リモート制作により個々のポテンシャルを引き出せた
──「大東京万博」のリリース後に、本格的な自粛要請が出たわけですが、それによって制作の方法に変化はありましたか?
小原 今まではスタジオにバンドで集まってアレンジを出し合ってたんですけど、今回は各々で音を作り、リモートで一旦完成まで仕上げて、ベースとドラムのアレンジだけレコーディング前にスタジオに入ってやりました。今までとはプロセスが大きく違ったんですけど、思ったよりリモートでの制作はみんなの性に合ってたなって。
──Tempalayはこれまでプリプロをやらずにレコーディングに臨むバンドだったと聞いています。でも今回みたいにそれぞれが録った音を共有して重ねて試すというのは、プリプロをやっているようなもので、それが今作の完成度の高さにつながった部分があるんだろうなと思いました。
小原 逆に言うと、今回のアルバムはプリプロがないとできないような作品だったんですよ。今までスタジオでやってたときは、曲をつかみ切る前に、自分のポテンシャルを出し切る前に、曲を理解してる途中でレコーディングが終わっていたというか。でも今回は各々が家でアレンジ作業に取り組んだことで、自分のポテンシャルを引き出す時間が持てた。それが楽曲にモロに反映されていると思います。
──AAAMYYYさんは制作方法の変化をどう感じましたか?
AAAMYYY もともと家でじっくりアレンジを考えたいタイプなので、今回の制作はすごくやりやすくて、納得のいく音を思う存分出せました。ピアノ以外全部家で録ったんですけど、家でとことんやりたいことをやれて、みんなの録り音を聴いたあとに修正したりもして、満足のいくレコーディングができたと思います。歌詞やテーマ、最終的なイメージができあがるまでわからないのはこれまでと一緒だったんですけど、リモートでいろいろニュアンスを共有して、目指しているものに近付けていく作業が楽しかったです。
Natsuki 俺も今回みたいなスタイルの制作は合っていましたね。でもAAAMYYYみたいにじっくり作り込みたいからというより、とにかく自分のカッコいいと思うものを貫き通せるからなんです。制作中は2人に全然会わなかったので、集中して自分の好きなフレーズを考えることができました。そのフレーズを2人も気に入ってくれたし、今回みたいな制作スタイルは今のTempalayに合っていたと思います。
ユーモアがなくなったらおしまい
──今回はBREIMENの高木祥太さんがベースを弾いています。なぜ高木さんを起用したのでしょうか?
小原 BREIMENの音を聴いてコードで遊べる人だと思ったので、それに期待してまずは「EDEN」で一緒にやってみたんです。「EDEN」が完成したあと、彼も「Tempalayではほかのバンドでやっていないアプローチに挑戦してみたい」と言ってくれたので、「じゃあ、アルバム通してやってみよう」という話になり、「ゴーストアルバム」では全編弾いてもらいました。
──動きのあるベースラインが非常に目立ちますよね。
小原 ほぼずっとリフを弾いてるみたいな感じでしたね。
Natsuki BREIMENのベースもいいけど、それとは違うよさだよね。このアルバムの曲は「大東京万博」以外、ちゃんとみんなで演奏したことがなくて、祥大くんとも一瞬スタジオで合わせたくらいなんです。ミックス作業をしているときにベースラインのよさに改めて気付いて、ベースの音がデカいほうが好きっていう俺の好みもあって、今回はどの曲もビート感が強く出ていると思います。
──BREIMENのほうがより端正なポップスの印象があります。
小原 BREIMENでは弾きながら歌ってますしね。それであのカッコいいベースが弾けるのはシンプルにすごいし。
──「EDEN」は前半はミニマルなのに後半でガラッとロックな雰囲気に変わるのが印象的でした。AAAMYYYさんが加入して最初に発表した楽曲「SONIC WAVE」(2018年9月発売ミニアルバム「なんて素晴らしき世界」に収録)にしろ、バンドが変化するタイミングでリリースする楽曲はどれもインパクトがあって「一発カマすぞ」みたいな気概を感じます。
小原 でも一発カマそうとリリースした曲ってマジで聴かれないんですよ。Tempalayの“カマす”曲ってトリッキーなんで。CMで曲がたくさん流れるとか、よほど大きなタイアップがない限り曲って口コミで広がっていくわけじゃないですか。日本に限らず音楽を聴く人のパイは圧倒的にポップスを聴く人が多いので、しょうがないんですけど。
──でもそうやってバンドとしてより大きくなろうとするタイミングで、世間に迎合しない姿勢を見せるところにも価値が生まれていると思います。
小原 そうだといいんですけどね。まあ、俺らからしたらこういうタイミングでああいうポップじゃない曲を出すことは遊びなんですよ。何事においてもユーモアがなくなったらおしまいだと思ってるんで。
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曲を作ることが救いになっていた