上野大樹「新緑」インタビュー|これまでの歴史と新たな挑戦が詰まったメジャー1stアルバム

上野大樹のメジャーデビューアルバム「新緑」が4月5日にavex内のレーベルcutting edgeよりリリースされた。

上野は“自分らしくいられる音楽”をテーマに楽曲を制作しているシンガーソングライター。エモーショナルな声と等身大の日々を描く歌詞がZ世代から支持されている。そんな彼の記念すべきメジャーデビュー作「新緑」は「春を彩る出会いと別れ」をテーマに制作された2枚組アルバム。DISC 1にタイトル曲「新緑」をはじめとした新曲6曲、DISC 2に「ラブソング」「NAVY」などのインディーズ時代の楽曲8曲を収録した、上野のこれまでの軌跡と最新の姿を堪能できる作品になっている。

音楽ナタリーでは上野にインタビューを行い、音楽の道を志したきっかけから、アルバムに込めた思い、そして今後の展望までたっぷりと語ってもらった。

取材・文 / もりひでゆき撮影 / 笹原清明
スタイリング / Nemoto Akihikoヘアメイク / Kohey

ギターを始めて半年でオーディションのグランプリ獲得

──上野さんは幼少期、サッカーに打ち込んでいたそうですね。生活の中で音楽を聴くことはあったんですか?

サッカーは小学3年生のときに始めたんですけど、それ以降は音楽を聴かないだけでなく、テレビも観ない、ゲームもほとんどしない生活だったので、同級生ともあまり話が合わないっていう(笑)。ホントにずっとサッカーしかしてこなかった感じです。

──サッカーを始める以前の音楽にまつわる記憶もないですか?

15歳上の兄貴がMr.Childrenのことが大好きだったので、家や車の中で流れていたのをよく聴いてはいて。でもそれがミスチルだと認識し始めるのは高校に入ったくらいの頃でしたね。音楽を意識して聴いたことは、ほぼなかったです。

上野大樹

──高校に上がったあと、サッカーをやめることになってしまったそうですね。

ケガと病気でサッカーができたりできなかったりする期間が1年くらい続いて。その猶予の中で徐々に気持ちを整理していきながら、最終的には自分の意思でサッカーを続けることをあきらめたんです。ただ、やめたはいいものの、そこから何をしたらいいのかがまったくわからない状態になってしまって。病気の治療も続いていたので、高校1、2年生の頃はあんまり希望のない生活だったというか。そういったつらい状況からただただ抜け出したい、みたいな感じでした。

──その状況から抜け出すきっかけが音楽だったわけですか。

そうですね。病気が治ったタイミングで、兄貴が持っていたギターを借りて家で弾くようになったんです。そこで自分のアイデンティティじゃないですけど、やりたいことがようやく見えてきた感覚でした。最初はチャートの上位に入っているコブクロさんやゆずさんの曲を弾き語りでコピーしていたんですけど、やっているうちに自分でも曲が作れるような気がしてきて。すぐにオリジナルを4曲くらい作ったんですよ。で、自分の実力を試したい気持ちが強くなったのでオーディションライブに参加して、そこでグランプリをいただいたんです。そこまでがギターを持ち始めてからだいたい半年くらい。それ以降は地元でちょこちょこライブハウスにも出たりしてましたね。

──サッカーをやめるまでほとんど音楽に触れてきていなかった人とは思えないスピード感ですよね。

音楽をあまり知らなかったのもあって、ギターのコードを覚えることや人の曲を覚えることにあまりハードルを感じなかったんですよ。さらに言えば、コピーすることとオリジナルを作ることにもあまり違いを感じなかった部分もあるし。作曲することはギターを上達させるための練習という感覚でもあったと思います。とは言え、サッカーをやってたときもそうですけど、基本的には練習が嫌いなので(笑)。音楽を続けられたのは、楽しいという気持ちが大きかったからだと思いますね。

上野大樹
上野大樹

みんなが持ってる感情や記憶を呼び起こしたい

──その後、2014年に地元の山口県から上京されて。

はい。音楽をちゃんとやりたいという思いを持って、大学進学を機に東京へ来ました。東京ではライブハウスで歌ったり、大学3年生くらいまでは路上ライブもかなりやってましたね。家賃だけは親に払ってもらってましたけど、あとの生活費は自主制作のCDを売ってまかなってました。徐々にお客さんが増えていくのを感じながら過ごす日々はものすごく楽しかったです。

──東京で音楽を続けていく中で、それを仕事にしていく気持ちも固まっていったんですか?

