大人気動画クリエイターグループ・東海オンエアのメンバー、としみつが音楽活動に取り組んでいることをご存知だろうか。
YouTubeでの活動をスタートさせる前から、音楽が好きだったというとしみつ。特にSMAP、UVERworld、Janne Da Arc、BUMP OF CHICKENなど日本のアーティストに影響を受けてきたという。音楽をこよなく愛する彼は、念願叶って2019年6月にTOSHIMITSU名義で1stミニアルバム「THE BEST」を発表。楽曲のリリースやライブ活動を重ね、2024年にデビュー5周年を迎えた。
今年6月にEP「THE BEST4」をリリースしたTOSHIMITSUは、本作を区切りにアーティスト名を青春ヶ丘俊光に変更。9月から11月にかけては新名義初のライブツアー「全力疾走ツアー この漢 青春ヶ丘」に臨む。
音楽ナタリーではTOSHIMITSU改め青春ヶ丘俊光に初インタビュー。改名の真相や最新作「THE BEST4」の収録曲、ツアーへの思い、音楽活動のモットーなどを聞いた。
取材・文 / 小松香里撮影 / 入江達也
どこまでできる男なのか力を試したい
──そもそも、TOSHIMITSUさんがリードボーカルを務めていたバンドが2017年に解散したあと、約2年後にTOSHIMITSUとしての活動を始めたのはどういう経緯なのでしょう?(参照:東海オンエア・としみつソロデビュー!ミニアルバム「THE BEST」発売)
バンドの解散理由としてよく言われる“音楽性の違い”という言葉があるじゃないですか。その言い方は僕からしたらカッコよすぎて。シンプルにバンド活動の継続が難しかったんです。メンバーと仲はいいんですが、曲を作るうえでなかなか歯車が噛み合わなくて解散することになりました。その頃、当時の東海オンエアの事務所が主催するイベントに、たまにゲストボーカルとして出演して歌っていたんですが、それがすごく楽しくて、「俺、輝いているぞ」と思ったんですね。1人でステージに立つほうが向いているんじゃないかと思って、ソロをやることに決めました。
──TOSHIMITSUさんは基本的にご自身で作詞作曲されていますが、いつから曲作りを始めたんでしょう?
バンドを始めた頃から作詞はやっていたんですが、メロディを作り始めたのはソロになってからですね。トラックメイカーさんが作ってくれたトラックに僕が歌詞とメロディを乗せています。
──3rdミニアルバム「THE BEST3」(2022年9月発売)には川谷絵音さんが作詞作曲した「僕らの鳥」という曲が収められていましたが、最新作では曲を提供してもらうのではなく自分で書こうと思ったのはどうしてだったんですか?
提供していただく曲を歌うのも好きではあるんですが、基本的には自分で曲を書きたいんです。そもそも、まだ曲を提供してもらっていい人間ではないというか(笑)。
──提供曲を歌うことからキャリアをスタートさせて、途中から自分で曲を書き始めるケースも多いですよね。
僕の場合、その形だと自分が根本的に思っていることが表現しづらくて、自分が何をしたいかわからなくなっちゃうと思ったんです。まずは自分の頭で考えて、僕の口から出た言葉やメロディを曲にすることをがんばりたかった。
──歌詞とメロディはどういうふうに作っていくことが多いんでしょう?
圧倒的に詞先が多いです。メロディは繰り返し練っていく中でいいところに着地していきます。なかなかいいメロディが出てこないときは「ほかのアーティストさんだったら、すごくいいメロディが浮かぶんだろうな」と悔しくなったりもします。
──川谷さんの提供曲「僕らの鳥」を聴いたときはどうでした?
絵音さんの曲って全部素晴らしいんです。なので、「僕らの鳥」をいただいたときも、やっぱりいい曲を作られるんだなと思いました。「すげえ! 聴けば聴くほどいい曲だな」と子供みたいに興奮して。周りからも「誰かに作ってもらわないの?」と言われることはあるんですが、自分の力でどこまで行けるか1回試さないと、面白くないと思うんです。そこでダメだったら自分はそこまでの人間だったとあきらめがつくんで。もちろんあきらめたくはないですが。運試しみたいな部分もありますね。
“望遠鏡を覗く”のは似合わない
──アルバムの収録曲はまっすぐなメッセージソングが多いですよね。
そうですね。詩的な表現はあまりせず、悪く言うとバカが書いているようなまっすぐな歌詞ですよね(笑)。
──影響を受けたアーティストはいますか?
