ライブイベント「TOUCH」特集 ソナーポケットインタビュー|ファンとの出会いで大きく変わった3人が一夜限りの物語をお届け

10月27日に東京・TSUTAYA O-EASTで開催されるライブシリーズ「TOUCH」の第3回公演にソナーポケットが出演する。

「TOUCH」は“今”触れたいアーティストの音楽を、カルチャーの街・渋谷からジャンルレスに発信していく、ライブナタリーによる企画。有観客によるリアルライブと生配信を合わせたハイブリッドなスタイルでの開催となる。当日はライブのみならず、芦沢ムネト(パップコーン)をパーソナリティに迎えたトークコーナーや、ソナーポケットに縁のある城田優や藤田ニコル、斎藤司(トレンディエンジェル)、猫ひろしからのメッセージも紹介される。

ファンによるリクエスト企画の結果を反映してセットリストを絶賛熟考中のソナーポケットに、音楽ナタリーはインタビューを実施。「TOUCH」のテーマである“出会い”にちなんだ話題とともに、ライブに向けた意気込みを語ってもらった。

取材・文 / もりひでゆき

ライブ情報

TOUCH “ソナーポケット”

2021年10月27日(水)東京都 TSUTAYA O-EAST
OPEN 18:00 / START 19:00

入場チケット

価格:前方指定席7700円(税込) / 後方自由席6600円(税込)

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配信視聴チケット

価格:一般3000円(税込) / auスマートパスプレミアム会員2600円(税込)

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間違い電話が運命だった

──「TOUCH」は“出会い”や“触れ合い”をテーマにしているライブシリーズなので、まずはソナーポケットの3人がどう出会ったのかを改めて聞かせてください。

matty(DJ) 最初はko-daiとeyeronが出会ったんだよね。

ko-dai(Vo) そうだね。僕とeyeronはもともと友達で。当初は別々で活動していたんですけど、週に2回くらいはお互いの家に泊まるくらいの仲のよさだったし、2人でDJをしたり、歌ったり、音楽での遊びをよくしていたので、あるとき、自然と一緒に曲を作ってみようってことになったんです。そこでできたのが、4枚目のシングル「二人いつまでも」のカップリングに入っている「going my way」。2人ともすごく気に入っていたから寝かしておくのはもったいないってことで当時、月に2回やっていた自分たち主催のイベントで披露するようになって。そのときに付けたのがソナーポケットっていう名前だったんです。その曲をやるためだけの即席ユニットみたいな感じだったんですけど。

eyeron(Vo) 当時、僕が所属していたグループや仲間たちのレコーディングを僕の自宅でしていて。その中でもソロ活動をしていたko-daiは、マイクの通りや歌唱力、オリジナリティあふれるスタイルで正直誰よりもズバ抜けていたのを覚えてます。むしろそんな男と、遊びとはいえ一緒にグループを作れたことがうれしかったし、何より未来への期待で胸が熱くなる日々を過ごしていました。

ソナーポケット 全国ツアー2021「80億分の1 ~with you~」の練習風景。

ソナーポケット 全国ツアー2021「80億分の1 ~with you~」の練習風景。

──そこにmattyさんはどう絡んでいったんですか?

matty 僕はまた別のグループを組んで活動していて、とあるイベントへ出たときにko-daiと出会ったんです。ソロシンガーとして出演していたko-daiの出番が僕らの次だったので、僕がオリジナルのインストを流してつないだんですけど、そこで彼はいきなりフリースタイルで歌っぽいラップを乗せてきて。当時、そんなことができてしまうアーティストを僕は知らなかったから、めちゃくちゃ衝撃を受けたんですよね。で、どうしても一緒にやってみたかったからイベントのオーガナイザーさんに頼んで連絡先を教えてもらったんですけど、後日電話をかけたらeyeronが出たっていう(笑)。

ko-dai 間違えてeyeronの電話番号を渡されてたんだよね(笑)。

matty そう。僕はko-daiのつもりで話してるんだけど、全然会話が噛み合わないんですよ(笑)。よくよく聞いてみたら、イベントのときにko-daiのバックDJをやっていたと。で、実は2人でソナーポケットというグループもやっていますと。僕はその段階でko-daiにしか興味がなかったんだけど(笑)、しょうがないから3人で1回会おうということになったんですよね。それが今につながる大きな出会いだったっていう。

──最初に3人がそろったときはどんな雰囲気だったんですか?

ko-dai mattyはトヨタのbBっていう車に乗ってきて小ぎれいに決めてたから、「この人、お金持ちなのかな」って思いました(笑)。僕はNAUTICAのTシャツが一張羅で、靴はナイキのエアフォース1しか持っていない感じだったから。

eyeron すでに名古屋ではわりと人気があったmattyとの初対面のときは少し緊張してたと思います。でも見た目の派手さとは裏腹に、すごく優しい対応に救われました。年齢は離れていても、それを感じさせないくらいの距離感で近付いてくれたので、仲よくなるのには時間がかからなかったです。

matty いろんな話をする中で、まずは「1曲一緒にやってみよう」ということになったので、僕がオリジナルのトラックを渡して。

ko-dai その足でeyeronの家に行って、もらったトラックに対して歌詞とメロディを乗っけたんですよ。それをmattyに、「こんなん出ましたけど」みたいな感じで送り返したっていう(笑)。それがのちに世に出た「情熱大陸」(1stシングル「Promise」のカップリングに収録)っていう曲になるんですけど。

