ナタリー PowerPush - THE YELLOW MONKEY
徹底座談会で明かされる新事実とそれぞれの“1曲”
さまざまなストーリーを生んだ「JAM」
──代表曲の1つである「JAM」(1996年2月発売の9thシングル)はどうだったんですか?
結城 あの曲にもストーリーがありますからね。
宗清 うん。「JAM」のときが一番モメたんですよ。
有賀 あ、そうなんですか。
宗清 「太陽が燃えている」が売れて、「FOUR SEASONS」がオリコン1位を取って。僕だけではなくて、当時のコロムビアの宣伝、営業を含めてみんなが「太陽が燃えている」の第2弾を期待するわけですよ。キャッチーでポップで、それでいてハードなロックっていう。マスコミもそれを望んでましたからね、まだテレビに出始めたばかりだったし。だけど、吉井くんが「次のシングルにしたい」って持ってきた曲が「JAM」だったわけですよ。もちろん「吉井さあ、これ、どうするの?」ってなりますよね。
──ポップでキャッチーとは真逆の、非常にシリアスな内容を伴ったバラードナンバーですからね。
宗清 吉井くんとしてはね、MOTT THE HOOPLEの「All The Young Dudes(すべての若き野郎ども)」という曲が頭にあったんですよ。デヴィッド・ボウイが書いた曲なんですけど、「僕は日本の『すべての若き野郎ども』を作りたいんです」って。
有賀 なるほどねえ。
宗清 いろいろ話をして、最後は「じゃあ、やってみるか」ってことになったんですけど、会社では大会議ですよ。コロムビアの宣伝会議でつるし上げられましたからね、最初は。「宗清さんは我々宣伝がここまで培ってきたものをぶち壊す気ですか」「この曲じゃあテレビに出られません」「バラードで勝負なんて早いですよ」って。当時の(所属レーベル)TRIADのチームは結束力があったからね。僕もそのときは「メンバーとも話をしたけど、しょうがないじゃないか。がんばってくださいよ」って言うしかなかったんだけど。レコーディング中もね、大ヒットの予感満載ってわけじゃないんですよ。よく覚えてるんだけど、吉井くんが歌入れしてるときに、大森社長が「今回のシングルの順位、予想はどうですか?」って聞くわけですよ。僕が「30位以内に入れば……」って言うと、「そんなに行きますかねえ」って(笑)。
結城 あはは(笑)。
宗清 そこに「音楽と人」が絡んでくれて、「レコード会社が発売を反対している」という1つのストーリーを作ったわけですよ。
結城 「シングルとしてはよくないんじゃないか(とレコード会社が判断している)」ということですよね。
宗清 レコード会社が「これじゃあ売れない」と反対している、問題作だと。
結城 そういうインタビューを表紙でやって。でも、あのときのTRIADの皆さんは「JAM」という曲をめちゃくちゃ大事にしてたんですよ。すごいプロモ力でしたよね。
宗清 宣伝としては「この曲を出す以上、意地でもカタチにしなくちゃいけない」って思ってたからね。
結城 すごく愛情を感じたんですよね、あのとき。みんなが「どうしてこの曲をシングルにするか」というストーリーを語ってくれて。
変化のスピードがすごく速いバンド
──シングルとしてはかなり尺が長い曲ですが、「ミュージックステーション」にも出演してますよね。
有賀 それは中原さんががんばったんだよね。
結城 中原さんっていう伝説のプロモーターがいたんですよ。「JAM」のときも中原さんががんばって、フル(コーラス)で歌えるようにしたんですよね。
宗清 THE YELLOW MONKEYがデビューしたときはまだ、彼はアルバイトだったんじゃないかな。とにかく遮二無二がんばるヤツだったんだけど、30代で死んじゃったんですよね。THE YELLOW MONKEYが移籍したときは、「絶対に見返してやる」って、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTを一生懸命売り出して。で、突然死んじゃって……。
有賀 九州のバンドコンテストのときですよね。最後の東京ドームのライブのときも、「JAM」を演奏したときに中原さんのことを話しましたよね、吉井さん。
