ナタリー Super Power Push - 山下達郎
6年ぶりオリジナルアルバム「Ray Of Hope」堂々完成
このたび6年ぶりのニューアルバム「Ray Of Hope」をリリースする山下達郎。デビュー36周年を迎える彼の新作には、昔ながらのファンはもちろんのこと、昨今のアーティストたちによるリスペクトをきっかけに興味を持った若いリスナーも注目していることだろう。山下達郎の音楽を聴き始めるきっかけはいつの時代もすぐそこにある。今回の特集企画ではまず、彼の近年のトピックを振り返るところから始めてみたいと思う。
文/久保田泰平
chapter 1 「SONORITE」
前作「SONORITE」がリリースされたのは、2005年9月。オリジナルとしては通算12枚目となったアルバムだ。2000年代に入り、レコーディングツールの主流がそれまでのマルチトラックテープレコーダーからProToolsなどのオーディオワークステーションへと急速に移行したことにより、達郎自身もまずはそうしたテクノロジーへの対応が制作上の課題としてあったようだ。記録メディアがテープからハードディスクに変わることによるデメリットを感じながらも、「SONORITE」は近年の達郎作品の中でも最も苦心を強いられた作品だと言える。
収録曲には先行シングルやCMタイアップ曲が多数収められていたこともあり、2000年代前半のベスト盤的ニュアンスも感じられるが、シングル曲の「忘れないで」ではカンツォーネを取り入れてみたり、「白いアンブレラ」では本人曰く"なんちゃってバカラック"と形容する変調をはらんだサウンドを編んでみたりと意欲的な試みも多数。1997年にKinKi Kidsへ提供した「KISSからはじまるミステリー」のセルフカバーではケツメイシのRYOをフィーチャーするなど、随所に新たなトライが見受けられる作品となっている。
chapter 2 ナイアガラ
2005年12月、シュガー・ベイブのアルバム「SONGS」の発売30周年を記念して、「SONGS 30th Anniversary Edition」がリリースされた。1975年に大滝詠一が立ち上げたレーベル、ナイアガラからオリジナル盤がリリースされて以来、幾度かリイシューされてきた「SONGS」だが、1994年のリイシュー時は、小沢健二、オリジナル・ラブなど〈渋谷系〉アーティストによるレコメンドもあり、オリコンウィークリーチャート3位を記録している。なお、2006年には、1976年に発売された大滝、達郎、伊藤銀次による企画アルバム「NIAGARA TRIANGLE Vol.1」の、やはり記念盤「NIAGARA TRIANGLE Vol.1 30th Anniversary Edition」もリリースされた。
chapter 3 竹内まりや
2006年9月、竹内まりやの5年ぶりとなるシングル「返信 / シンクロニシティ(素敵な偶然)」がリリースされた。この曲のレコーディングを皮切りに、翌2007年5月に発表するアルバム「Denim」に向けて達郎は"まりやモード"に突入する。アルバムでは1984年の「VARIETY」以降、すべてのアレンジとプロデュースを手掛けている達郎にとって、彼女の作品は自身の作品制作と同じぐらい重要なもの。ゆえにこの時期、書き下ろしのCM曲があったものの、達郎ファンにとってCDでの新曲リリースは2008年3月の「ずっと一緒さ」までおあずけとなる。
chapter 4 CMソング&テレビテーマ曲
2006~2007年はリリースこそなかったものの、テレビCMや番組テーマ曲などで、達郎サウンドを聴く機会は非常に多かった。アサヒ本生のCMで「JODY」(1984年「BIG WAVE」に収録)、TBS系「ブロードキャスター」のテーマソングではスタンダードナンバー「バラ色の人生~ラヴィアンローズ」のアカペラカバー、ニコンのCMでは書き下ろしの「ANGEL OF THE LIGHT」、テレビ東京「イツザイ」のテーマソングでは「FUNKY FLUSHIN'」(1979年「MOONGLOW」に収録)が起用され、そして年末にはおなじみ「クリスマス・イブ(English Version)」がスズキシボレーMWのCMで初オンエアされた。
