ナタリー PowerPush - THE YELLOW MONKEY

徹底座談会で明かされる新事実とそれぞれの“1曲”

勝負をかけた「Love Communication」「smile」

──1995年に入ると、徐々にセールスも上がってきますよね。5thシングル「Love Communication」に続くアルバム「smile」はオリコン4位にランクイン。成果は確実に上がってたんじゃないですか?

宗清 今から見るとそういう印象かもしれないけど、実はそうでもないんですよ。「Love Communication」も大してヒットはしてないし、「smile」もいきなり何10万枚も売れたわけではなくて、最初は4万枚くらいで止まってたんです。それまでは1万いくかどうかっていうバンドだったから、それでも大したことではあるんですけどね。「Love Communication」にしても、すんなりとリリースできた曲じゃないんですよ。「smile」の中に「エデンの夜に」っていう曲が入ってるんですけど、吉井はそれをシングルにしたがってたから。「Love Communication」は「smile」のレコーディングが終わった時点では存在してなかったんです。で、「『エデンの夜に』をシングルにするのは無理。もう1回『悲しきASIAN BOY』みたいな曲を作ってくれ」って言って。吉井くんとしては「それはもうやったでしょう。結果も出なかったじゃないですか。自分たちは違う方向に行きたいんです」ということだったんだけど、「いや、君らの真骨頂は『悲しきASIAN BOY』路線だと思う」って説得して。そこでちゃんと作ってくるのが吉井くんのすごいところなんですよね。ギターの弾き語りで鼻歌みたいなデモで「こういうことですか?」って持ってきたんだけど、「そう、これだよ!」って。で、急遽追加レコーディングしたんですよね。

座談会の様子。

結城 吉井さんって切羽詰まった状況でも、絶対に書いてきますよね。スタジオでもよく歌詞を書いてたし、あの集中力はすごいと思う。

宗清 それじゃあダメなんだよ、ちゃんと家で書いてこいって話だから。スタジオで歌詞を書いてそのままレコーディングすることはけっこう多かったんだけど、手書きのシートだから使いづらいし(笑)。もちろん大変だったのはわかるけどね、曲も書いてたわけだから。歌詞に関しては、決してすんなり出てくるタイプではなかったですね。

──結城さんは「smile」前後のTHE YELLOW MONKEYを見ていて、「ついにブレイクする」という勢いを感じていましたか?

結城 正直に言うと、昔から知っていてどれもこれも好きだったから、「smile」のときに「これでイケる」とは感じなかったんですよね。ただ、すごくキャッチーになったな、とは思いました。「ボンジュール・ジャポン」(「smile」の収録曲「マリーにくちづけ」の歌詞)なんて、それまでは絶対に歌わなかったと思うし。勝負をかけてるんだな、というのはわかりました。

レコーディング中から「1位を取れるかもね」という気分だった

──「smile」の9カ月後には早くも次のアルバム「FOUR SEASONS」をリリース。この作品で初のチャート1位を獲得しました。

宗清 「FOUR SEASONS」はすごくデカいと思います。ちょうど「追憶のマーメイド」(1995年7月発売の7thシングル)を発売する時期にロンドンでアルバムのレコーディングをしてたんですけど、「このアルバムで1位を取れるかもね」という気分だったからね。「smile」のときの“売れるはずだ”には根拠がなかったんだけど(笑)、「FOUR SEASONS」のときはもっとはっきりした手応えがあった。

有賀 演奏もいいしね。すごく大きなグルーヴで、セコセコしてないというか。

宗清 そうです。あのときはレコーディングの進行も早かったんですよ。それまでは押す(遅れる)ことが多くて、吉井くんの歌入れのときなんかはけっこうイライラしてたんだけど、「FOUR SEASONS」のときは本当に順調だった。「え、もうギター録っちゃったの? じゃあ歌入れしようか。まだ歌詞ができない!?」みたいな感じで。

結城 雰囲気もよかったですよね。

宗清 そうですね。メンバー全員スタジオにいたし。ANNIEなんて、ドラムを録り終ったらヒマじゃない? でもずっとスタジオにいたからね。

──「追憶のマーメイド」、「太陽が燃えている」(1995年9月発売の8thシングル)をはじめ、シングルでもヒットが続きました。

有賀 そうだよね。ただ「追憶のマーメイド」だけはすごくベタな歌謡曲路線じゃないですか? あれはどうしてなんですか?

宗清 あの曲はコロムビア時代に唯一、外部プロデューサーを立てた曲なんですよ。背景にあったのはタイアップですね。当時「じゅわいよ・くちゅーるマキ」の「カメリアダイヤモンド」のCMがバンドにとっての1つの登竜門というか、あのCMで曲が流れれば売れるみたいなことがあって。

有賀 ああ、ZIGGYもそうですよね。

宗清 そうそう。あの時期、ある制作プロダクションを通して、「THE YELLOW MONKEYでタイアップを取れる可能性が高い」という話があって。プロデューサーを付ければ確率が上がるということもあったし、メンバーも(CMのことを)過剰に意識してたんですよね。「追憶のマーメイド」っていうタイトルも、カメリアダイヤモンドのCMのことを思えば納得できるじゃないですか。ただ、確かにロック感は少ないですよね。

ベストアルバム「タイトル未定」 / 2013年7月31日発売 / 日本コロムビア
初回限定盤 [CD+DVD] / 3675円 / COZP-786~7
初回限定盤 [CD+DVD] / 3675円 / COZP-786~7
通常盤 [CD] / 1890円 / COCP-38162
みんなで選ぼう!あなただけのTHE YELLOW MONKEY「この1曲」!

THE YELLOW MONKEYの全122曲から自分の好きな楽曲を選んで、メッセージとともに投票(1回1曲、計3曲まで投票可能)。集計結果の上位楽曲がベストアルバムに収録される。

応募締切:2013年6月20日(木)23:59

THE YELLOW MONKEY(いえろーもんきー)

1989年12月に吉井和哉(Vo)、菊地英昭(G)、広瀬洋一(B)、菊地英二(Dr)の4人で本格始動。グラマラスなビジュアル&サウンドと歌謡曲にも通じるキャッチーなメロディを武器に、渋谷La.mamaを拠点に精力的なライブ活動を行う。1991年にはインディーズから初のアルバム「Bunched Birth」をリリース。翌1992年5月にはシングル「Romantist Taste」でメジャーデビューを果たす。その後も着実に知名度を高め、1995年4月には日本武道館で初のワンマンライブを実現。「太陽が燃えている」「JAM」「SPARK」といったヒットシングルを連発し、5thアルバム「FOUR SEASONS」は初のオリコン週間ランキング1位を獲得する。その後レーベル移籍を挟み、6thアルバム「SICKS」、ヒットシングル「楽園」「LOVE LOVE SHOW」「BURN」のリリース、「FUJI ROCK FESTIVAL '97」への出演や海外公演、野外スタジアムツアーなどを実施。1998年から1999年には、アルバム「PUNCH DRUNKARD」リリースにまつわる計113本、延べ50万人以上を動員した史上最大のロングツアーを1年間にわたり敢行。トップバンドの名を欲しいままにする。2000年には8枚目のアルバム「8」をリリース。新進気鋭のプロデューサー陣を立て、新機軸を打ち出す。しかし、同年11月に活動休止を突如発表。翌2001年1月の大阪ドーム(現・京セラドーム大阪)&東京ドームでのライブをもって、長期間の充電に突入する。多くのファンから復活を熱望されていたが、2004年7月に正式に解散を発表。現在もなお、伝説のバンドとして多くのロックファン、アーティストからリスペクトされている。