ももクロで活動していく中で音域が広がった
──ソロ曲はどれも高城さんらしい優しい雰囲気にあふれていますが、曲調としてはホントにいろいろな種類があって。中でも2011年発表の「恋は暴れ鬼太鼓」と翌12年発表の「津軽半島龍飛崎」は完全な演歌で、アルバムの中でも異彩を放っていますが、そもそも当時どうして演歌を歌うことになったんでしたっけ? 自分で希望して?
正直に言うとそうではなくて、和の要素というか、一番着物が似合うメンバーだったからかな。川上さん(プロデューサーの川上アキラ氏)が面白半分で決めた部分もあったと思うんですけど(笑)、一緒に住んでいたおばあちゃんが演歌をよく聴いていたので、当時もわりと違和感なく歌えた気がします。「なんで演歌なんだ?」と思ったこともありましたが、今考えるとこういうことにも挑戦しておいてよかったなって。
──アルバムには「恋は暴れ鬼太鼓」「津軽半島龍飛崎」どちらも再レコーディングバージョンで収録されます。
最初はリテイクする予定は全然なくて、オリジナルの音源を収録することになってたんです。すっごい迷惑な話なんですけど、アルバムができあがるギリギリになってやっぱり録り直したいと思って、フルちゃんに相談して。そしたら「自分のソロアルバムだし、間に合わなかったらしょうがないけど、レコード会社の人に言ってみたら? 言わずに後悔するよりいいんじゃない?」と背中を押してくれて、その結果、皆さん協力してくれたんです。アルバムを聴く人には10年前との違いを味わってほしいし、自分自身も10年前の曲を歌ったらどうなるんだろうというワクワク感、好奇心がありました。最近はももクロのライブでも初期の曲を歌う機会はなかったですし。
──実際にレコーディングしてみていかがでしたか?
この10年間、声が変わってないように思われてるかもしれないですが、私の中ではかなり変わっていて。なんだかスムーズに歌えるようになったんですよね。10年前に録ったときはキーが高すぎて、声が出なかったんですよ。でも、大人になった今、楽々と出るようになって。ももクロで活動していく中で音域が広がったんだと思います。あと、ちゃんと歌詞の意味を理解して歌えるようになりましたね。当時、特に「津軽半島龍飛崎」のほうはよくわかってなかったし、歌い終わったあとに演歌歌手の方みたいに「ありがとうございます」って口パクで言うのもなんのこっちゃっていう感じで(笑)。あのときの小娘だった私には表現しきれてなかったと思うんですけど、この10年でちょっとは変わったのかなと感じています。一本調子じゃなく、抑揚をつけて歌えるようにもなりましたし。
10年間の外見と内面の変化
──高城さんはももクロの中で一番変わらない存在だとメンバーやファンから言われがちですが、18歳から28歳までの10年間って普通は人生の中でも変化が多い時期じゃないですか。歌の面以外で自身の変化を感じることはないですか?
なんでしょうね……まず外見はかなり変わったと思いますよ。私、10代の頃はむくみ体質で、目が一重になるくらい顔がパンパンになることもあったんですけど、大人になってその体質がなくなりましたし、親知らずを4本抜いたので顔がシュッとしたと思います(笑)。
──(笑)。では、内面的にはどうですか?
そこは変わってないですね。気持ちはずっと18歳のままです。でも、物事の考え方は変わったかもしれないです。心が広くなったというか、いろんなことを許せるようになって。余裕が出てきて、穏やかになった気がします。長年この生活を続けていたらつらいこともあるじゃないですか。そういうときの切り返し方や乗り越え方がよりポジティブになったかな。考えてもしょうがないと思うようになったし、打たれ強くなったと思います。
──10年間、ももクロでいろんなことを経験していく中で強くなっていったと。
でも、いろんなことを経験してきたからこそ、怖くなった部分もあって。思い切れないというか、何も考えずに踏み出すことができないんです。例えば、話すひと言ひと言に対して考えすぎて空回りしちゃったり、口に出して言えばよかったのに結局言わなかったり。それは大人になるにつれて増えていきましたね。
──昔は何も考えずに思ったことを言葉にしていました?
「こう言われたらこう思うだろうな」とか、相手の気持ちも考えてなかったですね。少しは考えてはいたんでしょうけど、「面白いから言おう」とか、自分の気持ちだけでしゃべってました。
言葉にできない空気感を言葉にしたい
──演歌以外のソロ曲はソロコンの開催に合わせて制作されてきましたが、毎回どんなふうに曲を作ってきたんでしょう? それぞれ高城さん自身のアイデアや意見がもとになっていたり?
曲によってなんですけど、わりと自分の意思が反映されてますね。新曲を作るときは毎回、スタッフさんが私に意見を聞いてくれるんです。でも、「Tail wind」だけは何も言ってないのに私にドンピシャな曲に仕上がっていて。この曲を作っていただいたとき、時間がほとんどなくて、打ち合わせが全然できなかったんですよ。結果として「なんでこんなに私の好みをわかってるんだろう」と思うくらいの仕上がりで、それは今までソロ曲を作っていただいた歴史があるからなんだろうなと、そのとき思いました。
──「しょこららいおん」や「『3文字』の宝物」に関しては意見や好みが反映されているのみならず、高城さん自身も作詞に参加しています。
「『3文字』の宝物」については、この曲が制作された当時、自分が思ったことを書き留めるのにハマってて。作詞に関わりたいと思ってその紙を提出して、それをうまく並び替えていただいたんです。
──今後も作詞に挑戦したいという気持ちはあるんですか?
やっていきたいですね。ポエムを読むのが好きだし、普段生活している中で言葉にできない空気感を言葉にできたら気持ちいいだろうなと感じることもあって。また挑戦してみたいです。1人では無理なので、また作詞家の方に手伝ってもらう形になると思いますが(笑)。
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ポジティブとネガティブの共存