手塚治虫の生誕90周年、冨田勲の生誕85周年、初音ミクの発売10周年を記念したコラボレーションアルバム「初音ミク Sings “手塚治虫と冨田勲の音楽を生演奏で”」が9月6日にリリースされた。
本作は冨田勲が手塚治虫のアニメーション作品のために提供した楽曲を、初音ミクや重音テトなどをボーカル音源として使ってカバーするという内容。サウンドプロデュースはジャズピアニストの佐藤允彦が手がけている。1960年代から活動を続け、現在75歳を迎えたジャズ界のレジェンドの耳に初音ミクの歌声は一体どのように響いたのか。音楽ナタリーでは佐藤にインタビューを実施し、今作の制作背景やミクのシンガーとしての魅力について語ってもらった。
取材・文 / 村尾泰郎
時代を超えてモダンな輝きを放つ
冨田サウンド
安室奈美恵やBUMP OF CHICKENなど、これまでさまざまなアーティストとコラボレートしてきた初音ミク。中でも異彩を放つのが日本を代表する作曲家、冨田勲と2012年にコラボレートした「イーハトーヴ交響曲」だ。シンセサイザーを音楽の世界に持ち込んだパイオニアとVocaloidとの共演は発表当時大きな話題を集めた。惜しくも冨田は昨年この世を去ったが、生誕85周年を迎える今年、意外な形で冨田とミクが再会した。
「初音ミク Sings “手塚治虫と冨田勲の音楽を生演奏で”」は、冨田が手塚アニメに提供した楽曲を、初音ミクや重音テトなどをボーカル音源として使い、生演奏に乗せてカバーするというユニークな企画。歌唱だけではなく、ミステリー作家の辻真先がストーリー構成を担当したミクのトークやラップも収録された、バラエティ豊かなアルバムだ。本作のサウンドプロデュースを手がけたのはジャズ界のレジェンド、佐藤允彦。佐藤は冨田と同時期からシンセサイザーを使用しており、また映画音楽や実験音楽など、ジャズという枠に捉われない活動を展開する中で、「ユニコ」「哀しみのベラドンナ」といった手塚関連のアニメ作品のサントラも手がけてきただけに、本作にはうってつけのアーティストだ。今回、「リボンの騎士」「ジャングル大帝」「どろろ」の楽曲をジャジーにアレンジした佐藤は、冨田サウンドの魅力をこんなふうに語ってくれた。
「冨田さんの曲って、メロディラインをはじめ、すごくモダンなんですよ。きっとブロードウェイのミュージカルなんかも研究されていたんだと思います。そういうモダンなところは、僕らジャズミュージシャンと通じるところがあるんじゃないでしょうか。『リボンの騎士』の楽曲なんてジャズっぽいアプローチをされていますしね。ただ、当時と今ではポップな感覚が違ってきているので、今回のアレンジではそういうところは少し今風にしました。特にリズムとか」
例えば「リボンの騎士」では、佐藤の弾くピアノの優美な音色がオリジナル曲のジャズの要素を引き出しているが、その一方で「ジャングル大帝のテーマ」や「アイウエオマンボ」(共に『ジャングル大帝』のサントラより)では、パーカッションを大胆にフィーチャー。トライバルなビートで、物語の舞台になったアフリカの息吹を楽曲に吹き込んでいる。
「『ジャングル大帝のテーマ』では、アフリカ由来のポリリズムを使おうと思ったんです。それでパーカッションの岡部洋一くんに、『45小節あげるから好きにやれよ』って任せたら、彼はいっぱいパーカッションを重ねてくれました。『アイウエオマンボ』は曲名通りマンボ。レゲエ系で、頭打ちじゃないベースパターンと言うことだけ決めて、あとは岡部くんに任せました。そうやって任せることで演奏者の特徴が一番よく出るんです」
バーチャルリアリティの境界線を
揺らがせてしまうような歌声
「どろろのうた」では曲の中間部でリズムをタンゴに変化させるなど、リズムを巡る遊び心にジャズミュージシャンのセンスが光る。そして、そんな変幻自在の演奏にミクやテトの歌声が乗って、どこか懐かしくて未来的な、まさに“手塚治虫的“とも言える不思議な世界が広がっていくのが本作の面白さだ。それにしても、生演奏とVocaloidとのレコーディングはどんなふうに進められたのだろう。
「レコーディングでは生演奏に乗せて、まずは前田玲奈さんに歌っていただいて。それをあとから佐々木さん(今作の企画を立ち上げたクリプトン・フューチャー・メディアの佐々木渉氏)が、音声を解析したり編集したり、ミクちゃんの声やテトの声に差し替えたり、前田さんの声の成分を残したりと、いろいろブレンドしていったんです」
前田が歌を録音する段階で「こんなふうに歌ってみて」と佐藤が提案することもあったらしいが、ミクの声のリバーブについては密かなこだわりがあったらしい。
「佐々木さんに、ミクちゃんがどのあたりにいるのか聞いたんです。『例えば今、人間が地上にいるとしたら、ミクちゃんは人工衛星の軌道あたりからしゃべっている感じかな?』とか聞いて、その距離によってリバーブを付けていきました。と言うのも、冨田さんがリバーブにすごく凝る人だったから。佐々木さんはいろんなリバーブのプラグインエフェクトを知ってて、2人で楽しみながらリバーブを付けていったんです。ぱっと聴いただけではわからないかもしれませんが、かなり凝ってるんですよ」
