音楽ナタリー Power Push - 竹原ピストル
真性“歌うたい”のたぎる決意
昨年、アルバム「BEST BOUT」で自身2度目のメジャーデビューを果たした竹原ピストルが、ニューアルバム「youth」をリリースした。住友生命「1UP(ワンアップ)」CMソングとして使用されている「よー、そこの若いの」やタイトル曲を含む本作には、年間250本以上のライブの中で培ってきた歌の力、人間の本質に迫る歌詞がさらに鋭く刻まれている。佐藤洋介(ex. COIL)によるロック、フォーク、レゲエ、ブルースなどさまざまなジャンルの音楽性を取り入れたサウンドメイクにも注目だ。
今回、音楽ナタリーでは、竹原ピストルにインタビューを実施した。「歌うたいが金を稼ぐときは、歌を歌うんです」「若い頃に自分が発した言葉がよくも悪くも重圧になっている」といった言葉も飛び出した今回のインタビュー。赤裸々な発言を交えながら、「BEST BOUT」以降の活動から本作完成に至るまで、たっぷりと語ってもらった。
取材・文 / 森朋之 撮影 / 佐藤類
歌うたいが金を稼ぐときは、歌を歌うんです
──まずは前作「BEST BOUT」以降の活動について聞かせてください。ライブを中心とした活動を続けていたわけですが、何か変化はありましたか?
「BEST BOUT」はソロとして初めてメジャーレーベルから出したアルバムなんですけど、その後の1年は事務所(オフィスオーガスタ)に采配を任せていたんですね。その中で「もっとこうしたい」ということができて、少しずつ修正しながら今日に至るという感じです。事務所にお任せしてたときは、ライブの数がかなり減ったんですよ。もちろん考えがあってのことだと思いますけど、アルバムのリリースツアーが終わったあと、自分の中で「うーん」って考え込む時期もあって。
──もっとライブをやりたいと?
なんて言うのかな……ソロになってからは年間250本とか280本とかアホみたいにライブをやってましたけど、当然「ここで終わってたまるか」という気持ちがあったんです。だからもう一度、野狐禅のときにお世話になっていた事務所に拾われて、メジャーレーベルのSPEEDSTAR RECORDSから出せることになったときは「こうやって小さい会場をグルグル回るような活動は卒業だ」と思ったんですよね。ライブの数も制限して、今までお世話になってきたライブハウスの人たちに対しても「アルバムをドーンと出して、とんでもないところまで行くから」っていう気持ちだったんですけど、一発目のアルバムがそこまで売れなくて。フォーク小屋のマスターから「ピストルのライブ、申し訳ないけど客が多すぎてウチじゃ無理だから」って言われるようになりたかったけど、なれなかった。だったらもう1回ライブの数を増やして、今までやってきたライブハウスに戻るべきだなと思ったし、実際に事務所の人と話をして、自分でブッキングさせてもらえるようにしたんです。自分で決められないようなデッカイ公演は事務所にお願いして、その間は自分で小さい小屋を回るっていう感じですね、今は。あとライブが減ったことで一番耐え難くて、精神に響いたのは、「金に困ったときに事務所に借りる」ということだったんですよ。例えば5万円必要だったとして、どんなにギャラが安いところでも、ライブを5本やれば稼げるんです。俺、そのことを知ってるんですね。
──ライブハウスで歌を歌ってギャラをもらうことを、ずっと1人でやってきたわけですからね。
だから、事務所の経理部に金を借りに行くのがすごくイヤだったんですよね。歌うたいが金を稼ぐときは、歌を歌うんですよ。そういう根本的な感覚が損なわれつつあったから、これはマズイと思って。「お前ができることは、歌って稼ぐことじゃないのか?」という自問自答もしてたし、そういう当たり前のことをもう一度始めたってことですね。まあ、今回のリリースに際しても同じことを思ってるんですけどね。「これがバン!と売れたら、小さい小屋ではやらねえよ」っていう(笑)。「ピストル、ウチではできないよ」って言われたら売れてる人のスタンスでやるべきだし、もしダメだったら、また歌いに出かけて金を稼げばいいし。
──すごく明確ですね。どんな状況でも歌って稼ぐという意識を持てるのも、ピストルさんの強さだと思います。
「歌わないと金は入らないし、CDがとんでもなく売れない限り、ノンビリなんかできねえぞ」っていう当然のことなんですけどね。自分の力で食ってくっていうのはそういうことだなって。哲学とか美学みたいな大げさな話ではないけど、「歌うたいとは何か?」ということに対して、自分はこんなにも頑ななのかとは思いましたけど。
その頃の自分に恥じない現在があるか?
──もちろん新しい曲も書き続けてたんですよね?
