syudou「露骨」インタビュー|自分をさらけ出した初の歌唱アルバムや音楽ルーツ、これまでの歩みを語る

syudouが6月28日に1stアルバム「露骨」をリリースする。

「露骨」はボカロPとして活躍してきたsyudouが、シンガーソングライターとして発表する初の歌唱アルバム。テレビアニメ「チェンソーマン」第5話のエンディングテーマ「インザバックルーム」、テレビアニメ「クールドジ男子」のオープニングテーマ「笑うな!」、心の中の葛藤を描いた「恥さらし」など、syudouが自分をさらけ出して制作し、ありのままの状態で歌ったという全14曲が収録され、彼のシンガーソングライターとしての手腕や魅力を堪能できる作品に仕上がっている。そもそもsyudouとは何者なのか。それを解き明かすため、音楽ナタリーでは彼に音楽的なルーツや影響を受けたカルチャー、これまでの歩み、そして未来に向けた展望に至るまでを、たっぷりと語ってもらった。

取材・文 / 柴那典

ロック生まれ、ヒップホップ育ち

──アルバム「露骨」が完成して、手応えはどんな感じですか?

ありがたいなということに尽きますね。僕はもともと歌いたいと思って音楽を始めた人間ではなくて、いろいろな流れや皆さんの応援があって自分でも歌ってみようと思ったんです。そして今回のアルバムでシンガーソングライターとしての活動が1つの形になった。自分の人生が豊かになってる実感があります。ありがたいです。

──ではまずはsyudouさんの音楽遍歴を振り返って話を聞いていきたいのですが、音楽的なルーツにはどういうものがあるんでしょうか?

ボーカロイドとは別に2本の軸があると思ってまして。1つは小学校低学年くらいのとき、5歳上の姉が聴いていたのをきっかけにBUMP OF CHICKENやASIAN KUNG-FU GENERATIONを聴くようになったんです。一家全員音楽好きだったのもあり、その影響で日本のバンドミュージック全般を聴き始めて、そこから自分の音楽遍歴がスタートしました。そこから曲を聴くだけじゃなく自分で作り始めるようにもなって。もう1つの軸としては、大学に入るくらいの年齢でヒップホップに出会いまして。その影響も大きいです。そういう意味では「ロック生まれ、ヒップホップ育ち」的な人間だと自分としては思ってます。

──ヒップホップにハマったのはどういうきっかけだったんですか?

僕が最初に「これ、なんだ?」と思ったのは、S.L.A.C.K.(現5lack)さんの「Hot Cake」や「NEXT」という曲でした。初めて聴いたのは2013年か2014年くらいです。自分は高校生の頃に音楽を作り始めたんですけれど、それまでバンドミュージックで育ってきたので、ドラムはパキッとして、ギターはガンガン鳴ってみたいな、1つの理想形があったんです。そんな時期にS.L.A.C.K.さんの曲を聴いたら、そもそもの構造が全然違っていた。ヨレヨレのサンプリングビートで、ドラムの音色もロックバンドの曲とは全然違うし、ベースもほぼ入ってない。なんならメロディもあってないようなものなのにもかかわらず、「めちゃめちゃいい!」と思ったんです。自分で曲を作り始めてから構造を意識して曲を聴くようになったのもあって「これはなんだ? ヒップホップ? ジャンル自体は知ってたけど、いったいこれはなんなんだ?」と衝撃を受けて、より深く聴いていった感じです。

2022年8月8日に東京・中野サンプラザホールで初の有観客ライブ「syudou Live 2022『加速』」より。(Photo by Shingo Tamai)

2022年8月8日に東京・中野サンプラザホールで初の有観客ライブ「syudou Live 2022『加速』」より。(Photo by Shingo Tamai)

──中高生の頃にはどんな音楽にハマっていたんでしょう?

BUMP OF CHICKENから入って自分でいろんな音楽を掘るようになって、ハヌマーンとかアルカラとか、ジャキジャキしたシングルコイルのギターが鳴っているバンドが好きでした。あとは中学に入るくらいのタイミングでボーカロイドに出会って。家族がみんな音楽好きなので大抵のものを知ってるんです。少しかじった程度のバンドの名前を出しても「ああ、知ってる知ってる」みたいになる。The Beatlesは最低限聴いてないと恥ずかしいぞくらいの感じだったので、ある種、親に反抗する感覚で「これなら知らないだろう」とボカロやネットミュージックを聴くようになりました。ヒップホップもたぶんそうです。俺の中で「グレる」というのは、親が知らない音楽を聴くことだった。反抗でした。

ハチ=米津玄師の存在の大きさ

──バンドを組もうという発想はありましたか?

