3人のアフロは託しました
──続いては、このバンドです。
BRADIO
結成20周年を迎えた鶴の魅力は
大人の余裕、チカラの抜き具合に惚れてます。
でも気張らずカッコいい感じ、俺じゃ出ないっす。
あと親しみやすさがある。その感じやられたら誰でもライブでハート鷲掴みにされちゃう。
飾らなくてもカッコいい、が鶴なんだと思ってます。
だからアフロじゃなくても最高にカッコいいじゃないですか(キャラ被りしてたんでありがとうございます)。
私が好きな鶴の曲。
「夜を越えて」。好きでライブでもフルでカバーしました。エバーグリーン曲多すぎですよ。あと「ソウルメイト今夜」も好きでカバーした。この曲とかそうですけど、俺の説として「エビバデ」って言える男はカッコいいに決まってるんですよ。
秋野 BRADIOとは2014年に金沢の「DIVING ROCK」で挨拶したのが最初ですね。
神田 僕だけはその前にも繋がりがあるんです。楽器のメンテナンス先がベースの亮輔くんと同じで、リペアマンを介して「うちにメンテに来てるBRADIOっていうカッコいいバンドがいるよ」と教えてもらったんです。で、聴いたらめちゃめちゃかっこよくて、普通にリスナーとしてファンでした。だから金沢のイベントであのアフロヘアを見つけたときは「やっと会えた!」みたいな感じでした。
──ボーカルの真行寺貴秋さんは皆さんと同じ埼玉出身ですよね。
秋野 しかも実家もめっちゃ近いんです。キャラかぶりに関しては……僕らは退いたので、我々3人のアフロはギュッとまとめて真行寺くんに託しました(笑)。……いやあ、そうか。抜き感か。抜き感は意識したことないですけど。
笠井 抜いてる、じゃないんだよね(笑)。
秋野 どっちかっていうと抜けちゃってる(笑)。3人同時に真面目になるシーンと、すごい力が緩むシーンの落差がステージ上でも出る瞬間がある。だからそう見えるのかな?
笠井 ちぐはぐなときもよくあるよ? ビシッとキメるべきところでキマんないとか(笑)。その足りない感じもまた味になる気がして、何でもありになってきたんですよね。それが抜き感と言えばそうなのかもしれないね。
秋野 リハーサルで、「ソロのときにピンスポ当てるんでここ立っててください」って言われてるのに本番そこにいないとか(笑)。
神田 パーンってテープが発射する特効あるじゃないですか? 僕、1秒前まで発射口の前にいたこともありました(笑)。
笠井 特効さんにもスリルを与えたね(笑)。
神田 カッコつけにいくのがあんまり得意じゃないんですよね。アフロをやめるときも「素の人間としての魅力を伝えたい」というところを目指していたので。やめて十数年経って、それが形になってきたのかなと思います。
──BRADIOの「夜を越えて」「ソウルメイト今夜」のカバーはいかがでしたか?
秋野 「夜を越えて」は渋谷のLa.mamaで対バンしたとき、サプライズでカバーしてくれて。
神田 あれはびっくりした。
秋野 大サビに入る手前の「夜を越えてく」のコードが原曲と違うおしゃれなコードアレンジだったんですよ。あれの影響で、いまだにこの曲をやるたびにBRADIOのことを思い出します。……BRADIOの曲は俺らまだやったことないよね。なぜなら難しすぎるから(笑)。
笠井 いつかやりたいよね。
神田 音数を減らして3ピースバージョンでアレンジし直してね。
15年目からめっちゃ楽しくなる
──そして、こちらも同郷出身、「鶴フェス2019」にも出演した後輩バンドです。
リアクション ザ ブッタ
結成20周年を迎えた鶴の魅力は
「結成20周年を迎えた鶴の魅力は3人とファンで作る唯一無二のグルーヴだ」
鶴のライブは今まで色んな場所で見てきましたが、毎回必ず幸せで満たされた気持ちにしてくれるんです。それは楽曲だったり、ライブのカッコ良さももちろんなのですが、ファンの皆さんが全力でライブに参加して楽しんでいて、その熱量が半端じゃないんです。バンドとの相乗効果で生まれるワイワイ空間がいつも僕らを笑顔にしてくれます!
私が好きな鶴の曲。
鶴とちゃんとお会いしたタイミングが、ちょうど転換期である「ソウルメイト今夜」を発表した頃でした。初めて聞いた時、なんてソウルフルでピースフルでワクワクさせてくれる曲なんだ!と胸が躍りました。大好きな曲です。もう一曲、「バタフライ」という曲も好きです。ライブの熱狂の中で、フッと舞う蝶のように雰囲気をロマンチックに変えてくれるこの曲は、胸にじんわりと染み渡ります。
秋野さん、神田さん、どんさんのお人柄、ミュージシャンとしてのカッコ良さ、全てを愛しています! 20周年おめでとうございます!
