TAKURO|“ギタリストTAKURO”の可能性を追求する、終わりなき旅路

2018年の10月を俺は一生忘れない

──アルバムのレコーディング作業はすべてロサンゼルスで?

アレンジは日本でやって、ギターに特化した作業をロサンゼルスでやりました。スーパーミュージシャンの方々に録ってもらったオケを松本さんのところに持って行って曲を選び、決まった曲に対して今度はギターフレーズを選んでいく。どの楽器とアンプを使ってどの弦で弾くのか、力具合とボリュームはどうするのかということを二人三脚で考えていきましたね。

──改めて、松本さんとのギターレコーディングはどうでしたか?

TAKURO

特別な日々でしたよ。うれしさもつらさも含めて、これほど濃密な2018年の10月を俺は一生忘れないと思うな。毎日課題を突き付けられて、刃を向けられて、新しいアイデアを出し合って、斬り合って……大抵は斬られっぱなしなんですが(笑)。それでもたまに1つ爪痕を残して、その喜びを噛み締めながらまた次の日を迎えるような3週間は、GLAYのレコーディングでもソロの1stアルバムでもなかった。毎日「お前どれぐらい本気なの?」って自問自答するような時間でした。

──昨年12月に神奈川・MOTION BLUE YOKOHAMAで行われたライブでは、松本さんとのレコーディングを“スパルタ”とおっしゃっていましたね。

実際には松本さんは優しいんだけど、「俺とお前が目指してるところってここだよね」と明確に示されたとき、そこに行けない情けなさがいつも自分に付きまとう。2人で掲げた目標にたどり着ける日もあればたどり着けない日もあって。目の前に登るべき山があって頂上が見えているのに自分の経験不足、準備不足から途中で下山しなきゃいけない……そういった悔しさが常にレコーディングの中にあって。これはGLAYにも共通しているけど、ギターと向き合うといつもそういう感覚に襲われます。

──30年近くギターを弾かれていても?

そう。これは冗談じゃなくて、俺はこの2年ぐらいでようやくライブが楽しくなってきた。20代の頃は人気に溺れて、自分たちがわーって盛り上がればいいやという状態だったけど、そのままじゃいられないもんね。だんだん自分が歳をとって大人になってきて、1人ひとりのお客さんがどんな思いで来ているかということに徐々に気付いてきたときに1音1音を出すのがホントに怖くなった。自分の体調やメンタルの影響で、ベストなパフォーマンスができなかったときは、もう二度と来ない人がいるかもしれないのに情けないことをやっちゃったなって。そういうことを30代から40代前半ぐらいまでは特に思っていた。でも、ギターに向き合って努力して、自分はベストを尽くしてここまでやったんだと思えたとき、ステージに立つのがちょっと楽になったかな。

──それだけ長くギタリストとしてやってきても、まだまだ追及するものがあるんですね。 

理解してもらえるかわからないですけど、ドレミファソラシドを弾いて昨日よりも滑らかに弾けたら、厳密に言うとそれはミリオンセラーを出すよりもうれしい。子供の頃にギターを持った日からやりたかった“滑らかに弾く”ということは、人気があるとか富や名誉とはまったく違うレベルにある。こればっかりはホントに。

憧れのプレイヤー

──ロサンゼルスに移住されたそうですが、音楽的環境を求めたことも背景にあるんでしょうか?

いや、正直に言うならばロサンゼルスに引っ越したのは家族の事情で、音楽的なことはまったく関係ないです。下の娘がロスの学校に行きたいと言うので、「なるほど。俺がお前の願いを叶えなかったことがあるか?」と。当然留学という手段もあるとは思うんですけど、もうちょっと子供の成長を間近で見ていたいし、子供たちにも父親というものを感じながら生きていってほしいので。バンド結成から30年近く経ってみんな大人になったし、そういった思いをメンバーに相談して。もちろんGLAYは今年デビュー25周年ということで精力的に活動していくし、今はネットを含めたいろんなツールがあるからメンバーと距離を感じることもないし。俺がロサンゼルスで朝10時、日本は夜中の2時半にHISASHIとひたすらLINEとかしてる(笑)。「寝ないのかな、こいつ?」みたいな。

──なるほど。結果的にロサンゼルスという環境が、音楽に影響しているところはありますか? 向こうでのレコーディングは空気が乾燥しているから、少し音が違ってくると言いますよね。

ミュージシャンはみんなそう言うけど、絶対勘違いだと思う(笑)。

TAKURO

──そうなんですか?