書いてたっすね。今回のタイトル曲になってる「youth」は「BEST BOUT」のレコーディングをやってる途中でいきなりポコンと出てきたんです。とりあえずライブで歌い始めて、僕も気に入ってたから「BEST BOUT」に入れようと思ったんだけど、マネージャーとか洋介さん(アレンジを手がけている佐藤洋介)から「ライブで歌い込めば、もっとよくなると思う」と言われて。実際、歌っているうちにCメロができたから、待ってよかったっすね。
──「ひとにあって、自分に無いものが、自分にあって、ひとにないものさ」のところですね。「youth」はタイトル通り、若いときの思い出がテーマになっている曲とのことですが、当時のことは記憶に残ってますか?
残ってますね。竹原ピストルという芸名も、高校時代の親友が「お前の将来のために」って考えてくれたんですよ。仲間にオリジナル曲を聴かせて「ぜってえ、ビッグになってやるからよ」って言いふらしてたんですけど、その言葉がときに重くのしかかってきたり、背中を押してくれたりするんですよね。「俺、あいつらと約束しちゃったからな」っていう気持ちがいまだにあるんですよね、よくも悪くも。
──若い頃の自分に対する落とし前がつけられていない、というか。
「その頃の自分に恥じない現在があるか?」っていうことですね。だって、相当なことを言ってましたからね、クラスのヤツらや先生に向かって。卒業文集でも“竹原ピストル”名義で熱く夢を語ってるし(笑)。これでダメだったらキツイなって……。でもね、自分のことを思い浮かべながら書いた曲ではありますけど、「僕の少年時代はこんな感じでね」という歌では全然なくて。僕は野球やボクシングを一生懸命やって、目立ちたがり屋で、文化祭のステージにも上がりたがる少年だったんですけど、例えば休み時間にアニメのイラストを描いてる女の子とか、コアなF1雑誌を読んでる男子にもすごく興味があったんです。よせばいいのに「何を描いてるの?」って話しかけてノートを隠されたりしてましたから(笑)。
──自分とはタイプの違う人たちの世界にも興味があるっていうのは、ピストルさんらしいですね。
今もそうなんですけど、「この瞬間だけは解放されるんだ」みたいな感じで、何かに夢中になってるヤツがすごい好きなんです。そういう時間って、誰にでもあったと思うんですよね。「そのときの自分に恥じぬように」っていうのは僕個人の気持ちですけど、「あなたにもそんな時間があったでしょう?」というのを言いたかったんです。今の若いお兄ちゃん、お姉ちゃんに対しては、ちょっとおこがましいけど「好きなこと、夢中になれることがあるんだったら、どんどんやんなさい」って思うし。そういうことが歌いたくなったのは、年齢のことも関係あるかもしれないですね。来年40歳になるんで。
──今も全力で歌を歌ってるんだから、若いときの自分に恥じない生き方ができてますよね?
一応、ギリギリいけてるかなって感じですね。かなりデカいことを言ってたから、それに比べたらまだまだなんですけど(笑)。あとね、もうツブシも効かない年齢じゃないですか。「これしかやれない」って腹を括らざるを得ないのか、自分から腹を括ってるのか……。だから、CMソングの話(「よー、そこの若いの」)をもらったときはホントにうれしかったし、「マジか!」ってガッツリ食い付きました。そんなことは今までなかったし、ありがたいなって。テレビに竹原ピストルという名前が出るわけですからね。高校時代の仲間に対しても、誇りが持てるような出来事でした。
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収録曲
- youth
- 全て身に覚えのある痛みだろう?
- 午前2時 私は今 自画像に描かれた自画像
- じゅうじか
- 高円寺
- へっちゃらさ、ベイビー
- 月夜をたがやせ
- よー、そこの若いの
- ぼくの夢でした
- 石ころみたいにひとりぼっちで、命の底から駆け抜けるんだ
- トム・ジョード
竹原ピストル(タケハラピストル)
1976年生まれ、千葉県出身。大学時代の1995年にボクシング部主将として全日本選手権に出場した経験を持つ。1999年に野狐禅を結成。2003年にデビューし、6枚のシングルと4枚のアルバムをリリースした。2009年に野狐禅を解散後、ソロ活動を開始。年間250~300本のライブ活動をしながらリリースを重ねる。2014年、野狐禅デビュー時に所属していたオフィスオーガスタに復帰し、10月にスピードスターレコーズよりニューアルバム「BEST BOUT」をリリースする。2015年11月にメジャー2作目となるアルバム「youth」を発表。歌手活動のほかに熊切和嘉監督作品「青春☆金属バット」、松本人志監督作品「さや侍」への出演など、俳優としての顔も持つ。