matty そこでまた衝撃を受けたわけですよ。僕はけっこういろんなグループを経験してきましたけど、トラックを渡して数時間後にメロと歌詞をつけてくる人なんて出会ったことがなかったので。これはすごい2人だぞと。そこからもう何曲かそういったやり取りを続けていくうちに、気付いたら僕はそのときに組んでた別のグループを辞めちゃってましたね(笑)。ソナーポケットの一員として活動したい気持ちが強くなっちゃったから。

ko-dai 何回目かに会ったとき突然、「グループ辞めてきた」って言い出して。そんなこと言われたらもう一緒にやるしかないじゃんっていう(笑)。その段階でeyeronはまだ別のグループをやっていたし、そこまで本気でソナーポケットをやる気もなかったんですけどね。

matty うん。僕だけが先に本気になっちゃったっていうか(笑)。僕はレコード会社のプロモーターをやっていたことがあったので、ソナーポケットの紙資料を作って、音源と一緒にいろんな媒体にバラまくようになって。そうしたら、たまたまテレビ出演が決まったんですよ。そこからですね、ko-daiとeyeronの心の風向きが変わりだしたのは。「この3人で行けるんじゃないか?」って感じになってきたので、そこから正式に一緒にやることを決めたんです。

ko-dai テレビ出演が決まった瞬間、eyeronもやってたグループを辞めましたからね。乗り気になっちゃって。

matty 現金ですよね(笑)。

eyeron 運命の分かれ道でソナーポケットを続ける選択をした自分を今となっては褒めてあげたいです(笑)。タイミングよくテレビの出演が決まったり、mattyのトラックと出会ったり、なんだか運命に導かれていた気もする。自分にとってのターニングポイントの1つであったことは間違いなくて、あの日の決断から今もこうしてソナーポケットとしていられることを改めてメンバーに感謝したいですね。

ko-dai(Vo)

ko-dai(Vo)

matty(DJ)

matty(DJ)

eyeron(Vo)

eyeron(Vo)

──そこから16年の月日が流れた今も3人で活動していることを考えると、その出会いは運命だったのかもしれないですね。

ko-dai そうかもしれない。でもまあ、今につながるとっかかりを作ってくれたのは間違いなくmattyですけどね。僕とeyeronはホントに遊びの延長線でしかなかったというか。地元の名古屋にある日本ガイシホールでライブをやって、ライブ中にはゴンドラに乗って登場して、みたいな妄想はたくさんしてましたけど(笑)、それを実現させるためにどうしたらいいのかってことまでは頭が回っていなかったから。それをmattyがちゃんと導いてくれたんです。

matty 偶然が重なったというのも大きいと思いますよ。最初に電話したとき、ストレートにko-daiとつながっていたらきっとソナーポケットは生まれていなかったとも思うし。とはいえ、最初のテレビ出演をきっかけに3人の歯車ががっちり合わさって以降、インディーズでのリリースが決まったり、今の事務所から声をかけられたり、トントン拍子に物事が動き出したのはやっぱり運命だったのかなっていう思いもありますね。

挫折でつかんだラブソング

──その後、2008年9月にソナーポケットはシングル「Promise」でメジャーデビューを果たします。

ko-dai 3人で動き出してからは根拠のない自信に満ちあふれていたんですけど、メジャーデビューによってそれがバッチバチに挫かれましたね(笑)。デビュー曲にはダブルタイアップがついていたし、数十局のラジオのパワープレイも獲得していたので、これはものすごい速さで売れるだろうって思っていたんです。“大型新人デビュー”みたいな触れ込みだったし。でも実際は全然違っていて。リリースを重ねてもまったく結果が出なかったんですよね。なんとか1枚目のアルバム(2009年リリースの「ソナポケイズム1~幸せのカタチ~」)を出したあとも、急に8カ月間もリリースできない状況になってしまって。そこが大きなターニングポイントでした。

eyeron 実は個人的にはそんなに状況が悪いとは思っていなかったんです(笑)。なぜなら今みたいにいろいろと戦略を立てて考えたりすることも少なかったし、ブランディングに関しても経験やノウハウがない中だったので、知らないというのはある意味最強ですよね。でも今振り返ったら、メシが喉を通らないくらい深刻な状況だったと思いますよ。

──その状況を打破するためにどうしたんですか?

ko-dai そこで改めて自分たちを見つめ直したとき、どんなに時間が経っても色褪せないラブソングを軸にすることを決めたんです。それまでの自分たちには特化した色がなかったから、“ソナーポケット=ラブソング”というイメージを作れたらいいんじゃないかなと。で、リリースの止まってた8カ月の間に、「好きだよ。~100回の後悔~」や「100年先まで愛します。」といった曲たちが生まれたんです。

──ラブソングという武器との出会いによって、活動に光が見出せたわけですね。

eyeron 世の中が反応し、自分たちに求めてくれることを徐々に理解し始めて、世間からの評価や、好きでいてくれている方たちの期待に応えたいと思うようになったから、少しこっ恥ずかしい“ラブソングマスター”という名称も名乗ることもできました。

matty その武器を自分たち自身で見つけ出し、心からいいと思うものを作り続けたからこそ、それが多くの人に受け入れてもらえるようになったんじゃないかなと思いますね。気持ちとしては、ようやくそこでスタート地点に立てた感じでした。