なんか言いたくなる気持ちはわかるし、俺も20年前のインタビューで「ロンドンは音が違う」と言ったけど、関係ないです(笑)。ロスのミュージシャンと会えるという意味では、可能性が広がりそうだけれども。

──そう言えるのは、TAKUROさんの中にしっかりとギタリストとしての軸ができているからかもしれませんね。

そうですね。どんなところに行ってどんな楽器を使おうが、やっぱり自分の右手と左手次第だなということを今回泣きながら学びましたから(笑)。

──ちなみにギタリストTAKUROとして、今憧れているプレイヤーはいますか?

憧れか……永遠に変わらないのはTak Matsumoto、SUGIZO、HISASHI。この3人は殿堂入り。好きなギタリストはゲイリー・クラーク・ジュニアとかマイク・ブルームフィールドとかいっぱいいるんですけど、憧れているという意味で一番ワクワクするのはリー・モーガンというトランぺット奏者かな。俺が弾きたいギターのアプローチに一番近くて、こんなふうにギターを弾けたらいいなと思う。シンプルな音作りで、とにかく熱量がすごいんですよ。33歳で亡くなってしまって、もうとっくにこの世にはいないんですけどね。この人は本気だなというのが音から伝わってくるし、生きることに冷めていなかった感じがする。

地図が拡大した感じ

──ソロギタリストとしてジャズやブルースといった音楽に向き合ってこられましたが、その経験はGLAYの楽曲制作にどのように影響していますか?

GLAYにおいてジャジーなフレーズと言うと昔はざっくりとした地図しかなかったけど、その地図が「この道だって行けるんだよ」ともっと拡大した感じがする。今まではひたすらAマイナーのペンタトニックを弾いていたところを、「この音だって気持ちいいんだよ。この音とこの音を組み合わせるとちょっとアラビアっぽくなるんだよ」というたくさんの道を見つけた。ただ、あんまりそれを出すと小洒落た感じになるので、GLAYのためになるときがあればそのフレーズを出すようにしています。GLAYのある種のいなたさみたいなものは、実は意識しないと出ないんですよ。

──楽曲の幅が広がるという意味でも今後が楽しみですね。

そうですね。ただ、ソロとGLAY本体の距離は、「Journey without a map」もまだ2枚目なのでつかみあぐねているところがあるかな。

──ソロライブを拝見していると、TAKUROさんが今ギタリストとしてすごく楽しんでいらっしゃるのがよくわかります。

ははは(笑)。もう一度言いますが、ただの修行でございます!

ツアー情報

「GLAY TAKURO Solo Project 3rd Tour "Journey without a map 2019"」
  • 2019年3月14日(木) 福岡県 Zepp Fukuoka
  • 2019年3月16日(土) 広島県 BLUE LIVE HIROSHIMA
  • 2019年3月18日(月) 大阪府 Zepp Namba
  • 2019年3月20日(水) 愛知県 Zepp Nagoya
  • 2019年3月22日(金) 新潟県 NIIGATA LOTS
  • 2019年3月26日(火) 東京都 Zepp Tokyo
  • 2019年3月29日(金) 宮城県 SENDAI GIGS
  • 2019年3月31日(日)北海道 金森ホール(※1日2回公演)
  • 2019年4月3日(水)東京都 Billboard Live TOKYO(※1日2回公演)
  • 2019年4月6日(土)大阪府 Billboard Live OSAKA(※1日2回公演)