ナタリー PowerPush - THE BACK HORN
震災を経て生まれた新バンドアンセム
THE BACK HORNのニューシングル「シリウス」がリリースされる。東日本大震災の直後にチャリティシングルとして配信リリースされた「世界中に花束を」を除けば、2010年9月のアルバム「アサイラム」以来の音源ということになる。全ての傷ついた人々に希望と力を与える素晴らしいメッセージソングだ。
結成13年、メジャーレーベルに移籍してから11年を迎えた彼らにとって、震災は大きな転換点となった。彼らは今、何を考えているのか?
個人的な話になるが、筆者とTHE BACK HORNのメンバーがインタビューという形で対話するのは7年ぶりである。何もかもが大きく変わった7年。お互い7年分トシをとった。だが彼らの純粋で真っ直ぐで情熱的なまなざしは、少しも変わっていなかった。
取材・文 / 小野島大 撮影 / 平沼久奈
震災抜きには語れない「シリウス」
──今作の構想はどんなところから?
菅波栄純(G) 俺らだいたい曲ができてから、これがシングルだなって決めるんですけど、今回もそうで。この曲は震災抜きには話せませんね。震災が起きたとき、俺らスタジオで曲を作ってたんです。今までもいろんなことがあったけど、今回は自分たちの地元が被災したのもあったし、ショックが大きかったんですよね。で、「シリウス」はそれ以降に作った曲なんです。
──「世界中に花束を」はあらかじめできてた曲ということですか?
菅波 「世界中に花束を」は元々パーツがあった曲で、震災があった直後にアクションを起こしたいということで、そのときに一番いいと思うものを出したって感じなんです。「シリウス」は、音楽で俺らになんかできるのかなって一瞬無力感というか脱力感を味わったあとで作った曲なんです。で、4月~5月くらいに楽曲の素材を作ってて、みんなで合わせたのは7月くらい。さかのぼると、最初の歌詞はちょっと違ったんですよ。「今何ができるのだろう」っていうフレーズが出てくるんですけど、震災直後はその気持ちでいっぱいだった。そこで気持ちが止まってたっていうか。だけど、なんとかしなくちゃって、自分を急き立てるような焦りもあって。
──なるほど。
菅波 でも東北でライブをやっていく中で、お客さんがすごい笑顔になってるのを観て、少なくとも俺らは音が鳴らせるんだなって思った。だったら音楽を作るしかないなって腹が決まったところがあって、それが「シリウス」の歌詞を詰めていく時期と並行してるんですね。最初は無力感とか焦燥感に彩られた曲だったのが、ライブ1本やっていくごとに「聴いた人がパワーをもらえる曲をやろうとしてるんだよね」「これから新しいアルバムを作るよね」って気持ちをメンバーで確認し合って。その中で歌詞を変えようっていう気持ちがどんどん湧いてきた。でも自分にも正直でありたかったから、大きく変わったわけじゃなくて。少ししか書き足せなかったけど、最終的に「生きてる命があることが希望だから、自分たちはその命を叫んで育てて、食らって、一人じゃ生きていけない」っていうような歌詞になったんです。
お客さんから得たものがデカい
──最初は圧倒的な現実を前にして、戸惑って立ち止まってたのが、ライブによって気持ちが前向きになってきた。その結果、新たなフレーズが付け加えられたと。
菅波 実は実際に付け加えられたのは最後のフレーズの直前の部分で。この時点で最後のフレーズは浮かんでたけど、「命よ命を育て 命は命を喰らい 命は命を叫び 命は一人じゃ生かしきれない」っていう思いは俺らの中では実感できてなかった。
──説得力が出てなかったと。
菅波 言葉を生かせてなかったですね。希望が湧いてくるようなエネルギーまでは出てなかった。言葉だけはあったんですけど。
──変わったのはライブによってお客さんから得られたものが大きかったと。
松田晋二(Dr) それが一番デカかったかな。
菅波 そのへんの気持ちはみんなシンクロしてますね。
山田将司(Vo) 何ができるんだろうって気持ちはあったけど、ライブをやらせてもらえる環境があって、そこで待ってくれてる人がいて。どれだけ力になれたかはわからないけど、笑顔とか熱くなってる姿を見ると少しはプラスになれてることを改めて感じて。やっぱりこれからも僕らはお客さんとつながっていたいって思いました。
THE BACK HORN(ばっくほーん)
1998年に結成されたロックバンド。山田将司(Vo)、菅波栄純(G)、岡峰光舟(B)、松田晋二(Dr)の4人から成る。1999年夏には音源リリース前にもかかわらず「FUJI ROCK FESTIVAL '99」に初出演。同年9月に初のミニアルバム「何処へ行く」を発表する。強烈なライブパフォーマンスに加え、ハードなロックサウンドに文学的な日本語詩を乗せた音楽性で高い評価を獲得する。2001年にシングル「サニー」でメジャー移籍。以降コンスタントなリリースおよびライブ活動を展開している。また映画「CASSHERN」の挿入曲「レクイエム」提供をはじめ、映画とのコラボレーションも積極的に行い、映画関係者からも高い支持を受けている。