現場で聴いたことがない音楽がネット上にあった
じん 僕、ボカロPになる前はいろんな音楽を聴いてきた人間だと思っていたんですよ。高校の頃から邦楽洋楽問わずいろんなバンドの音楽を聴いてきたし、自分でバンドも組んでいたわけですし。ただボーカロイドのランキングシステムに上がってくる曲って、聴いたこともないようなジャンルの曲が多くて。ライブハウスでは全然聴いたことがないような音楽が日本のネット上で評価されている現象が面白かった。
kz 確かに、バックボーンが不明な曲は多いと思う。それは今でも変わらない気がする。
じん それがめちゃくちゃ楽しかったんですよね。ライブハウスに行くと、どうしても似たような音楽ばかりが集まっちゃうから。
kz それはすごくわかる。現場でやる音楽を否定するわけじゃないけど、界隈ができ上がると音楽性も人間関係もどんどん閉鎖的になっちゃうんだよね。先輩後輩とかの関係も生まれるし。
じん 「あそこはメタルの箱だから君たちには合わないよ」みたいに言われて。そういうよくわからない慣習を僕は窮屈に感じたんです。それに比べてニコニコではなんの後ろ盾もない人たちが純粋に音楽で異種格闘技をしている空気感があった。なんでこんなすごい人たちの音楽がネット上でしか評価されていないのか、疑問に思っていました。
kz すごい才能を持ったクリエイターがたくさんいるのに、それがきちんと評価されていない感覚はあった。
じん それがいつの間にかボカロ出身のアーティストがアニソンを手がけることも珍しくなくなったじゃないですか。すごい時代になったと思います。
kz 10年も経つと「子供の頃から聴いてました」みたいな人が増えてきたんだよね。身の回りにボカロ曲があって、それを当たり前のように聴いてきた世代が大人になって、いろんな制作に携わってくれるようになったから、自然と僕らボカロ畑の人たちにも声がかかり始めたというか。世代が一周したからこそ、ようやくこうなったのかなと思っています。
じん あんなに世間に受け入れられなかったネットの音楽が、いつの間にかこんなにも受け入れられている現実について行けてないんですよね。「え、この間までめちゃくちゃ叩かれてたのに、もうみんな大丈夫なの?」いたいな(笑)。
kz 作ってる側はみんなそう思ってるかもしれない。作ってる側が一番追いつけないよね(笑)。それにじんくんとこうして話せているのも、お互いが10年近くキャリアを重ねていないとできなかったと思うんだよね。例えばじんくんが「カゲプロ」をたくさん書いている時期はネット界隈も荒立っていたから、僕らが対談したらきっと賛否両論が起こるようなことになってただろうなあ、とか。
じん 「kzさんはアレを認めるのか!」みたいなこと、絶対言われてましたよ。
kz 多様性みたいなもので、今はいろんなものが出てくることで作品に対してすごく寛容になった感じ。すごくいい空気感だと思う。最近だとVtuber界隈とかもそうだけど、いろんな人たちのいろんな挑戦があって、賛否両論が起きてごちゃごちゃした結果いい空気になる、みたいなプロセスは必ずあるんだよね。
インターネットってマジで大変だよな
じん 僕、作家としてkzさんの書くタイアップ曲にものすごく惹かれていたんです。「Tell Your World」はもちろん、「ナナシス」(Tokyo 7thシスターズ)に書く曲もVtuberに書く曲も、純粋にめちゃくちゃいい曲を書き続けているイメージがあって。
kz お、おう(笑)。
じん 僕とは逆のタイプだなと感じるんです。僕は小説も書くし、脚本も書くような人間だから自分の表現したい音楽に固執しているところがある。でもkzさんは求められたときに相手と自分にとって一番いい音楽を書くタイプの作家、つまり何かに固執していないタイプの方だと思うんです。それってけっこう大きい差だと思っていて。
kz でもそれはじんくんに書きたいもの、伝えたいものがあるからだよね。それは僕にないものだからうらやましい。ただ僕はタイプが違って、曲を作るときに「場に対して届けたい」という思いが強い。
じん それが最近ようやくわかりかけてきたんですよ。以前の僕は自分が曲を提供する意味みたいなものを考えすぎてしまって、提供先にうまく寄り添えてなかった気がして。でもkzさんがかけてくれた燦鳥ノム(サントリー初の公式バーチャルYouTuber)の「Life is tasty!」を書いたとき、サントリーの理念とか、燦鳥ノムというVtuberの担う役割とかを熱心に説明してもらって、僕には僕のプライドがあるけど、サントリーさんにはサントリーさんの、ノムさんにはノムさんのプライドがあるという、当たり前のことに気付かされたんですよね。「あ、すごく素敵な理念を持っている方々なんだ」と。シンプルに言えば、ようやく人の考えに同調できるようになった。
kz これは誰にでもあると思うんですが、仕事としてやっている以上100%のものを出すけど、そこに自分らしい尖りみたいなものを無理にでも入れたくなるというか。僕も昔はそういう思いがなかったわけじゃない。でも年々それが溶けていって、すべての物事に寛容になっていくのかなと。
じん そこに気付くまでの僕は提供曲に対してある程度の矛盾を感じていたんですよね。わかりやすく言えば「これは自分の書きたい音楽なのか」みたいな。でも僕という人間は音楽をやりたいわけじゃなくて、音楽をやらざるを得なかった人間なんですよ。音楽を作ることしかできないような人間が「やりたい音楽」に固執しすぎてちゃいけないよなって。
kz 僕はその矛盾がないんだよね。
じん そこがkzさんのすごいところだと思います。僕はそれに気付くまで自分の音楽が2つに分かれてた感覚があるので。
kz 確かに以前のじんくんの提供曲って、作家としての色がめちゃめちゃ強かったイメージ。僕が最近じんくんの曲が気になり始めたのは、じんくんの色と提供先のコンテンツの色がいい具合に混ざるようになったからなのかも。
じん 「自分とタイアップ先でリンクするところを」みたいな話は、ほかのアーティストさんのインタビューとかで読んだことはあったんですけど、それがやっと実感につながったというか。「この感覚か!」という感じ(笑)。特に最近のVtuberの方々に関しては、すごく大変そうで7、8年前のボカロシーンを見ている感覚になるんですよね。
kz それすごくわかる。インターネットってマジで大変だよな、と思って必要以上にコミットしちゃう傾向にある。
じん がんばれ! 負けるな!と言いたくなる。
kz じんくんが今話したような感覚の変化ってボカロPに多いかもしれない。ボカロってもともと1人で作るものだからバンドのように誰かと一緒に音楽を作ることもなくて、自分100%の曲を作り続けることになるんだよね。
じん 「The俺」みたいな曲ばかり完成するわけですからね。それはいいことでもあるんですけど。
kz でも仕事として音楽を作ろうとすると、いろんな人の思いが音楽に入り込んでくる。それをどう感じてどう対応するか、それを繰り返していくと楽曲作りとか作家性にも影響が出てくるんだよね。今バンドや曲提供で活動するボカロPとかも、ネットだけのままだったら今のような曲はきっと書いていないだろうと思うし。みんな昔と今では書いている曲が違うけど、昔のよさと今のよさがちゃんとつながっていて、10年経っていろんな音楽の変化を感じられたのは面白かったな。
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ボカロが流行しなければ支持されなかった曲