シュガー・ベイブで活動していた頃から数多くのCMソングを手掛けている達郎は、書き下ろしのタイアップ曲に関しても通常の作品となんら変わらぬプロ意識をもって制作に臨んでいるという。決してひとりよがりではなく、世の中のニュアンスを読みながら良質な作品を送り出してきた達郎にとって、クライアントからの要望に応えてバランスよく楽曲を作ることは決して不自然な行為ではない。タイアップをきっかけに制作された楽曲がオリジナルアルバムに収録され、オリジナル曲同様の輝きを放っていることからも、それは実証済みだろう。
chapter 5 「ずっと一緒さ」
2008年3月にリリースしたシングル「ずっと一緒さ」は、年初からスタートしたフジテレビ系月9ドラマ「薔薇のない花屋」の主題歌になった楽曲で、「SONORITE」以降久しぶりの新曲だった。ヒップホップへのアプローチなど音楽的実験性を随所にはらんでいた「SONORITE」のあとに続く楽曲にもかかわらず、この曲は非常にストレートな仕上がり。素朴な愛情表現を聴かせるこのスローナンバーは、1988年の「クリスマス・イブ」以来となるオリコンウィークリーチャートトップ3入りを果たした。
chapter 6 サンデー・ソングブック
2008年5月5日、6日に東京・浜離宮朝日ホール、10日に大阪・厚生年金会館芸術ホールで、「サンデー・ソングブック」放送800回の記念と、「ずっと一緒さ」販促イベントを兼ねて、アコースティックミニライブが行われた。「サンデー・ソングブック」は1992年から(当初は「サタデー・ソングブック」として毎週土曜15:00から放送)JFN系列で放送されている達郎のレギュラーラジオプログラム。オールディーズを中心にオンエアされる音源は、自身が所有しているライブラリの中からチョイスしたものばかりなのだが、すべて達郎本人がラジオに適した音質にミックスし、WAV形式でデータ化(かつてはDATに録音)しているという。この番組をきっかけに、ライブラリを肥やしたリスナーは数知れず。
chapter 7 Performance 08-09
2008年12月、「山下達郎 Performance 08-09」がスタート。これは「Performance 2002 RCA / AIR YEARS SPECIAL」以来となる6年半ぶりの全国ツアーで、12月5日の神奈川・厚木市文化会館を皮切りに、翌2009年5月11日の東京・中野サンプラザまで、全50公演が行われた。ツアーメンバーには、伊藤広規(B)、佐橋佳幸(G)、難波弘之(Key)、土岐英史(Sax)、国分友里恵(Cho)、佐々木久美(Cho)、三谷泰弘(Cho)といったおなじみの顔ぶれに小笠原拓海(Dr)、柴田俊文(Key)の新顔が加入。久しぶりのツアーということもあって、セットリストは新旧取り混ぜた内容となった。3時間を越えるロングセットで有名な達郎のライブだが、地方に出かけるとついついMCも増えてしまい、4時間近くに及ぶこともしばしば。
chapter 8 Performance 2010
8月6日の神奈川・厚木市文化会館を皮切りに全国ツアー「山下達郎 Performance 2010」がスタート。追加公演となった青森・八戸市公会堂まで全39公演が行われた。ツアーメンバーは「山下達郎 PERFORMANCE 08-09」 と同じ。このツアーではシュガー・ベイブ時代の曲も数曲披露されている。前回から短いタームでのツアー開始には、「WooHoo」のタイトルでニューアルバムのリリースが予定されていたこともあるが、達郎が新しいツアーメンバーにとても満足していたこと、音楽制作の現場や市場が変化していく中でライブの重要性がより高くなっていたこと、という理由もあったようだ。ファンクラブ会報誌「TATSURO MANIA」では、「ライブは唯一複製できないメディア。だからこそ大事にしていきたいし、体が続く限りはやっていこうと思ってる」と発言しており、MCでは「還暦まではライブをやります!」という頼もしい宣言も飛び出している(いや、還暦を過ぎても続けてほしいが)。
chapter 9 野外フェス
2010年8月14日、北海道・石狩湾新港樽川ふ頭横野外特設ステージで行われた「RISING SUN ROCK FESTIVAL 2010 in EZO」に出演。音響へのこだわりから、しばらく野外でのライブを拒んできた達郎だが、イベンターの熱意と、近しいミュージシャンから聞いた同フェスの好印象が決め手となって、29年ぶりに野外のステージに立つことに。当日は「SPARKLE」「WINDY LADY」「RIDE ON TIME」「さよなら夏の日」など代表曲を中心に約1時間のライブを行い、詰めかけた3万人の観衆を魅了。予想以上に熱いステージングに度肝を抜かれた初見のオーディエンスも多かったようだ。
