ナタリー Super Power Push - 山下達郎
6年ぶりオリジナルアルバム「Ray Of Hope」堂々完成
芳醇な音楽性で幅広い世代のリスナーを魅了し続ける山下達郎。それだけに、彼をリスペクトするアーティストも数多く存在する。この特集企画第2弾では、そんなアーティストたちによる座談会の模様をお届けする。
座談会参加者は、長きにわたり達郎のライブをサポートするサックスプレイヤー=土岐英史を父に持つ土岐麻子、持ち前のソウルフィーリングを洗練されたポップミュージックへと昇華するNONA REEVESの西寺郷太、DJ / トラックメイカーという立ち位置から達郎サウンドに熱いリスペクトを送るやけのはらの3人。それぞれに自身の達郎観やニューアルバム「Ray Of Hope」の感想などを語ってもらった。
取材・文/久保田泰平
山下達郎しか聴かない日々が続いていた(やけのはら)
──皆さんには"達郎フリーク"のアーティストを代表してお集まりいただいたわけですが。
郷太 正確にいうと"フリーク"ではないんですけどね(笑)。大好きだしリスペクトはしてますけど、フリークっていうほど詳しいかっていうと……。
やけのはら そういう話でいくと、僕もすごくファンになったのは去年の秋からで(笑)。ただ、生まれて初めて買ったCDが達郎さんの「クリスマス・イブ」だったので、ずっと好きではあったんです。でも、去年初めてライブを観て沸点に達しまして。山下達郎しか聴かないっていう日々がしばらく続いて。
郷太 僕もライブを観たのは去年が初めてだったんですけど、土岐さんなんて子供の頃から……。
土岐 そうですね、私はライブのほうが先で。物心つくかつかない頃でしたけど。
──お父さんの土岐英史さんは、「IT'S A POPPIN' TIME」(1978年発表。六本木PIT INNでのライブレコーディング)のときからずっと達郎さんのライブで演奏されてますもんね。
土岐 「IT'S A POPPIN' TIME」のときは、私もリハーサルまでその場にいたんですけど、本番は録音があるからって。まだ小さかったですし、いつ泣いたりするかわからないですからね。その頃の私にとっては、達郎さんはミュージシャンというより、お父さんの友達みたいな認識でした。
郷太 土岐さんみたいな人、なかなかいないですよ。ミュージシャンには並々ならぬこだわりがある達郎さんに選ばれたお父さんっていうのもすごいけど。それこそ僕は土岐さんと同じ大学で、NONA REEVESのメンバーになる奥田(健介)や小松(シゲル)と同じ音楽サークルだったんですけど、土岐さんが入学してきて、隣りのサークルに入ってきたときに「土岐英史の娘が来たぞ!」って、みんな騒いでたから。
土岐 へえー、知らなかった。
郷太 僕はその頃あまり詳しくなかったんで、「そうなんやあ」って感じで見てたけど、達郎ファンの連中とか「うわっ!」ていう感じで。
達郎さんの音楽は大人のものっていう感じがしてた(土岐麻子)
土岐 でも、私は自分から意識して達郎さんの音楽を聴こうって思ったのは結構遅かったんですよね。それこそ大学の頃からです。それまでは、知ってるし歌えるけど曲名までは知らないとか、そんな感じで。
郷太 土岐さんはすかんちのファンでしたから(笑)。
土岐 そう(笑)。だから、達郎さんの音楽は大人のものっていう感じがしてたんですよ。自分のものとして聴きたいと思うまではちょっと時間がかかりましたね。
──"大人のもの"っていう感覚を持っているティーンエイジャーは多いかもしれないですね。あと、あまりにもポピュラーなので、知ってるけどちゃんと聴くまでには至らないとか。
郷太 そうなんですよね。あと、音楽的に非常に高度だし、例えば僕らぐらいの世代が10代のときにバンドやろうってなると、だいたいTHE BLUE HEARTSとかBOØWYみたいなところから入って、山下達郎をやろうっていっても演奏できないわけですよ。そういうことで、あんまり引っかかってこなかったっていうのはあると思うんです。まあ、僕なんかの場合は「オレたちひょうきん族」のエンディングで達郎さんの音楽を刷り込まれましたけど。
土岐 「ひょうきん族」は、私にとっても結構な事件でした。
郷太 「ひょうきん族」の本編そのものより、エンディングで達郎さんやEPOさんの曲がかかって「ああ、もう土曜日が終わっちゃう……」って思いながら聴いてた感じ。シティミュージックというかキラキラした感じの曲が、僕の中でド真ん中の達郎さんの音楽だったなって気がしますね。
達郎さんのスタンスが僕の憧れ(西寺郷太)
──郷太さんと土岐さんがひょうきん族世代なら、やけのはらさんはJR世代ですね(「クリスマス・イブ」は1988年からJR東海のCMソングに起用)。達郎さんの音楽とはどういう接し方をされてました?