宗清 そうですね。とにかく「JAM」が1つのポイントになったことは間違いないですよ。吉井くんもきっと「俺はこれでいける」っていう自信を持ったんじゃないかな。それまでの歌謡メロディとか、独特のバンドサウンドとは違う曲じゃないですか。あの歌詞の思想が世の中に大きな影響を与えたわけで、「本当に日本の『すべての若き野郎ども』を作ったぞ」という達成感もあっただろうし。
──「JAM」は「FOUR SEASONS」に収録された「Tactics」と両A面シングルでリリースされてるんですよね。
宗清 「Tactics」が「るろうに剣心」(フジテレビ系アニメ「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-」)のエンディングテーマになったからね。
有賀 「Tactics」ってタイトルを聞くと「野性の証明」(1996年の全国ツアー「FOR SEASON -野性の証明」)の熱いステージを思い出しますね。バンドがどんどん上がっていくときのオーラだったり、ファンの熱狂的な雰囲気だったり。あのときはアイドルバンドだったよね、いい意味で。ストーンズだって、アイドルだったわけだから。
高橋 あのツアーのとき、「天国旅行」をすでにやってましたよね。
有賀 うん、やってた。
──(1997年1月発売の)次のアルバム「SICKS」収録曲ですね。
結城 次への布石ですよね。
有賀 「次の自分たちはこうなる」っていうね。変化のスピードがすごく速いバンドなんだよ、THE YELLOW MONKEYは。「半年前と全然違う」っていうのがずっと続いてたというか。吉井さん自身も次の展開、その次の展開を前もって考えてたと思うんだ。そこから逆算して「今はこれをやる」っていう考え方だったんじゃないかな。
- ベストアルバム「タイトル未定」 / 2013年7月31日発売 / 日本コロムビア
- 初回限定盤 [CD+DVD] / 3675円 / COZP-786~7
- 初回限定盤 [CD+DVD] / 3675円 / COZP-786~7
- 通常盤 [CD] / 1890円 / COCP-38162
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応募締切:2013年6月20日(木)23:59
THE YELLOW MONKEY(いえろーもんきー)
1989年12月に吉井和哉(Vo)、菊地英昭(G)、広瀬洋一(B)、菊地英二(Dr)の4人で本格始動。グラマラスなビジュアル&サウンドと歌謡曲にも通じるキャッチーなメロディを武器に、渋谷La.mamaを拠点に精力的なライブ活動を行う。1991年にはインディーズから初のアルバム「Bunched Birth」をリリース。翌1992年5月にはシングル「Romantist Taste」でメジャーデビューを果たす。その後も着実に知名度を高め、1995年4月には日本武道館で初のワンマンライブを実現。「太陽が燃えている」「JAM」「SPARK」といったヒットシングルを連発し、5thアルバム「FOUR SEASONS」は初のオリコン週間ランキング1位を獲得する。その後レーベル移籍を挟み、6thアルバム「SICKS」、ヒットシングル「楽園」「LOVE LOVE SHOW」「BURN」のリリース、「FUJI ROCK FESTIVAL '97」への出演や海外公演、野外スタジアムツアーなどを実施。1998年から1999年には、アルバム「PUNCH DRUNKARD」リリースにまつわる計113本、延べ50万人以上を動員した史上最大のロングツアーを1年間にわたり敢行。トップバンドの名を欲しいままにする。2000年には8枚目のアルバム「8」をリリース。新進気鋭のプロデューサー陣を立て、新機軸を打ち出す。しかし、同年11月に活動休止を突如発表。翌2001年1月の大阪ドーム(現・京セラドーム大阪)&東京ドームでのライブをもって、長期間の充電に突入する。多くのファンから復活を熱望されていたが、2004年7月に正式に解散を発表。現在もなお、伝説のバンドとして多くのロックファン、アーティストからリスペクトされている。