chapter 10 日本武道館
2010年10月31日、日本武道館で行われたワーナーミュージック・ジャパンの創立40周年ライブプログラム「WARNER MUSIC JAPAN 40th. Anniversary~100年MUSIC FESTIVAL~」に出演。これまで「本を出さない」「アリーナで公演をしない」「テレビに出ない」と公言していた達郎が武道館のステージに立つということで話題になったが、彼が大きな会場を拒んできたのは、音響的に満足できない、万一停電した際に自分の声が端まで届かない、都市部の大きな会場だけでツアーをするよりも地方に住む多くのファンにステージを観てほしいから、というのが主な理由。近年は音響設備も向上し、本人も日本武道館でのステージには満足していたようだが、アリーナ席のパイプ椅子と常設のプラスチック椅子は、自身の長丁場なライブには不向きであるとコメント。やはり今後も武道館やアリーナでのワンマンライブが実現することはなさそうだ。なお、同年暮れに行った竹内まりやのコンサート「souvenir again~mariya takeuchi live 2010~」ではバンドマスターとして再び武道館のステージに立っている。
chapter 11 「クリスマス・イブ」
2010年12月、シングル「クリスマス・イブ」がオリコンウィークリーチャートで25年連続のランクイン(トップ100入り)を達成した。これはもちろん前人未踏の大記録。「クリスマス・イブ」は、1983年のアルバム「MELODIES」の収録曲で、同年12月に12インチ限定ピクチャー盤という形でシングルカットされた。1988年、JR東海のCMに起用されたことがきっかけで楽曲の知名度が上昇し、再リリースされたCDシングルは、1989年12月にオリコンウィークリーチャート1位を記録している。達郎本人も作詞、作曲、編曲、ボーカル、コーラス、プロデュースなどすべてにおいて完成度が高いと賞している曲であり、この曲で山下達郎を認知している国民は多いはずだ。
CD収録曲
- 希望という名の光 (Prelude)
- NEVER GROW OLD
- 希望という名の光
- 街物語 (NEW REMIX)
- プロポーズ
- 僕らの夏の夢
- 俺の空
- ずっと一緒さ
- HAPPY GATHERING DAY
- いのちの最後のひとしずく
- MY MORNING PRAYER
- 愛してるって言えなくたって (NEW REMIX)
- バラ色の人生~ラヴィアンローズ
- 希望という名の光 (Postlude)
初回限定盤付属ライブディスク「JOY 1.5」収録曲
- 素敵な午後は(1985/2/24 神奈川県民ホール)
- THE THEME FROM BIG WAVE(1985/2/24 神奈川県民ホール)
- ONLY WITH YOU(1986/10/9 郡山市民文化センター)
- 二人の夏(1994/5/2 中野サンプラザ)
- こぬか雨(1994/5/2 中野サンプラザ)
- 砂の女(1994/5/2 中野サンプラザ)
- アトムの子(1992/3/15 中野サンプラザ)
山下達郎(やましたたつろう)
1953年東京出身の男性シンガーソングライター。1975年にシュガー・ベイブの中心人物として、シングル「DOWN TOWN」とアルバム「SONGS」にてデビュー。翌1976年のバンド解散を経て、アルバム「CIRCUS TOWN」でソロデビューを果たす。1980年に発表したアルバム「RIDE ON TIME」が大ヒットを記録し、以後日本を代表するアーティストとして数々の名作を発表。1982年には竹内まりやと結婚し、彼女のアルバムをプロデュースするほか、KinKi Kids「硝子の少年」など他アーティストへの楽曲提供なども数多く手がけている。また、代表曲「クリスマス・イブ」は1987年から四半世紀にわたってオリコンウィークリーチャート100位以内を記録。2011年8月10日に6年ぶり通算13枚目のオリジナルフルアルバム「Ray Of Hope」をリリース。
2011年8月10日更新