やけのはら 大人になってからは、いわゆる和モノのレアグルーヴみたいな観点で、70年代から80年代前半の達郎さんを聴くようになって。好きではあったんですけど、そこからもう一歩突っ込んでっていうこともなく、日本人でブラックミュージックのフィーリングでやってる人なんだな、歌うまいなあ、っていう感覚だったんですよね。でも、去年のライブを観てからいろいろ自分の中でつながったというか、すごく大きな存在になって。単純に言っちゃうと、ライブのクオリティがすごかったっていうことなんですよね。なんかこう、ポップミュージックのド真ん中をものすごく高いクオリティでやり続けることのすごさを感じたというか、それまでの人生で観たライブの中で一番感動したんです。それで、達郎さんの音楽をもっと突っ込んで聴いてみようと思って、アルバムを聴き直したり、聴いたことなかったものを聴いたり。
郷太 アルバムではどれが良かったですか?
やけのはら こういう言い方しちゃうとつまらないんですけど、全部……好きなんですよ(笑)。ただ、見方が違うっていうか、今までは洗練されたブラックミュージックみたいなイメージがすごく強かったんですけど、90年代以降のあまり黒っぽくなかったり、ポップス的なものが増えてきたあたりもすごくいいなって今は思ってますね。
郷太 僕はシュガー・ベイブとか初期の「CIRCUS TOWN」とかそのへんが今も特に好きで、あとは達郎さんがKinKi Kidsに曲を書いたり、アーティスト活動をしながらジャニーズに曲を書いたりっていう、そういうスタンスにずっと憧れてるんですよね。だから自分もミュージシャンとして、達郎さんのやってきたことを結果的に追いかけてた部分はいっぱいありますね。
音楽をやっていく上でのモチベーションのひとつ(土岐麻子)
──ところで、土岐さんの"達郎さん好き度"はどのぐらいなんですか?
土岐 そうですねえ、歌詞をほとんど覚えてるとか、曲を聴いてタイトルがすぐわかるとか、このアルバムの次にこれが出たとか、そういうことは詳しくないんですけど、永遠の憧れではありますね。ずーっと夢みたいなところに位置しているアーティストです。音楽に憧れさせてくれたミュージシャンのひとりで、それは自分が作品を生み出して、どんな方向転換をしようとも変わらないというか、音楽をやっていく上でのモチベーションとして大きな存在です。
──その憧れをどういう形でご自身の音楽に反映させてます?
土岐 サウンドというより、提示の仕方みたいなところを見習いたいと常々思ってるんですよね。達郎さんが活動を始めた70年代って、フォークブームの余韻がまだあった頃じゃないですか。そこで、ああいった洋楽的なことを、英語じゃなく日本語で、しかもフォークとは真逆といってもいいようなリズミカルで音楽的な歌詞で。例えばそこに悲しみの理由とかって何も書かれていなかったりするんですけど、一瞬のキラキラした楽しい気持ちとか高揚感をクローズアップして、それを曲にしてるっていうことはすごく洋楽的だし、そういうことをあの時代にやってたってことがすごいなって。
CD収録曲
- 希望という名の光 (Prelude)
- NEVER GROW OLD
- 希望という名の光
- 街物語 (NEW REMIX)
- プロポーズ
- 僕らの夏の夢
- 俺の空
- ずっと一緒さ
- HAPPY GATHERING DAY
- いのちの最後のひとしずく
- MY MORNING PRAYER
- 愛してるって言えなくたって (NEW REMIX)
- バラ色の人生~ラヴィアンローズ
- 希望という名の光 (Postlude)
初回限定盤付属ライブディスク「JOY 1.5」収録曲
- 素敵な午後は(1985/2/24 神奈川県民ホール)
- THE THEME FROM BIG WAVE(1985/2/24 神奈川県民ホール)
- ONLY WITH YOU(1986/10/9 郡山市民文化センター)
- 二人の夏(1994/5/2 中野サンプラザ)
- こぬか雨(1994/5/2 中野サンプラザ)
- 砂の女(1994/5/2 中野サンプラザ)
- アトムの子(1992/3/15 中野サンプラザ)
山下達郎(やましたたつろう)
1953年東京出身の男性シンガーソングライター。1975年にシュガー・ベイブの中心人物として、シングル「DOWN TOWN」とアルバム「SONGS」にてデビュー。翌1976年のバンド解散を経て、アルバム「CIRCUS TOWN」でソロデビューを果たす。1980年に発表したアルバム「RIDE ON TIME」が大ヒットを記録し、以後日本を代表するアーティストとして数々の名作を発表。1982年には竹内まりやと結婚し、彼女のアルバムをプロデュースするほか、KinKi Kids「硝子の少年」など他アーティストへの楽曲提供なども数多く手がけている。また、代表曲「クリスマス・イブ」は1987年から四半世紀にわたってオリコンウィークリーチャート100位以内を記録。2011年8月10日に6年ぶり通算13枚目のオリジナルフルアルバム「Ray Of Hope」をリリース。
2011年8月10日更新