ナタリー PowerPush - THE BACK HORN
震災を経て生まれた新バンドアンセム
音楽は絶対に必要とされてる
──ライブで印象に残ってる場面ってあります?
山田 郡山Hip Shotでのライブですね。アンコールで「世界中に花束を」をやったときに、感極まって歌わずに客席にマイクを向けちゃって。泣いてる人もいれば、笑顔で叫んでる人もいて、それがすごく印象的でしたね。
──自分の歌が求められてることが実感できた?
山田 うん、そうですね。
松田 僕も感じたことは一緒ですね。音楽が必要とされる優先順位は、食べ物とか毛布とかのあとにくるものだとは思うけど、自分が何ができるのかって考えたときに、音楽も絶対に必要とされるものなんだって、頭で考えたんじゃなくて、実際に東北に行って演奏して確認できましたね。それが役に立ってるかどうかまではわからなかったけど、俺たちの音楽を知ってようが知っていまいが、音楽に人が集まってくる素晴らしさを再確認できました。
──岡峰さんは震災以降ライブを重ねていってどう変わっていきましたか?
岡峰光舟(B) ライブって自分らでは無意識にやってた部分があると思うんですよ。でも震災直後は東日本ではやれる空気じゃなかった。震災から1週間後くらいに広島のイベントに出て、そこでライブができるってわかって、自分らが当たり前に思ってたことがそうじゃないって感じたというか。すごく緊張したし。
──なんのために自分たちが音楽をやってるのか、人前で演奏してるのかって改めて問い直す機会でもあったんですね。
菅波 そうですね。「シリウス」を作ってるときは、それが言葉になってなかったんですよね。今まではことあるごとに曲を作ってたし。彼女に振られたら作ってたし、むしゃくしゃしたら作ってたし、とにかくなんで曲を作るのかを自分では考えてなかった。でも、音楽を作ることがメンバーと聴いてくれる人の絆を生んでたし、理由はなくてもいいと思ってたんです。
──今はどうですか?
菅波 震災があって、なんでやってるのか、初めて自分に問うたかもしれないですね。今思うのは、音楽って俺というフィルターを通した主観的なものだけど、例えば震災があって、それを俺が見聞きしたものを、ひとつの物語というか、聴いたらすぐ感情がよみがえってくるような形にして残しておくことが、音楽の意味かもしれないなってだんだん思ってきたんです。カッコいいバンドに憧れて音楽を始めたけど、音楽ってものは聴いた瞬間に人それぞれの頭の回路につながって、すごく複雑にいろんな感情とか感覚を思い出させる、すごい記録の仕方だなって。震災が起きた瞬間は無力かもしれないけど、そのあとに曲を作って、その体験を落とし込んで、時間が経ったときのために残しておく使命はあるかなって。
来るべき誰かのために作り続ける
──誰かのために歌ってる意識ってありますか? 音楽を始めた当初は自分のためにやってたと思うんですけど、震災以降誰かのために音楽を作りたい、歌いたいっていう気持ちは出てきました?
菅波 そこは複雑になってる気がしますね。
松田 俺は、誰かのためって例えば誰なんだろうって思ってたんですよ。この曲はこういう人に聴かれたらいいなとか、こういう人に届いたらいいなって具体的に思ったことがあまりないんですよ。でも絶対に聴いた人に響くはずだ、この曲に出会う時期があるはずだって自信を持って音楽を作り続けて。それは今でも変わってないです。いろんな音楽に出会うタイミングとか、ささいなきっかけだったり、普段音楽を聴かない人が興味を持ち始めることがあったり、そういう機会はいろんなところにあって。ふと手に取ってもらって「これ俺に言われてる気がする」って思ってもらえる瞬間は絶対にあるなって思ってる。俺たちが出した曲は残るものだと思うから、それが5年後か10年後か、今すぐなのか、明日か……いろんなタイミングで人に寄り添えるような音楽を作っておくべきなんだなって思いますね。
──菅波さんが言うところの“記録”することで出会いがあるかもしれない、と。
松田 それを信じてますね。で、その出会いがあるっていうのは奇跡だと思うんですよ。自分もそうですし、THE BACK HORNの音楽に触れて、ライブに来て、それで救われたなんてものすごいことだなって思う。いずれ来るべき誰かのためにっていう言い方が近いのかな。できた曲自体はすぐ聴かせたいっていう気持ちがありつつも、いつかこの曲に出会う人もいるなっていう気持ちがありますね。
THE BACK HORN(ばっくほーん)
1998年に結成されたロックバンド。山田将司(Vo)、菅波栄純(G)、岡峰光舟(B)、松田晋二(Dr)の4人から成る。1999年夏には音源リリース前にもかかわらず「FUJI ROCK FESTIVAL '99」に初出演。同年9月に初のミニアルバム「何処へ行く」を発表する。強烈なライブパフォーマンスに加え、ハードなロックサウンドに文学的な日本語詩を乗せた音楽性で高い評価を獲得する。2001年にシングル「サニー」でメジャー移籍。以降コンスタントなリリースおよびライブ活動を展開している。また映画「CASSHERN」の挿入曲「レクイエム」提供をはじめ、映画とのコラボレーションも積極的に行い、映画関係者からも高い支持を受けている。