リアクション ザ ブッタ一同
──「3人とファンで作る唯一無二のグルーヴ」という部分は、鶴がずっと大切にしてきたところではないでしょうか。
秋野 意識的にやってきたわけではないんですけどね。僕らの「いいことも悪いことも(お客さんが)一緒にやってくれたら楽しいよね」ってスタンスを、リアクション ザ ブッタが感じてくれたんじゃないかと。これをずっと続けてきたら、“鶴ナイズ”されたお客さんを見たほかのバンドの人たちが「鶴のお客さんすげえわ。あったかいわ」ってなってくれるんです。僕らの音楽の楽しみ方をそのまま体現してくれてるファンの皆さんのおかげです。そして真面目。僕らも音楽を真剣にやってきたんですけど、ブッタもすごく真摯に向き合ってるイメージがあります。
神田 彼らも今年結成15周年だから、ここからいい意味でユルくなってくるかもしれないね。
──鶴はこれまでの10周年、15周年の節目にバンドとしての変化はあったんですか?
秋野 ありましたね。振り返ると10周年ぐらいがバンドにとって一番しんどい時期だったと思うんです。その昔、イナ戦の丈弥くんに「15年過ぎたらめっちゃ楽しいよ」みたいなことを言われたことあったよね?
神田 あった。当たってるね。
秋野 実際、15年目ぐらいからめっちゃ楽しくなるんです。15年続いたバンドはたぶん20年まで行くけど、10年続いたバンドが15年目行けるかどうかはわからない。意外と10年って節目なのかなと思います。ブッタのみんなも今めっちゃ楽しい時期なんじゃないですかね。
──そして好きな曲に「ソウルメイト今夜」「バタフライ」が挙がってますね。
秋野 「ソウルメイト今夜」は自分でも作れてよかったと思う曲です。MOBYさんもコメントされてましたけど、ちょうど鶴が自主レーベルを始めた決意表明のようなタイミングで発表できたし、歌詞もすべてのライブバンドに当てはまるような曲なので、いろんなバンドの皆さんに響いてくれててうれしいです。ソウルメイトという言葉は新しいものではなかったし、普通に使うにはこっ恥ずかしい感覚はあったんですけど、一番自分にしっくり来ている言葉です。
10代ロック、20代ソウル、30代EMMA
──コメントのトリを飾っていただだくのは、この方です。
菊地英昭(THE YELLOW MONKEY / brainchild's)
3人にはじめて会ったのは、吉川晃司氏の中野サンプラザ公演後の挨拶の時。そこにはファンキーでもロックでもない素朴な3人の青年がいました(笑)。
しかし、後にあの3人がとてつもなくグルービーなサウンドを響かせるところを目の当たりにして度肝を抜かされることになるとは。幾度かステージやスタジオでそのグルーヴに参加させてもらいましたが、その都度感動と共鳴をもらいました。彼らのアプローチは、人間が織り出すバンドサウンドはこうあるべき!!と断言できるものの一つなのは確実で、有機物質そのものなのです。
いつの時代になっても、そこは芯に置くことを変えずにいてもらえたらとても嬉しく思います。
「フライハイ」はいつでもやりたいしできるし、「アイタリナイ」はいつ聴いてもグッときますな。
鶴~20周年、本当におめでとうございます~!!
──鶴は、もともと3人が学生時代に組んでいたTHE YELLOW MONKEYのコピーバンドから始まったそうですね。
笠井 けっこうな曲数をコピーしたよね?
