけじゃないですしね。

大野 ええ。試合前、ピッチャーと「こういうプランでいこう」って考えてたんだけど、その通りに進められなくなったから違うプランに移る、みたいなことはしょっちゅうあります。ずっと座っているキャッチャーっていうポジション柄、それが派手な動きには見えないかもしれないけど、実はいろんなことを細かく動かしてはいるんですよ。

上杉 そしてその動きが実は試合という大きなものを動かす?

大野 そうですね。勝つために動いて、そして実際に勝つことが僕たちにとってはもちろんそうだし、札幌ドームのお客さんにとっても一番の喜びのはずなので。

野球を通じて見つけたもの

上杉 そういえばなぜ野球選手を目指したんですか?

大野奨太

大野 環境が野球だったんです。

上杉 「環境が野球だった」?

大野 父親も祖父も野球が好きな上に、父親が指導者だったので、自然と野球をせざるを得ない環境に追い込まれていたというか(笑)。ただ最終的に野球をやろうと決断したのも自分だし、やるからにはプロを目指そうと思ったのも自分って感じですね。

上杉 ずっと続けている中で、野球を嫌いになる瞬間は?

大野 正直山ほどありました(笑)。学生の頃は夏休みがほとんど野球で潰れてましたし。でも、それ以上にチームが勝つことがうれしくて。逆になんで音楽をやろうと思ったんですか?

上杉 高校生の頃、とあるバンドのライブを観に行ったとき、ちょっとウルッとくる瞬間があって。で、僕はそのときライブハウスの前から2列目にいたんですけど、うしろにいる無数のお客さんも同じように泣き笑いになっていて。「このお客さんたちにはそれぞれ全然違う毎日があるはずなのに、今日だけはみんな同じ曲で感動している」「自分もそうやってみんなを感動させたり、勇気付けたりする歌を歌いたいな」って思ったのがきっかけですね。

──じゃあ選手とファンを鼓舞する「ファイターズ讃歌」はうってつけの1曲だった?

上杉 そうなんですよ! 「どんなジャンルであれ、音楽って応援歌だよな」と思っているので本当に光栄なんですよね。で、試合を観ていていると実はプロ野球選手も誰かを応援しているような気がしていて。

──我々ですらプレイに感動することはもちろんあるし、野球少年や高校球児にとっては憧れの的でしょうしね。

左から大野奨太、上杉周大。

上杉 ですよね。そういう子たちに伝えたいことってあります?

大野 野球って続ければ続けるほど、自分のチームメイトはもちろん相手チームとの交流も生まれるし、一生付き合える友達もたくさんできるんですよ。僕が野球を続けていて一番よかったことってその友達が増えたことなんです。

上杉 へえ! プロ野球選手になれたことよりも?

──しかも大野選手は去年、12球団一の盗塁阻止率を誇っているのに?

大野 盗塁阻止率ももちろんうれしいんですけど、去年は去年、今年は今年ですから。去年はそういう成績だったっていうだけのことというか。でも野球を通じて生まれた友情は一生残っていくものなので。野球を続けているとそういういいこともあるってことは知ってもらいたいですね。

ニューシングル「北海道日本ハムファイターズ 公式球団歌 ファイターズ讃歌」 / 2014年7月2日発売 / 1000円 / VAP / VPCC-82317
「北海道日本ハムファイターズ 公式球団歌 ファイターズ讃歌」
収録曲
  1. ファイターズ讃歌
  2. ファイターズ讃歌 THE TON-UP MOTORS Ver.
  3. ファイターズ讃歌(カラオケ)
  4. ファイターズ讃歌 THE TON-UP MOTORS Ver.(カラオケ)
上杉周大(ウエスギシュウタ)

1982年2月11日生まれ、北海道出身。2000年に北海道札幌市で結成されたソウルロックバンド・THE TON-UP MOTORSのボーカル。バラエティ番組「ブギウギ専務」(STV)で主役を務めて人気を博し、ラジオのパーソナリティやテレビCM出演など、幅広く活躍している。バンドとしても全国各地のライブハウスでの公演のほか、野外音楽イベントや学園祭などに多数出演。2013年12月発売のニューアルバム「THE TON-UP MOTORS」でバップよりメジャーデビューを果たした。さらに2014年には北海道日本ハムファイターズの応援歌「ファイターズ讃歌」の3代目ボーカリストに起用されるなど、ミュージシャンとしてもバンド活動のみならず、さまざまな世界で活動を展開している。

大野奨太(オオノショウタ)

1987年1月13日、岐阜県生まれ。右投げ右打ち。捕手。岐阜総合学園高等学校を経て東洋大学に進学。4季連続でベストナインに選出されるなど、東都大学リーグで活躍したのち、2008年、ドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに入団。1年目の2009年の開幕時点で一軍入りを果たし、2011年には.323でパ・リーグ1位の盗塁阻止率を、2013年には.421と、セ、パ両リーグを通じて唯一4割台の盗塁阻止率をマークする。2014年からはファイターズの選手会長も務める。