SMAPの影響が一番強いと思います。母親の影響で、家族みんなSMAPが大好きなんです。SMAPは永遠の憧れですね。
──音楽を熱心に聴き始めたのはいつ頃だったんですか?
中学校ぐらいまではあまり音楽を聴いてこなかったんですが、だんだん日本のメジャーな音楽を聴くようになって。テレビとかで観て吸収したものを自分なりに解釈して音楽活動にも落とし込んでいきました。バンドも好きですね。UVERworldも好きだし、Janne Da Arcも好きで。Janne Da Arcの影響で、僕のステージングにはヴィジュアル系っぽい動きが入っていると思います。ただ、音楽に限らずYouTubeでの活動もそうですが、いろいろな人に影響を受けてはいるけれど何かを真似しようと思ったことは一度もないんです。
──確かにTOSHIMITSUさんの楽曲は、序盤は王道でいくのかなと思っても、思わぬ展開が多く盛り込まれている印象があります。
BUMP OF CHICKENも好きで、本当は「天体観測」とか「ray」みたいな曲が歌いたくて、「ああいう曲をライブで歌えたらどんなに素敵なんだろう」と思いながら生きてきたところがあったんです。だけど最近、「どうやら自分には“望遠鏡を覗く”のは似合わない」という悲しい事実に気付いて(笑)。僕は泥をかぶってるくらいのテンションの曲が似合うんだなと。
──泥臭い人間らしさのある曲が多いですよね。
そうなんですよ。僕は汗ひとつかかずにカッコよく歌うようなことはしちゃいけないんだなと。それをやるとボケになっちゃうから。そういう気持ちを反映した曲も「THE BEST4」には入っています。「ユートピア」に「望遠鏡 覗いたら 月が笑ってた」という歌詞があって。「お前はカッコつけていいタイプじゃないから」と“月”に言われている……そんなシーンを想像して歌詞にしました。
TOSHIMITSUから青春ヶ丘俊光へ、改名の真相
──5月に行われた新宿BLAZEでのライブで、TOSHIMITSUの活動を終了して青春ヶ丘俊光に改名することを発表されました。名義変更はいつから考えていたことだったんでしょう?
青春ヶ丘俊光っていう名前は8年くらい前からあって、その経緯を説明する動画を東海オンエアのサブチャンネル「東海オンエアの控え室」に上げているんですが、これは(東海オンエアの)てつやが考えた名前なんです。音楽活動の名義の候補をたくさん挙げていく中に「青春ヶ丘俊光」があって、最初からその名前だと浸透しづらいかなと思ったので、ローマ字表記のTOSHIMITSUにしたんです。僕は保守的なところもあるので置きにいったというか(笑)。でも“忘れられない女”みたいに青春ヶ丘俊光という名前がずっと頭に残っていて、音楽活動のスタイルが固まってきたので「もうちょっと攻めたいな」と思って改名することにしました。本格的に変えたいと思ったのは今年の年明けぐらいでしたね。やることは特に変わらないんですが、TOSHIMITSUだと名前が埋もれちゃって限界があるなと。青春ヶ丘俊光はインパクトがある名前なので勢いが付けられるし、もっと活動の可能性が広がると思ったんです。
──この5年間の活動があったからこそ、インパクトのある名前に変えることができた?
本当にそうですね。5年活動してきたからこそ改名できたと思います。ちゃんとアーティストとして走ってこられた実感があります。
──では、「THE BEST4」は改名して新しいステージに行くことを意識した作品なんでしょうか?
いや、そういうわけではないですね。「THE BEST4」は今までで一番パワーがあって、ライブに厚みを持たせてくれるような曲がそろってると思います。ちなみに、バラードが1曲もないんですよ。バラード自体は好きなんですけど。トラックに関してはプロデューサーとトラックメイカーさんが主導で制作していて、僕はあまり口出ししないんです。よっぽど違和感があったら「ちょっと変かもしれないです」と言いますが、基本お任せですね。僕はアレンジの知識が豊富にあるわけじゃないので。
──テンポがコロコロ変わったり、歌うのが難しい曲が多いですよね。
多いですね。確かに「I don't stop playing!!」の2番とかけっこう急に譜割りが細かくなったり。
──ラップっぽくなりますよね。
はい。ラップ育ちのプロデューサーの影響が出てますね。ガチガチのラップを僕がやるのはちょっと違う気がするんですが、こういうラップは面白いなと思いました。
──ヒップホップというよりミクスチャーですよね。
そうですね。この5年間でラップのアプローチはちょっとうまくなったと思います。
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