初共演ながら、すっかりミクに惚れ込んだ佐藤。「Vocaloidとの初共演に戸惑いはなかったですか?」と尋ねると、「全然! だって、1968年くらいに日本に初めてMinimoog(シンセサイザー)が3台入ってきたんだけど、それを買ったのが冨田さんとNHKと僕だったんだから」とにっこり。確かに、言われてみればその通り。佐藤はシンセサイザーという言葉が一般的になる前から、当時の最先端であるエレクトロニックなサウンドを楽曲に取り入れてきた。そんな彼から見て、シンガー・初音ミクの魅力はどんなところなのだろう。
「変幻自在なところですね。現実と非現実の世界を自由に行き来する感じと言うか。バーチャルリアリティの境界線を揺らがせてしまうような歌声だと思います。そう言えば今回、ミクちゃんの声を聴いていて、コーラスみたいに聞こえることがときどきあったんです。気になって、佐々木さんに尋ねてみたら、それはコーラスじゃなくて“波形の影”らしい。つまり陰影を伴いながら刻々と変化していく、すごく色彩豊かな声なんです。それが一番顕著に出ているのが最後のラップの曲(「全ての手塚作品へ敬意を。初音ミクより、ラップに乗せて」)です。あの曲に僕は関わっておらず、Vocaloidクリエイターのしじまかいせさんがトラックを手がけているのですが、個人的にはアルバムでいちばんよい出来だと思いますね」
また、「これまで共演してきたシンガーの誰にも似ていない」と言うミクの歌声は、佐藤の創造力を大いに刺激したようだ。最後に彼はこんな夢を語ってくれた。
「Vocaloidは、エラ・フィッツジェラルドだろうが、サラ・ヴォーンだろうが、ニナ・シモンだろうが、いろんな声を合成することができる。ちょっと大人っぽくて、ノーブルで、声を低くした“ジャズミク”みたいなVocaloidがいても面白いし、ぜひ共演してみたいと思いますね。今回は歌に合わせた演奏だったけど、次はミクちゃんとインプロビゼーションで共演してみたいです」
手塚治虫、冨田勲、佐藤允彦、彼らに通じるのは、新しいものにオープンなモダンな感性と実験精神なのかもしれない。そして、そうしたパイオニアたちにとって、ミクは時代を越えたミューズなのだ。
- 佐藤允彦 meets 初音ミクと歌う仲間たち(w/ 重音テト) 「初音ミク Sings “手塚治虫と冨田勲の音楽を生演奏で”」
- 2017年9月6日発売 / 日本コロムビア
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初回限定盤 [CD+グッズ]
5184円 / COCQ-85371 -
通常盤 [CD]
3240円 / COCQ-85372
- 録音
- 2017年6月12日 サウンドバレイ(Talk)
- 2017年6月22日 音響ハウス
- 演奏
佐藤允彦 meets 初音ミクと歌う仲間たち(w/ 重音テト) - 初音ミク(Talk, Vo)
- 重音テト(Vo)
- 前田玲奈(Cho, Vo)
- 佐藤允彦(Sound Produce, Arrange, Piano, Key)
- 加藤真一(B)
- 村上寛(Dr)
- 岡部洋一(Per)
- 辻真先(Story Produce, Talk Guest)
- 手塚るみ子(Talk Guest)
- 収録曲
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- オープニング:『リボンの騎士』から「リボンの騎士」(オリジナル)
- 初音ミクTALK 1 ~初音ミクです、こんにちは!
- 『リボンの騎士』から 「リボンの騎士(王子編) 」初音ミク
- 初音ミクTALK 2 ~手塚治虫先生&冨田勲先生の紹介
- 『リボンの騎士』から「リボンのマーチ」初音ミク&前田玲奈
- 初音ミクTALK 3 ~「ジャングル大帝」の紹介
- 『ジャングル大帝』から「アイウエオ マンボ」初音ミク
- 『ジャングル大帝』から「ぼくに力をおとうさん」初音ミク&重音テト
- 初音ミクTALK 4 ~ゲスト・スピーカー:辻真先さんを迎えて
- 『どろろ』から「どろろのうた」初音ミク
- 初音ミクTALK 5 ~ゲスト・スピーカー:手塚るみ子さんを迎えて
- 『ジャングル大帝』から「ジャングル大帝のテーマ(ヴォカリーズ版)」初音ミク&前田玲奈
<スペシャルエンディング>
- 全ての手塚作品へ敬意を。初音ミクより、ラップに乗せて
- 佐藤允彦(サトウマサヒコ)
- 1941年東京生まれのピアニスト、作編曲家。慶応義塾大学卒業後、米国バークリー音楽院に留学、作編曲を学ぶ。帰国後、初のリーダー・アルバム「パラジウム」で「スイングジャーナル」誌の「日本ジャズ賞」受賞。その後も数々のアルバムを制作し、国際的にも高い評価を得ている。テレビ番組、映画、CMへの楽曲提供も多数。また1993年より「ジャンル、技量にかかわらず、誰でも参加できる即興演奏」を目指すワークショップ「Randooga」を開始、フリーインプロビゼーションへの簡潔なアプローチ法を提唱している。1997年に自身のプロデュースレーベル「BAJ Records」を創設。2009年~2011年には東京藝術大学に「Non-idiomatic Improvisation」の講座を開設するなど多方面で活躍している。