自分の殻を破った瞬間
——今日お話を伺っていると歌声のシリアスな印象と少し違って……言葉の端々から天然的なものを感じるんですが、指摘されることはありませんか?
……言われることもあるんですけど、自分では全然思っていなくて。むしろなんで? って。ゆっくり、というかトロいっていうのはあるかもしれないです。
——電車移動などはスムーズにいけるほうですか?
最近はさすがにできるようになってきて。でも最初東京に来たときはやっぱりぜんぜんわからなかったですね。
——沖縄にはあまり電車はないんですよね。
ないんですよ。モノレールっていうのが割と最近にできたんですけど。そのモノレール自体がもう、途中で切れちゃってるんですよ。プチって途中で切れちゃってるんですよ。
——切れちゃってる?
線が途中で終わってるんですよ、線が。那覇市内限定でモノレールが終わってるんで。ほかの市の人とかぜんぜん利用するチャンスがなくて。那覇市民だけのものみたいな感じの。はい。
——多和田さんの生まれ故郷は、それとはまた別の?
そこ(モノレールの終点・首里城付近)から車で30分ぐらいの宜野湾市っていうところなんですけど。
——多和田さんが4月に出演された「Japan Reggae Festa in Okinawa 2008」は宜野湾で開催されましたよね。地元ということで、昔からの友達も集まったんじゃないですか?
来てましたねー。
——多和田さんは卒業後のカナダ留学中に、野外でみんなが音楽をやっている輪にいきなり入って歌ったことがきっかけで、本格的に音楽活動をすることを決めたそうですが。
それまではすごくシャイな性格だったので、人前で歌ったことがあまりなくて。ほんとに、歌手になりたい夢は抱えつつも殻を破れずにいる、みたいな感じだったんですよ。でも、そのカナダでの出来事によって、バーンと自分の中で何かが吹っ切れる感覚があって。
——だから地元の友達が見ると、びっくりするんじゃないですか?「あの殻をかぶってた多和田さんがステージに」って。
『歌ってるときは忘れてしまうけど、終わってしゃべりだした途端に、やっぱ多和田なんだね』っていうのは言われましたね。なんか、それを見たときに肩の力が抜けるっていうのはみんな言いますね。ああよかった、みたいな感じで。
——今のところ世の中的には「多和田えみ」というと、ちょっとクールな歌姫っていうイメージのほうが強いのかもしれないですけど、そのキャラクターも出していくと、またさらにファンが増えるんじゃないかなと思って。潜めておくにはもったいない気がします。
ほんとですか? 大丈夫ですかね(笑)。ガッカリされたりしませんか? いや、でも歌は多くの人にちゃんと届けたいと思います。はい。
プロフィール
多和田えみ(たわた・えみ)
1984年6月26日、沖縄県宜野湾市に生まれる。学生時代はマーチングバンドに参加。
高校卒業後、カナダへの語学留学中にストリートジャズバンドで歌い、音楽を志す。
帰国後は本格的にボーカル、作詞作曲を始め、2006年2月より沖縄県内のホテルやライブハウスを中心にライブ活動をスタート。
2007年4月、MSN/EMI ARTIST主催のオーディション決勝大会で、NYLON賞を受賞。
5月16日に初のCDシングル「ネガイノソラ」を沖縄県内限定でリリース。発売1ヶ月で2000枚を売り上げ、タワーレコード那覇店などでインディズチャート1位を獲得する。
続く6月、東京にて初のワンマンライブを敢行。メジャーレーベル各社による獲得争奪戦の末、アミューズが新設したプロダクション&レーベル<AZEAL>の第1弾専属アーティストとして契約を果たす。
2007年10月にアントニオ・カルロス・ジョビン生誕80年記念トリビュートアルバム「ジョビニアーナ~愛と微笑みと花~」に参加。2008年1月発売のコンピCD「琉球LOVERS ROCK」では風味堂の「ゆらゆら」をレゲエアレンジでカバーし、2月発売のコンピ「DIVA」にオリジナル曲「CAN'T REACH」で参加する。3月にはDJ KAWASAKIとのコラボナンバー「INTO YOU feat. EMI TAWATA」も発表。
4月23日に、待望のメジャーデビューミニアルバム「∞infinity∞」をリリースした。