音楽ナタリー Power Push - sympathy
“シンデレラストーリーバンド”のこれまでとこれから
高校の軽音部でバンドを結成し、初のライブの場でもあったコンテストで優勝。高校卒業後も趣味でライブを続けていたら、トントン拍子でデビューが決定。ミニアルバム「トランス状態」をリリースするsympathyは、そんなシンデレラストーリーでデビューへの階段を駆け上がってきた、高知発の4人組女の子バンドだ。今回は柴田ゆう(Vo, G)と田口かやな(G)の2人から、デビューへの道のりや今の心境、今後の目標について語ってもらった。また特集後半には、ジャケットイラストを担当した内山ユニコや編曲で参加した出羽良彰など、今作に携わったクリエイターたちの応援コメントを掲載する。
取材・文 / 田島太陽 インタビュー撮影 / 関口佳代
曲作りはSkypeかLINEでしてます
──皆さん高知出身ですが、まだ地元に住んでるんですか?
柴田 私はもう東京なんですが、田口と門舛(ともか / Dr)はまだ高知で、今井(なつき / B)が京都です。
田口 だから基本的にはライブのときしか集まらないんです。曲作りのやり取りも、SkypeかLINEでしてます。
──では田口さんは今日も高知から?
田口 はい。5時に起きて飛行機で来ました。
──取材には慣れましたか?
田口 いや……今日が初めてで。
柴田 ちょっと緊張してます。
──バンドの結成は高校の軽音部がきっかけなんですよね?
柴田 昔から歌うことが大好きだったから、いっぱい歌いたいなと思って入部しました。
田口 私はずっと音楽を聴くのが大好きで、大きくなったらバンドを組みたいって考えてたんです。だから高校で軽音部を見つけて、「今だ!」って。柴田以外の3人は楽器が未経験だったけど、軽音が盛んな学校で、100人くらい部員がいたからなんとかなるかなって。
──未経験で、担当パートはどのように決めたんですか?
柴田 4人が知り合ったときに、みんなで第1希望を言い合ったんです。
田口 そうしたらみんなバラバラで。ちょうどよかったですね。
勝ちたいとか、プロになりたいとか、全然考えてなかったです
──バンドを結成して初めて出たライブがオーディションで、いきなり優勝してますよね。
柴田 はい、高校1年の終わり頃だったかな。でも、別に勝ちたいとか、プロになりたいとか、全然考えてなかったです。
田口 その頃は、いつか全曲オリジナルでライブできたらいいな……っていうのが目標でした。
──ではなぜそのオーディションに?
柴田 先輩のバンドが出るって聞いて、じゃあ、って。
田口 演奏が2曲だけだったんです。まだ持ち曲も少なかったから、経験値を得るためにも出てみようってことになりました。
──オリジナル曲はいつから作り始めたんですか?
柴田 そのライブで優勝した特典がレコーディングだったんです。それで「やらなあかんやん!」って必死で作ったのが「あの娘のプラネタリウム」です。
田口 4人で1週間くらい部室にこもって作りました。
柴田 完成したときは宿題が終わったみたいな開放感で、「よっしゃー!」って。しばらく曲作りはいいやって思いました。
──ではまだデビュー志向はなかった?
田口 ……ないです。
柴田 曲作りも全然しなかったし。でも、卒業してからもバンドは続けようってみんなで話してたんです。具体的な計画も目標もなかったけど、絶対にこの4人で続けようねって。
──そう思えるくらい音楽が好きだった?
柴田 音楽もそうですけど、メンバーですね。この4人以外はあり得ない。「新しいバンドは組んじゃダメ!」って話をして卒業しましたし。
──でもバンドとしての目標はなかったんですよね?
柴田 ……ないです(笑)。なるようになるかなって。
田口 誰も聴いてくれてなくてもいいから、バンドは続けたかったんです。
──そこからデビューに至った経緯を教えてください。
柴田 去年の夏に東京でライブをしたとき、今の事務所の方が観てくれてたんです。本当は(そのライブイベントに出ていた)別のバンドさんが目的だったらしいんですけど、声をかけていただいて。
──そのときの心境は?
柴田 「めっちゃ怪しい!」って(笑)。でも、いただいたメールを読んでみたらすっごい褒めていただいてて。
田口 「これ誰の話?」みたいな。ウソだと思いました。それでみんなで話して、デビューしようって決めました。
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収録曲
- 女子高生やめたい
- さよなら王子様
- 紅茶
- 有楽町線
- 泣いちゃった
- あの娘のプラネタリウム
sympathy(シンパシー)
柴田ゆう(Vo, G)、田口かやな(G)、今井なつき(B)、門舛ともか(Dr)からなる高知県出身の女性4人組ロックバンド。高校の部活動で結成され、初ライブだったコンテストで優勝したのち、地元のライブハウスでライブ活動を行いながらオリジナル曲を作り始める。2014年8月に1stミニアルバム「カーテンコールの街」を発表。その直後に事務所およびレーベルと契約し、2015年7月にミニアルバム「トランス状態」でビクターエンタテインメント内のレーベル・CONNECTONEよりデビューを果たす。