ザ・クロマニヨンズが8月に始動させた6カ月連続シングルリリースプロジェクト「SIX KICKS ROCK&ROLL」に合わせて、音楽ナタリーでは6カ月連続特集「SIX TALKS ROCK&ROLL」として関係者へのインタビューと、小野島大によるシングルレビューを展開している。
第5弾となる今回は、フォトグラファーの柴田恵理へのインタビューを掲載。クロマニヨンズのアーティスト写真、ライブ写真を撮り続けている彼女に、甲本ヒロト(Vo)、真島昌利(G)との出会い、クロマニヨンズをカメラに収める際に意識していること、被写体としてのヒロト&マーシーの魅力などについて聞いた。
取材・文 / 森朋之撮影 / 吉場正和
第5弾シングル「縄文BABY」レビュー
小野島大
6カ月連続でシングルをリリースする「SIX KICKS ROCK&ROLL」の第5弾が登場。ザ・クロマニヨンズのロックへの深い愛情と強靱な演奏力をまざまざと見せつける強力なナンバーがそろった。
「縄文BABY」は、The Who「So Sad About Us」を思わせるギターイントロから、1950年代のロッカバラードのようなゆったりしたリズムが繰り出される。「シャララッシャ」というコーラスといい、ちょっとノスタルジックなムードも漂わせている。「星の屑 降り注ぐ / キラキラと 輝くよ 刃の夜だよ」という一節が最高にロマンティックな、ザ・クロマニヨンズ流のオールディーズポップスへのオマージュだ。
タイトルがまず冴えている「ナイフの時代」は、Sex Pistols「Anarchy In The UK」を換骨奪胎したような曲だが、演奏は全盛期のThe Whoを思わせるパワフルかつエネルギッシュなもの。桐田勝治のキース・ムーンばりの乱れ打ちドラムスが最高だ。歌詞は個人的に彼らなりの反時代宣言と受け取った。「危険は承知 車と同じ / パソコンほどでは ない」という一節がいかにも彼ららしくて素晴らしい。
もともとはアニメオタク
──柴田さんがフォトグラファーになったきっかけから教えていただけますか?
美大に通っていたんですが、当時は1、2年でデザイン系全般を学んで、3年以降は専門のコースに進むことになっていて、写真を選んだんです。それで友達のバンドの写真を撮り始めたのが最初ですね。大学に“重音楽部”というサークルがあって、そこで活動していたバンドから「写真やってるんだったら、撮ってよ」と言われたんですよ。メンバーの1人が留学のためにバンドを抜けることになったから、記念に写真集を作ろうと。ちょうどその頃にペニー・スミスが撮影したThe Clashの写真集(「The Clash: Before & After」)をたまたま買っていて、マネしました(笑)。
──ペニー・スミスはThe Clashの名盤「London Calling」のジャケット写真で知られるフォトグラファーですね。
当時はThe Clashのことは知らなかったんですけどね(笑)。渋谷PARCOの地下の本屋さんでたまたま見つけて「カッコいいな」と。私がそのとき作った写真集の表紙はThe Clashの写真集とデザインや字体もほぼ一緒。活版印刷用の文字を組んで印刷したものをリスフィルムというものに印画して、密着プリントで表紙を作って、プリントした印画紙そのものを製本してまとめたんですけど、いまだに「これを超えられてないな」と思ったりしますね。
──柴田さんのキャリアの原点なのかも。もともとフォトグラファー志望だったんですか?
いえ、全然(笑)。もともと私はアニメのオタクで、同人誌も描いてたんですけど、高校生のときにX(現:X JAPAN)を知って「アニメのキャラクターみたいな人たちが現実にいた!」と大好きになって。ファンクラブにも入っていたし、hideさんと仕事したいと思ってデザイナーを目指して美大に入ったんです。なぜか写真を選んでしまったんですけどね(笑)。
──卒業後はすぐにフリーのフォトグラファーとして活動したんですか?
