スガシカオ「Acoustic Soul 2014-2024」特集|今だから語るソウルミュージックのこと、母ヤグルトさんのこと

スガシカオがニューアルバム「Acoustic Soul 2014-2024」をリリースした。

本作は2014年と2020年にライブ会場と通販限定でリリースされた「Acoustic Soul」シリーズ2作からの4曲に新録6曲を加えた全10曲入り。森俊之(Key)、坂本竜太(B)、沼澤尚(Dr)、間宮工(G)からなるスガの初期キャリアを支えたバンド“Family Sugar”の面々も参加し、“スガ流ソウルミュージック”に特化した1枚となっている。

また初回生産限定盤には文庫本サイズ230ページ超でおくるスガ初の自伝的エッセイ集「実録小説 ヤグルトさんの唄」が同梱される。音楽ナタリーではアルバムを完成させたスガにインタビューを行い、ソウルミュージックへの愛、楽曲に込めたある人への大切な思い、長編エッセイ集の執筆の背景、さらには今後の展望まで、さまざまな思いをたっぷりと語ってもらった。

取材・文 / 内田正樹

スガシカオにとってのソウルミュージックとは

──まずはこの「Acoustic Soul 2014-2024」のリリースの動機から聞かせてください。

2014年に発表した「Acoustic Soul」から10年目というタイミングだし、あとはこれまでソウルっぽい曲をいっぱい作ってはきたけど、もはやスガシカオとしての音楽性は総合商社というか、いろんな要素を取り込んでジャンルレスになっているでしょ? ファンクならそれに特化したファンクザウルスという形態もあるし、純粋なソウル曲だけにスポットを当てたアルバムも自分のキャリアに残しておこうと思って。でも、ただ寄せ集めるだけなのもなんだし、ちょうどCMタイアップのために書き下ろした「あなたへの手紙」という新曲もあったから、半分以上を新録にして「近しい人に宛てた手紙」というコンセプトのアルバムにしようと決めました。

──ここで言う“Acoustic Soul”とは、アコースティックギターを使うという意味ではなく、極力、ソウルミュージック黄金期のアナログ楽器を使ったソウルという定義で合っていますか?

そう。「発芽」という曲のドラムのシーケンスを除いて、基本的にはデジタルの鳴り物やMIDIは使わず、ほぼ一発録りです。

──アルバムの5曲目には、スガさんがソウルミュージックへの思いを歌った「Soul Music」という曲も収録されています。改めて確認しておきたいんですが、スガさんにとってのソウルミュージックとは、どのあたりを指しているのでしょうか?

そもそもソウルミュージックというのはブルースとゴスペルが合体して1960年代に発生した音楽と言われていて、その後、R&Bやネオソウルなんかに発展していくわけだけど、ぶっちゃけジャンルとしては80年代の中盤ぐらいで終わっているんですね。もちろん、今現在も“ド”ソウルをやっているアーティストはいるけど、チャートにはほとんど上がってこない。今回は、僕が18歳の頃にハマった、モータウンやハイ・レコードといった60~70年代に名を馳せたレーベルのサウンドから、フィリー(フィラデルフィア)ソウルを経て、80年代に台頭したブルーアイドソウルやUKソウルあたりまでの音楽を僕の中でソウルと位置付け、復元しようと試みています。

──ブルーアイドソウルというと、ダリル・ホール&ジョン・オーツ、ヴァン・モリソンといったアーティストでしょうか?

その2組と、日本だとAORというジャンルでくくられていたボズ・スキャッグス、あとはAverage White Bandあたりはかなりのめり込んで聴いていました。ほかにもボビー・コールドウェルとかEurythmics、ロバート・パーマーや彼が参加したThe Power Stationも。UKのブルーアイドソウルなら、僕も以前カバーしたSimply Redがナンバーワンかな。

スガシカオ

Family Sugarはここがスゴイ

──18歳の頃、何かソウルにのめり込むきっかけがあったんですか?