ありました。実は、最初は姉とバンドを組んだんです。中学のときに吹奏楽部でドラムを始めたので、ギターをやっていた姉と、姉の友達とスリーピースバンドを組んで。ただ、高校に入って新たにバンドをやってみようと思ったときに、自分にバンドの適性がないことに気付いて。メンバーは一応集まったんですけど、電話をしてスタジオの予約を取るとか、そういうことがどうしてもできなかったんです。それでフェードアウトしちゃいました。でも音楽は好きなので、ボーカロイドならやれるかなっていう。

──バンドをやるよりボーカロイドで曲を作ることのほうが自分に向いてる感じがあった。

どう考えても向いてるなと感じました。どちらかと言えばインドア派な人間ですし、当時はライブハウスという場所への適性が自分にはなかった。変な話なんですけど、みんな背がデカくて。もちろん好きなバンドのライブを観に行くときは素晴らしい場所だと感じるし、楽しいんですけど、ここで音楽をがんばっていくには、音楽以外の要素が多すぎる、しんどい、向いてないと思いまして。表現方法にはそこまでこだわりはなく、ただ曲を作りたかったので、だったら自分が一番楽しく続けられそうなやり方がいいなと思ったんです。当時はハチさんに一番刺激を受けていたのもあって。

──いろんなボカロPの中でもハチ=米津玄師さんが一番大きな存在だった。

そうですね。曲を聴いてきたボカロPとしては、wowakaさん、DECO*27さん、トーマさんとか、ほかにもいるんです。でも、ハチから米津玄師名義に変わるまでの流れや活動をリアルタイムで追えてしまった。やっぱり存在としてデカいですね。

──ヒップホップにハマったのは、すでにボーカロイドで曲を作っていた頃ですか?

作ってはいましたね。でも一番再生された曲で200回くらいでした。

──ラッパーと組んで活動を始めようとか、トラックメーカーとしてやっていこうとか、もしくは自分がラッパーをやろうとか、そういうことは考えました?

めっちゃいろいろ考えました。大学に通っていて、自分に使える時間がたくさんあった時期だったので、なんでもやってみようと思って。それこそ事務所やレーベルにデモテープを送ったこともありますし、ビートだけ作ってネットに上げたこともあるし、友達とラップグループを組んだこともありました。

──ライブハウスには馴染めなかったということでしたが、ヒップホップカルチャーに対してはどうでした?

これも適性がなかったです。大学生だったので、友達とクラブに行くこともあったんですよ。でも「これはムズいぞ」と。ナンパしようとしてるし、そこらへんで酔っ払ってケンカしてるし、みんな背が高いし。自分は音楽を落ち着いた場所で聴くのが一番だなと思いました。ただ、ヒップホップのマインドや考え方は好きだし、リスペクトしてますね。

──話を総合すると、syudouさんはロックで育ち、ヒップホップに大きな影響を受けて、その衝撃やマインドは確実に血肉になっているけれど、どちらの“村”にも馴染めなかった、と。

馴染めないというより、自分には適性がなかったなと思います。自意識過剰なんでしょうけど。楽しむことはできるっていう感じです。

──ボーカロイドのカルチャーには馴染んだ?

めっちゃ心地いいし最高です。超向いてるって思いました。ボカロPとしての活動は、半年に1回くらい即売会のイベントに手売りのCDを持っていけばいいだけだったので、実稼働も少なかったですし。当時は普通に働いてたんですけど、働きながらでもできますし、親にも趣味感覚でやってるって説明しやすい。めっちゃ向いてましたね。

──syudouさんは大学を出てから会社員として働いていたんですよね。そのまま普通に働きながら趣味としてボカロPを続けていくという人生の選択肢もあった?

そのつもりでいました。ただ、2019年に「ビターチョコデコレーション」という曲を発表したら、それまでで一番の反応があって。その時期から即売会のイベントに参加すると、いろんな友達ができるようになったんです。それまで音楽で生活してる友達なんて1人もいなかったので、音楽で食うなんて無理だろうと思ってたんですけど、意外となんとかなるんだなって。そこでちょっと視野が広がり、今お世話になっている人たちに声をかけていただきました。あとは当時付き合ってた彼女に振られたり、いろんなことが重なって、会社を辞めました。