大学に通っているうちは、まだあまり明確ではなかったと思います。ある種、その場しのぎだったというか(笑)。でも大学を卒業するタイミング、周囲が就職するタイミングでしっかり考えた感じでしたね。地元にいる頃に知り合った事務所に東京ではお世話になっていたんですけど、大学卒業後はフリーになって。そこでいろいろな経験を1人でしてみることにしたんです。

──具体的にはどんなことをやってみたんですか?

上京して弾き語りを本格的に始めようと思ったタイミングで、七尾旅人さんや当時ライブハウスで対バンしたこともあった折坂悠太さん、あとは高田渡さんのことが好きになって。そこでフォークに興味を持つようになったんですよ。なので、その1年の間でフォークというものを自分なりに掘り、突き詰めてみました。それまでの自分には音楽的なルーツがなかったので、1つの基盤を作りたいという思いもあったんだと思います。で、1年が経ったくらいのタイミングで今の事務所に所属させていただくことが決まったので、シンガーソングライターとして生きていく気持ちをいよいよ固めた感じでしたね。

──その時点で、今につながるような、上野大樹として作るべき音楽の方向性も見定めた感じですか?

そうですね。僕は、日常の中でなんとなくみんなが持ってる感情や記憶みたいなものを呼び起こすような曲が作れたらと思っているんです。一聴してパッと響くキャッチーさというよりは、もっと心の奥底に響くような。聴き終えたときにフレーズ1つでもいいから心の中にずっと残り続けてくれるような。そんな曲にしたいと思いながら常に書いています。方向性を見定めたことで、自分の生き方がちょっと変わったところもあったんですよ。日常生活の中でボキャブラリーとしてどんな言葉を吸収していくか、その取捨選択の仕方が変わってきた。さらに言うと、それまでは自分の内側ばかり見て、自分の中にある感情をそのまま曲として吐き出していたけど、しっかりと外に目を向けられるようになったと思います。

上野大樹
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第三者のマイナスな感情が見えたときにストーリーが生まれる

──ソングライティングするうえでは、どんな感情にクリエイティビティを引っ張られることが多いですか?

ここ数年は誰かの鬱屈とした感情をきっかけに曲が生まれることが多いですね。それが社会問題のこともあれば、身近な友人のこともあるけど、第三者のマイナスな感情が見えたときにストーリーが生まれるんです。それを救ってあげられるような曲を書きたいと思うので。僕の場合、「イエーイ!」みたいな楽しい感情から曲が生まれることはほぼないですね。

──自分自身の鬱屈とした感情に突き動かされることはないですか?

それもあんまりないんですよ。誰かの感情が自分と重なったり、逆にまったく重ならなかったときに曲が生まれることはあるけど、自分1人だけの感情から何かが生まれることはなくて。基本、僕はインドアな人間で、家にいるときは完全に“無”ですから(笑)。

──あはは。“無”ってことはないと思いますけど(笑)。

もちろん日常の中でもどかしさを感じることはあるし、常に飢えている感じではあるんですよ。でもそういう感情は自分の中にずっとあるものなので、改めてそれをきっかけに曲が生まれることはないんですよね。ソングライティングに必要な感情の起伏が生まれることはない。僕の場合はやっぱり誰かの感情がすべての始まりではありますね。

上野大樹

──だからこそ上野さんの楽曲は聴き手に寄り添ってくれるものになっているんでしょうね。何かに悩んでいるときって、明確な答えを提示されるよりもそばで話を聞いてくれるだけで安心するじゃないですか。それに近い感覚が上野さんの曲にはあるような気がします。

寄り添いたい気持ちももちろんあるし、同時に委ねてる感覚もあるんです。僕が誰かの感情をきっかけに作った曲が、また違う誰かの感情につながっていけばいいなって。ピリオドを打つというよりは、バトンを渡しているような、感情の橋渡しをしているような感覚がありますね。誰かの感情への答えを考えるよりも、どうやってその誰かの感情に曲を委ねられるかを考えるのが今の自分にとっては楽しいんです。

──2020年からは精力的に楽曲を配信し、2枚のアルバムも出されましたね。

そうですね。とにかくライブラリーを増やそうという思いからコンスタントに曲を出してきました。その中でいろいろな知識を得ることも多かったし、それによって自分のスキルアップも実感してきたので、楽曲として打った点をしっかり線としてつなぐことができていたと思います。