ナタリー Super Power Push - 山下達郎
6年ぶりオリジナルアルバム「Ray Of Hope」堂々完成
エゴを貫く芸術家志向は自分の中にはない
──世代の話が出ましたが、達郎さんのファンの中心的な世代って40代や50代の方が多いと思うんです。若い音楽ファンのことはどの程度意識されてるんですか?
いや、正直言って全く意識してないです。
──そうなんですか?
はい。10代にわかる音楽をやってるつもりもないし。
──でも現実に、達郎さんの音楽って若い世代にも幅広く聴かれていますよね。
実感ないんですけどねえ、あんまり。
──あと、音楽マニアの人に支持されている一方で、すごく大衆受けもしている。
不思議ですけど、でも僕もまた音楽を聴いてる大衆の一員ですからね。ヒットソングで育った人間がわけわかんない音楽作ったってしょうがないっていうのはありますからね。
──達郎さんの音楽が若いリスナーに聴かれ続けている理由のひとつには、やっぱりCMソングであったりドラマ主題歌だったりという、タイアップ曲を数多く手がけているから、ということがあると思うんです。今回のアルバムもタイアップ曲がたくさん収録されていますよね。
僕の音楽人生は基本的には“座付き作家”なんですよ。ミュージシャンの特質、それに見合う楽曲、そういった考え方です。エゴを貫きたいという芸術家肌じゃないし、もともと自分の中で無から有を生みたいとかそういうスタートでもなかった。レコードプロデューサーが最終目標だったので、そういう視点が常にあって。あと、タイアップの是非はありますけど、僕みたいなテレビに出ない、映像も出さないような人間が世の中に作品を発表して、それをプロモートするためにはタイアップは必須なんです。
──そのせいで作りたいものが作れない、といったジレンマを感じることはありませんか?
芸術家志向ね(笑)。そういうジレンマが生じるような仕事は受けません(笑)。ドラマでも映画でもCMでも、せっかくのご縁で一緒に作るんだったら、その作品にきちっとハマる音楽を作りたいっていう気持ちのほうが強いですね。コマーシャルミュージックというのはそういうものなので。向こうだって真面目に作ってる。だからこっちもきちんと真面目に応えて、叶うならばその中で自分のアイデンティティを出していきたい。まあ、それが座付きってことですよね。自分のエゴを貫徹できるミュージシャンがそんなに偉いのかとも思えるし。僕は36年間評論家とそういうことを怒鳴り合いながらやってきたので(笑)。
──なるほど。
タイアップがあればこそ、僕はここまで生き残れたんですよ。そのおかげで今の時代にこのアルバムが出せてるわけだし、それは自分にとっちゃ感謝すべきことで。こんなの夢にも思わなかった。それに、極端なことを申し上げれば、音楽はタイアップをやったCMやドラマとは別の残り方をしますから。
58歳でどういう音楽を作るかなんて考えたこともなかった
──シュガー・ベイブ時代から数えて、40年近く音楽活動を続けているわけですが、今は達郎さんにとってどういう時期なんですか?
まあ、あと2年で還暦ですからね。演劇、文学、絵画、音楽。そういういろんなメディアの中で、最高傑作と言われてるものがいったいどれぐらいの年代で作られているかっていうのを調べてデータにした人がいるのね。それによると、音楽っていうのはとても若い感性のメディアだそうなんですよ。文学は40~50代、絵描きはもっとずっと年寄りでもいい、ピカソみたいに。でも、音楽で傑作と言われている作品はほとんど20~30代で生まれてるんですよ。シューベルトなんて31歳で死んでるし、モーツァルトは35歳。特に商業音楽の世界では、ヒット曲は20代にしか出ないって言われてる。演歌は大人の音楽だとかいってますけど、八代亜紀も五木ひろしも氷川きよしも、基本的に最大のヒットは20代に出ているはずです。で、ロックンロールなんてまさにティーンエイジミュージックですから、僕らの時代は30歳を過ぎたらもう未来はないって言われてたの。それより先の展望なんて誰も持ってなかった。そんな中で、58歳になってどういう音楽を作るかなんて考えたこともなかったですよね。
──前人未踏の領域を突き進んでるわけですね。
先程申し上げたように、本当は僕はレコードプロデューサーになりたかったんですよ。別にダンスができるわけでも、ルックスがいいわけでもないし。自分がこんな現役で歌手として、58歳になるまでCD出してるなんて夢にも思わなくて。30歳のときにムーンっていうインディーのレーベル作って、その頃は30代のうちに最初で最後の武道館に立って、それで引退しようと思ってた。
──いや、そんな(笑)。
笑うけど本当の話なんですこれ! そういうプランだったんです。
──でも実際に今この年齢で、第一線でやってるわけですからね。
だからそれは奇跡です。そのことを神々に感謝して、観客に対して真摯なものを作るのが僕の義務だとも思ってるんで。
CMに出演しないのはもっと曲を書きたいから
──達郎さんは現在の自分の立ち位置みたいなものについてはどう感じていますか?