秋野 バンドを始めたての頃にね。楽しかったです。
神田 僕らは最初にTHE YELLOW MONKEYをコピーしたからこそ、その後どんなジャンルをやろうが鶴=ロックバンドという土台ができたと思うんです。
秋野 楽器はロックの鳴らし方になっちゃますよね。そもそも僕がブラックミュージックにハマったのは鶴を始めた頃なので、20歳ぐらいなんです。それまではLed ZeppelinとかDeep Purpleみたいに、ギターヒーローがいる70年代のハードロックがずっと好きだったんですけど、鶴を始める頃に初めてディスコやソウルを聴いて、自分が小さい頃から好きだった歌唱曲のキラキラした部分や、胸がキュンキュンする切なさのエッセンスはこのジャンルがルーツだったんだと気付いたんです。そこからめちゃめちゃ聴き漁ったので、僕が10代の頃に積み重ねてきたロックと、20代からハマったソウルミュージックがぐちゃぐちゃになってるのが鶴の音楽なのかなと思います。
神田 いいキャッチコピーだね。10代のロックと20代のソウル。
──ディスコやソウルはリズム隊が重要ですし、演奏スタイルもロックとは異なりますよね。
神田 僕もTHE YELLOW MONKEYに憧れていたので、10代の頃は廣瀬(洋一)さんが使ってるギブソンのサンダーバードをピックでゴリゴリするスタイルでベースを弾いてたんですけど、20代になってこのバンドを組んでからはジャズベースを買って。高めの位置での指弾きに変わりました。
秋野 音はロックがスタートだからね。だから鶴のこの不思議なサウンドというか。“ロックのダイナミクスは出したいけど、ソウルみたいなおしゃれなコードも鳴らしたい気持ち”が入り混じってるのは、ほかのバンドにはない部分です。
神田 ロック魂が忘れられなくて、令和になっても「音が大きいのは正義だ」とか言っちゃってますから(笑)。
秋野 僕らが、デビュー当時にプロデューサーとしてお世話になっていたホッピー神山さんが吉川晃司さんのバックバンドをやっていて、「EMMAくんと今一緒にバンドやってるから、よかったら来なよ」と誘ってもらいサンプラザ公演を観に行かせてもらったんです。EMMAさんは僕にとって青春時代の象徴みたいなギターヒーローだから、舞い上がっちゃって。その日着てたTシャツにサインを書いてもらって夢見心地だったから、その場に鶴の2人がいた記憶がないんです(笑)。
神田 あのときはEMMAさんが視界のすべてだったよね。
秋野 そこから恐れ多くもEMMAさんとツアーも回ったし、フェスも一緒にやってもらったし。
笠井 レコーディングもしてもらって。
秋野 EMMAさんのプロジェクト・brainchild'sに参加させてもらうようになったのは僕が30歳ぐらいの頃なんですけど、そこで再びロックに戻ってきた感じがします。
神田 “10代ロック、20代ソウル、30代EMMA”だね。
笠井 EMMAさん、ジャンルになっちゃってるし(笑)。
不仲とかたぶんもう無理
──先ほど「15周年を越えるとバンドは楽になっていく」というお話もありましたが、20年目を迎えた鶴は、バンドとしてどのような状態ですか?
秋野 そんなに不安はないんですよ。逆にいつまでやろうかな、みたいな(笑)。だからここからは“潮時の向う側”に行くことになるかもしれない。
神田 20年も進んじゃうと振り返っても戻れないので、だったら死ぬまで先に進んだほうがいいかなって。
笠井 “やめる理由がない”っていうのが一番大きいね。不仲とかたぶんもう無理だし(笑)。
──7月の野音のセットリストはまだ決まっていないと思いますが、これをやれたらいいなと楽しみにしている曲があれば、それぞれ教えてください。
秋野 僕は最新作「4-4」から「愛とでも呼ぼうか」ですね。鶴の節目節目に、自分でも「よく出たなあ」と思う曲があるんです。鶴フェスの「バタフライ」しかり、自主レーベルを始めたときの「ソウルメイト今夜」しかり。「愛とでも呼ぼうか」も自分が伝えたい鶴の空気感を詰め込めたと思ってますし、最初からお客さんや周りのバンドマンも共鳴してくれたので、たぶん今回の野音以降もずっと歌い続けられる曲に育っていくだろうなと思います。
笠井 僕は「4-4」から「サイコウ」ですね。みんなで盛り上がれるし、幸せな気持ちになれるハッピーな曲なので、野音でみんなの声が聞けたら文字通り“サイコウ”ですね。
神田 個人的には20周年ライブのセットリストには節目の曲を入れていきたい気持ちがあるので、それこそ「デビュー曲です」と言って野音でやる「恋のゴング」はエモいだろうなと思います。そこから「4-4」「ニューワールド」を披露して「またここから21年目が始まっていくんだ」って伝えられたら美しいですね。
公演情報
結成20周年記念 鶴の野恩返し ~みんなにワイワイお祝いしてもらう会~
2023年7月23日(日)東京都 日比谷公園大音楽堂(日比谷野音)
プロフィール
鶴(ツル)
2003年、秋野温(うたギター)、神田雄一朗(ウキウキベース)、笠井快樹(Dr)という埼玉県鶴ヶ島西中学の同級生3人組によって結成されたバンド。2004年に1stアルバム「素敵CD」をリリースし、2008年にシングル「恋のゴング」でメジャーデビューを飾る。メンバー全員がアフロヘアであったが、2012年2月にリリースした、映画「アフロ田中」の主題歌「夜を越えて」のリリースをもって8年間にもおよぶアフロヘアーを卒業。2019年、鶴ヶ島市長への直談判を経て埼玉・鶴ヶ島市運動公園にて初主催の野外フェスティバル「鶴フェス2019」を開催。2022年4月から4度目の47都道府県ツアー「4」を実施している。2023年7月、結成20周年記念ライブ「結成20周年記念 鶴の野恩返し ~みんなにワイワイお祝いしてもらう会~」を東京・日比谷公園大音楽堂(日比谷野音)にて開催する。