まず、就活を忘れてたんですよ(笑)。本来就活をしていなくてはいけない時期に、大学の非常勤講師の先生が「BANDやろうぜ」(1988年から2004年まで宝島社から発行されていた音楽雑誌)の仕事にアシスタントとして連れていってくれて。「LEMONed」(1996年にhideが立ち上げたブランド)のイベントだったんですけど、私も撮影させてもらって、自分の写真が誌面に載ったんです。
──おお、いきなりhideさんのイベントですか。目標達成じゃないですか。
夢みたいですよね(笑)。就活も忘れてたし、卒業後はバイトしつつ、卒業直前からたまにお仕事をいただくようになっていたDIWPHALANXレーベルなどでライブや取材、アーティスト写真の撮影をさせていただいていました。それが97年くらいかな。「DOLL」(1980年から2009年まで刊行されたパンク専門雑誌)でも撮らせてもらっていました。大学の重音楽部のバンドが「DOLL」で取り上げられるようになって、ほかのバンドからも「ウチも撮ってよ」と依頼がくるようになったんです。
──人の縁でつながった、と。
そうですね。今はSNSがあるので、編集者が「いい写真だな」と思えば、すぐに連絡が取れるじゃないですか。当時はそうじゃなくて、「この写真、誰が撮ってるの?」「柴田恵理だよ」という感じでつないでもらうしかなかったので。「DOLL」では、ディスクレビュー用にレコードジャケットの撮影もさせてもらってました。
──輸入盤のレコードは撮影するしかないですからね。
そうなんですよね。スキャナーなんかないし、1枚1枚、両側からライトを当てて撮影して。懐かしいです(笑)。
──ライティングなども、現場で学んだんですか?
2年ほど菊池茂夫さんのアシスタントをやらせてもらったんです。下北沢SHELTERでMAD3の写真を撮らせてもらっていたときに、ライブの現場でメンバーさんに菊池さんを紹介していただいて。そのときに「自分の仕事を優先していいから、時間があるときに俺のアシスタントやれば?」と言っていただいたんですよ。菊池さんのアシスタントについて、雑誌の取材の流れだったり、海外のアーティストを撮るときのことも学んで。本当に恵まれてばっかりです。
ヒロト&マーシーとの出会い
──ヒロトさん、マーシーさんの写真を撮るようになったのは、どんな経緯だったんですか?
それも縁というか、つながりなんですよね。99年に福岡でイベントがあって、私はMAD3を撮るために行ってて。SHEENA & THE ROKKETS、THE HONG KONG KNIFE、ギターウルフ、KING BROTHERSなどが出ていたんですが、そのときにTHE NEATBEATSのメンバーと知り合ったんです。2000年くらいから彼らが東京でライブをやるときに撮らせてもらって、アーティスト写真も担当させてもらうようになりました。
──なるほど。
その頃にTHE NEATBEATS、KING BROTHERS、ザ・ハイロウズが出演するイベントがあったんですよ(ザ・ハイロウズの企画イベント「that summer feeling」。ジョナサン・リッチマン、THE NEATBEATS、KING BROTHERSが出演)。その後、ザ・ハイロウズの事務所の方がTHE NEATBEATSを手伝ってくださるようになって。しばらくして「ハイロウズを若手のカメラマンに撮ってもらうコンペがあるんだけど、興味あったらやってみない?」と声をかけてもらったんです。
──それがヒロトさん、マーシーさんとの出会いなんですね。
はい。コンペ後の最初の現場が新宿LOFTだったんですけど、そのとき「次のシングルのジャケ写をマーシーが撮るから、準備を手伝ってくれないか」と言われて。「砂鉄」(2004年発売)のときなんですけど、「こういう感じにしたい」と伝えても、なかなかイメージ通りにならないから、マーシーさんが自分で撮ることになったらしくて。スイカを月に見立てて、宇宙飛行士が着陸してる写真ですね。
──あの写真、マーシーさんが撮ったんですね!
そうなんです(笑)。マーシーさんが思った通りの写真が撮れるようにセッティングしたり調整したりしました。撮影の後、ごはんを食べているときにマーシーさんに「どんな写真が好きなの?」って聞かれて、「The Clashの『Before & After』が好きです」と答えたら、「じゃあ大丈夫だね」って言ってくれたんですよね。
──すごい、またつながった。
そうなんですよ。さっきも言いましたけど、買った当時はThe Clashが好きだったわけではなくて、たまたま手に取った写真集なんですけどね。
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クロマニヨンズを撮るときに気を付けていること