十二分に満足してます。別に僕は金が儲けたかったわけでもスターになりたかったわけでもないので、そういうところに執着がないんですよね。つまんない話ですけど、僕のすごくチンケなプライドがあって。僕は今までレコードの印税とコンサート収入以外の金は受け取ったことないんです。まあ原稿料何千円とかそういうのはありますけど、基本的にCMとか出演しないし。
──自伝も出さないし、講演会もやらないし。
副業で儲けようと思ったらやり方はいろいろあります。例えば夫婦でCM出れば2日拘束で何千万とか。実際そういうオファーもありました。でもそれをやるとどういうことになるかっていうとね、CDが1枚売れて僕に入ってくるお金がン十円なので、だから100万枚売れてやっとの金額がたった2日で入ってきたとしたら、曲なんか書けなくなりますよ、バカバカしくて(笑)。
──そうですね(笑)。
曲を書くっていうのは結構骨身を削る作業なので、ピアノの前でウーンって唸って苦しんで。僕なんてナマケモノで意志が弱いから、そんなときにふと「CMやっちゃおうかな」ってなっちゃうと思うんですよ。そうなったらもう曲なんて書けなくなる。だから僕はそういうことをしないようにしてきた。もっと曲を書きたいから。
──CMに出てるところも観てみたい気がしますけど、そのせいで達郎さんが曲を書かなくなるのはイヤですね……。
お金や名誉で人生がゴロゴロ変わる人たちを死ぬほど見てきたので。その過ちに気付いたときにはもう遅いんですよね。
──つくづく大変な仕事ですね。
それは僕らの商売に限らず、すべてに当てはまりますけどね。まあでも、こちらは半分道楽でやってるところもありますのでね(笑)。
CD収録曲
- 希望という名の光 (Prelude)
- NEVER GROW OLD
- 希望という名の光
- 街物語 (NEW REMIX)
- プロポーズ
- 僕らの夏の夢
- 俺の空
- ずっと一緒さ
- HAPPY GATHERING DAY
- いのちの最後のひとしずく
- MY MORNING PRAYER
- 愛してるって言えなくたって (NEW REMIX)
- バラ色の人生~ラヴィアンローズ
- 希望という名の光 (Postlude)
初回限定盤付属ライブディスク「JOY 1.5」収録曲
- 素敵な午後は(1985/2/24 神奈川県民ホール)
- THE THEME FROM BIG WAVE(1985/2/24 神奈川県民ホール)
- ONLY WITH YOU(1986/10/9 郡山市民文化センター)
- 二人の夏(1994/5/2 中野サンプラザ)
- こぬか雨(1994/5/2 中野サンプラザ)
- 砂の女(1994/5/2 中野サンプラザ)
- アトムの子(1992/3/15 中野サンプラザ)
山下達郎(やましたたつろう)
1953年東京出身の男性シンガーソングライター。1975年にシュガー・ベイブの中心人物として、シングル「DOWN TOWN」とアルバム「SONGS」にてデビュー。翌1976年のバンド解散を経て、アルバム「CIRCUS TOWN」でソロデビューを果たす。1980年に発表したアルバム「RIDE ON TIME」が大ヒットを記録し、以後日本を代表するアーティストとして数々の名作を発表。1982年には竹内まりやと結婚し、彼女のアルバムをプロデュースするほか、KinKi Kids「硝子の少年」など他アーティストへの楽曲提供なども数多く手がけている。また、代表曲「クリスマス・イブ」は1987年から四半世紀にわたってオリコンウィークリーチャート100位以内を記録。2011年8月10日に6年ぶり通算13枚目のオリジナルフルアルバム「Ray Of Hope」をリリース。
2011年8月10日更新