当時、NHK-FMでやっていた渋谷陽一さんのラジオで70年代ソウルの特集回があって。確かスティーヴィー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ、クインシー・ジョーンズなんかが紹介されていたんですよ。それを聴いて、「こんなにカッコいい音楽があるのに、なんで自分の周りでは誰もやっていないんだ?」と思って、そこから急激にソウルやファンクに目覚めました。

──そう言えば、今回、初回生産限定盤には「実録小説 ヤグルトさんの唄」が同梱されていますが、その中に一時期ジャズギター教室に通っていたという記述がありましたね。

そうそう。まだギターを満足に弾けもしないうちに通っちゃったから、テクニックとしてはほとんど身に付かなかったけどね。ブルーアイドソウルが流行った当時、日本ではどちらかと言うとヴァン・ヘイレンやブルース・スプリングスティーンやJourneyといったアメリカンロックやポップスが洋楽の主流だった。僕も高校生の途中まではノイズミュージックしか聴いていなかったんだけど、学校の友達からはロックばかり強要されていたので、Alcatrazzとかマイケル・シェンカーとかちょっとだけコピーはしていましたよ。でも、僕はそっちに行かず、ソウルの匂いがするものばかりを聴くようになった。関西ではまた違った流れがあったみたいだけど、東京ではけっこうマイノリティでしたね。

──その教室での経験は、今日のスガさんの音楽性になんらかの影響を及ぼしていますか?

テンションの高いコードを勉強させられていたから、それは役に立っているかもしれない。作曲のとき、♭13thとかマイナーの9thとか、自然と頭の中で鳴るし。ユーミンさん(松任谷由実)も言っていたけど、そういうコードって若いうちから聴いていないと、作曲においてあまり頭の中で鳴らないみたいなんだよね。

──近年では、「EIGHT JAM」といった地上波の音楽番組において、ビル・ウィザースの名曲に代表される「Just The Two of Us進行」、つまりFmaj7→E7→Am7→Gm7→C7というコード循環が解説されるような機会も目にしますが。

僕の曲にもいっぱいあります。というか、僕の曲のほとんどが、ジャズまで行かないけどジャズの知識を借りたポップミュージックみたいなコード進行。反対にいわゆるロック的な進行はまったく体に入っていない。

スガシカオ

──そういう点で今作のサウンドは、若いリスナーにはある意味で新鮮かもしれないけど、長年のスガシカオリスナーにとっては、実は“懐かしい”スガシカオでもあると思うんですよ。で、そこにはやはりスガさんの初期を支えたバンド、第1期Family Sugarの皆さんの参加が強く作用していて。

面白いもので、例えばこういうソウルを3、40代のミュージシャンとやると、自然とネオソウル寄りのアプローチになってしまう。やっぱり青春時代に嫌というほど昔のソウルミュージックを聴いて自分の血肉にしてきた人じゃないと、この音にはならないんですよ。例えば「情熱と人生の間」という曲はイントロが8ビートで、本編が16ビートなんだけど、俺より若いミュージシャンが弾くと大抵ただの8ビートになっちゃう。でも、Family Sugarのメンバーでやると、8ビートの後ろでちゃんと16ビートが聞こえる。

──つまり、跳ねた8ビートになるんですよね。

そう。なんせメンバーみんな青春ド真ん中のときに聴いていたタイプの曲だから、もう全員ウキウキですよ(笑)。「情熱と人生の間」みたいな曲って、もはや作る人もいなけりゃ弾ける場もほとんどないし。しかも、今回はあえて楽器周りも当時のソウルミュージックで使われていたような機材をなるべく使ってもらっているので、鳴り方も含めて、かなりいい線まで追求できましたね。やっぱりすごいバンドですよ。いっせーのせでやって、ほとんどの曲がワンテイクでOKでしたからね。

──それはすごい。Family Sugarとは今年12月から来年3月にかけてツアーも予定されています。

沼澤(尚)さんという強靭なグルーヴモンスターがいるものの、ファミシュガも僕以外は全員60越えですから、あと何回長いツアーを一緒に回れるかわからない。だからアルバムを録って、そのまま一緒にツアーも回りたいと僕からオーダーさせてもらいました。

──「このところ ちょっと」(1998年6月リリースのアルバム「FAMILY」の収録曲)タイプのアプローチとも言える「情熱と人生の間」のイントロは、まさに初期スガシカオっぽいサウンドですね。

これはソウルの定番。70年代初頭のソウルにおける典型的なイントロです。

──同時にスガシカオのシグネチャーとも言えるイントロだと思うんですよ。

それは大袈裟(笑)。ほかにやっている人がほとんどいないだけだよ!

──いやいやいや! だって70年代のソウルにまったく同じものがそこまで散見されるわけじゃないですし。このグルーヴはFamily Sugarだからこそですよ。そして、やはり初期のスガシカオ楽曲のトーン付けには森俊之さんの貢献が非常に大きかったんだなと改めて感じました。

それは確かにそう。コードのアプローチから音の質感、機材の選び方まで、森さん印はかなり大きかったですね。