貞ちゃんはいつだって“そうじゃない人”のことを考えている(谷口)
──これまでの小池さんの書かれる歌詞には“岡崎京子”や“クロエ・モレッツ”“スカイ・フェレイラ”のような固有名詞がたくさん出てきていましたけど、今作ではそうした、引用的な側面も薄れていますよね。
小池 そうですね。そういうのは前作でやったし、今回は違うことをやってみたかったんです。なんでそう思ったのかと聞かれても「そのときの心情がそうだった」としか言えないんですけど。
谷口 ホンマに貞ちゃんは“歌そのまま”の人だよね。話していて、作った歌と貞ちゃん自身に全然距離がないなと思う。「suimo amaimo」の「天使にも悪魔にもなれるはずない人間だったら」とか、まさに普段飲みながら話しているようなことそのままだし。「ねぇねぇデイジー」で「革命を起こされるのはごめんだって」と歌っているけど、これもこの前飲みながら話していたこと。
小池 本当にそう思ってるからね。音楽で革命を起こさないでほしいし、革命を起こしたいなら、政治家になってほしい(笑)。ロックの歴史で、よく「この時代に革命が起こった!」とか言うけど、本人たちは、革命を起こす気なんてなかったと思うんだよね。そんなことよりも、身近な人たちとの生活とか、好きな女の子とのキスのほうが大事だったと思うもん。で、そういうことを歌っている人たちの歌を聴いて、「確かにその通りだ」と思った人たちが集まる。その状況が後付けで言葉にするならば革命と呼ばれているんじゃないかなと思うんだよね。わざわざ「音楽で世界を変える!」みたいなことを口に出したり、それを目的にして音楽をやることを否定はしないけど、俺はすごく下品なことに感じてしまう。そういう言葉を掲げられてしまうと、「じゃあ、革命を起こしてほしくない人たちの気持ちはどうなっちゃうんだろう?」と思うし。
谷口 貞ちゃんのそういうところがいいよね。いつだって“そうじゃない人”のことを考えているから。僕が貞ちゃんをいいなと思うのは、光と影みたいな両極があったときに、その中間位置にいる人のことも、ちゃんと歌ってあげるところ。光や影を一直線に歌うことはカッコいいかもしれないけど、そういう極端な意見から取りこぼされた人たちのことをすくいとってあげるような部分が、貞ちゃんにはあるんだよね。
小池 すべてを肯定することは無責任すぎるけど、すべてを否定することは寂しいし、痛いし……結局、人間だからね。
tetoって千鳥みたいな存在だよね(谷口)
──今、お話してくださったことは、バンドと時代の関係性という点で非常に重要なことだと思うんです。音楽の話だけでなくても、今は「時代を変えよう!」みたいな、強烈なスローガンをよく目や耳にしますよね。僕自身、声の大きな人の言葉が人を動かしていく様子を見ることに、居心地の悪さを感じたりもしていて。そういう時代感に対して、バンドとしての表現の在り様を意識的に見定めていく部分もあるのでしょうか。
小池 いや、そういう時代感みたいなものは、俺はまったく考えないです。「今はこういう時代だから、こういう言葉を言うことが大切だ」みたいなことは、お偉いさんがやってくれればいいことだから。「最近の若者は……」なんてことを言う人もいるけど、それはきっと何百年も前から、その時代その時代の若者たちが言われてきていることだろうし、根本的なことはたぶんずっと変わらないんですよ。そういう中で俺らがやれることは、あくまでも音楽だけ。俺らの音楽を聴いてくれている人たちが笑ったり、踊ったり、涙を流したり好きなように受け取ってほしい。自分がやっていることは、すごく普遍的なことだと思っているので。どの時代でも必要なものは絶対にあるし、自分のやっている音楽がそうであることを信じてやるのみというか。もちろん、その時代に向けた音楽も素敵だと思いますけどね。例えば、モーニング娘。の「LOVEマシーン」みたいな曲は、あの時代に生まれたからこそ、たまらないものがあると思うし。
谷口 そうだね。僕は、「時代にフィットしなければいけない」ということを考えてしまうタイプではあるんだけど、きっと音楽を作っている人は誰しも、「普遍的なもの、残っていくものを作りたい」と思っているよね。でもtetoは今、時代にはまっていると思うよ。みんなが求めていることをやっていると思う。
小池 そうかな?
谷口 ひと言でいえば、不良ということ。ずっと思ってるんだけど、tetoって千鳥みたいな存在だよね。
小池 千鳥って、お笑い芸人の?
谷口 そうそう。世の中がすごくクリーンなものを求めるようになっている中で、枠組みの外に出ちゃう人たち。しかもそれを楽しそうにやっているから、みんな、どうしようもなく惹かれてしまうという。「この人たちなら何かやってくれるんじゃないか?」「自分の言えないことを、声を大にして言ってくれるんじゃないか?」と思わせてくれる部分がtetoにはある。結果として革命家みたいなことになっているけど、でもそういうものをみんな求めているだろうし、僕も求めている。貞ちゃんが時代をどう思っていようが、時代がtetoを求めていると思う。
小池 ……今の部分、太字でお願いします(笑)。
──(笑)。僕は最近のKANA-BOONの作品に、寂しさに根差した優しさのようなものを感じます。強い言葉で鼓舞するのではなく、繊細な感情を表現してくれるからこそ、寄り添ってくれる。そういう意味でも、KANA-BOONも今の時代にすごく大切な表現をしているなと思います。
小池 わかります。まぐちゃんの書く歌詞には、生活に根差した優しさみたいなものがあるなって思う。普通に飲みながら話していても思うけど、まぐちゃんは本当にいろんなことを受け止められる人だよね。
谷口 まあね(笑)。そこが悩みでもあるよ。「なんでも受け入れてしまっているな」と思う瞬間もあるから。「これは受け入れちゃいけない」とか「これは反発しなきゃいけない」みたいなものは、人間誰しもあると思うんだけど、僕はそれが圧倒的に少ないのよね。それで、昔は変に意識的にとがろうとしてしまうときもあって。もちろん筋を通さなきゃいけないことはあるんだけど、最近は自分の“受け入れる”という根本的な性格に抗わなくなってきたし、それが歌にも出てきているのかもしれない。
小池 器が大きいんだよね、まぐちゃんは。歌詞を書くときって、どんな感じなの?
谷口 貞ちゃんほど自分と言葉の距離は近くないとは思うけど、それこそtetoを聴くようになってから、歌詞の書き方が変わった部分もあって。ある風景や現象をそのまま表現するんじゃなくて、「どう上品に言ってやろうか?」ということを考えるようになっているかな。あと最近のテーマは、オリジナルの言葉をどれだけ作れるかということ。例え間違った言葉でも、それを成立させることができるのが歌詞の世界だから。そういうものを作りたいなって思っているよ。
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やりたいことが変わっていくのは自然なこと(小池)