音楽ナタリー Power Push - シュガー・ベイブ

山下達郎が語る「SONGS」40周年と大瀧詠一

大瀧詠一と細野晴臣の関係

──達郎さんから見た大瀧さんの才能というのは?

大瀧さんという方のセンスは厳密に言うとミュージシャン的じゃないんです。音楽の表現者というより、アイデアマンあるいは発明家っていう存在に近い。音楽にどういうアイデアを組み入れるかっていうところにものすごくユニークな発想を持っていたんです。もちろん歌は別格で本当にうまかったけど、あの時代はボーカリストより演奏家のほうが尊重された時代だったから。今はようやくそれがなくなったけど。だから彼のようなスタンスは苦労が多かった。

──今は楽器が弾けなくても音楽をやってる人は多いですしね。

広義な意味ではそういった流れの源流かも。今は逆にボーカル志向が強すぎる時代傾向があるけどね。でも大瀧さんがはっぴいえんどに入った頃はもう圧倒的に楽器演奏者の力が大きくて、ミュージシャンの間では大瀧さんより細野さんのほうが評価が高かった。とにかく細野さんは楽器の天才で、どんな楽器でも器用にこなせるんです。僕は今でもあの人のベースが日本一だと思うし。

──なるほど。

だから大瀧さんは音楽家としての細野さんに憧れてたんです。誤解を恐れずに言えば、70年代までは大瀧さんが作る作品、特に「NIAGARA MOON」とかその頃の作品って、常に細野さんに向けて発信されてるんですよね。「これを細野さんが聴いたらどう思うか」って意識でやってる部分がものすごく多い。あの2人はそれほど強固に感応し合ってたというか、2人でほぼ同時にニューオーリンズに向かって、大瀧さんは音頭からロンバケに行って、細野さんはトロピカルからテクノに行ったという。

──達郎さんは細野さんより大瀧さんにシンパシーを感じていたんですね。

何度も申し上げるように、今では信じられない話かもしれないけど、当時はボーカルより楽器演奏を重視する勢力のほうが力を持っていた。僕はボーカル最優先の人間だったから、その中では異端だった。はっぴいえんどのアルバムも大瀧さんの曲のほうが好きだった。数少ない大瀧詠一派だったんです。

──今でも?

もちろん。細野さんすいません(笑)。ベースは細野さんがナンバーワンです。

自分の断片しか見せない人だった

──達郎さんと大瀧さんの出会いは1973年、達郎さんが福生の大瀧さん宅を訪れたときだそうですが、その当時はっぴいえんどはもう人気のバンドだったわけですよね。

でも僕は邦楽にあまり興味がなかったから。はっぴいえんどは知ってたけど。

──じゃあ初対面では特に感激もなく?

うん、そういうファン気質はなかった。大瀧さんの曲はいいなと思ってたけど、一緒に仕事するとは思わなかったから。自分とはあまり縁のない存在だと。

──その後、大瀧さんの家にはよく足を運んでいたんですか?

大瀧さんちは遠いから行くの大変だったんだけどね。僕の家は練馬だったから、東武練馬から池袋に出て新宿に出て新宿から中央線で立川行って、立川から拝島線で福生行って、そこからまたバスだからクソ遠いんですよ(笑)。

──シュガー・ベイブ周辺の人たちで大瀧さんの家に集まる機会も多かったんでしょうか?

シュガー・ベイブ第1期メンバー。左から村松邦男、山下達郎、大貫妙子、野口明彦、鰐川己久男。

いや、仕事以外での夜の雑談は僕と(伊藤)銀次だけ。アルバムが出た頃には銀次も福生から都心に移っていったから、大瀧さんと2人だけのことが多かった。大瀧さんからはいろんなことを教えてもらいましたけど、彼自身はとても飽きっぽい人でね。何かに凝っても長くて3年とか5年とか。映画もオールナイトで毎日観まくって数年でパッタリやめて。いきなり苔栽培とか始めるし。とにかく不思議な人でしたよ(笑)。

──いい関係だったんですね。

まあ表も裏も知ってますからね。でもそういうのを別に人に話してもしょうがない。ただ僕と大瀧さんの間にはほかの誰とも違う何かが確実にあった。じゃなきゃ20年以上新春放談とか続きませんよ。

──達郎さんのラジオ(「山下達郎のサンデー・ソングブック」)の新春放談のコーナーで大瀧さんが話すのを聞いて、大瀧さんが実在する人だということを確認していた気がします(笑)。

新春放談は1984年の正月から始まって2011年まで断続的ながらもずっと続いたんです。最後の十数年間は、彼が唯一世の中に登場する場として機能していた。相手を煙に巻くのが好きな人でね。それには照れ屋という部分が大きく作用していて、常に自分の断片しか見せたがらなかった。亡くなったあと、いろいろな方々が大瀧さんのことを語り始めて、だんだん追悼オンパレードになっていったのが、僕にはすごく不思議で、本当によくわからなくてね。そんなにみんな大瀧さんのことを知ってたのかなって。

──そうですね。

今でもうまく説明ができないし、だったら生きてるときにとは言わないけど、なんかすごく違和感があってね。だからこの1年半大瀧さんのことはまったく語ってこなかった。そうすると今度は、仲違いしてたのか?とか言われたりして(笑)、まあ言いたいヤツは好き勝手に言えばいいけど、そんなんじゃないんだよね。僕と大瀧さんの関係を、そういう人たちに説明などしたくないし、別にわかってもらおうとも思わないし。

──言葉にはできない思いがあるんですね。

うん、言葉にしない、言わない気持ちのほうが大きくて、深いんです。本質的にはあの人は言葉を信用しない人だったから。話に茶々入れてひっくり返すのが大好きで、だけど実は本当に言いたいことも山ほどあって。だからしばしば誤解されるし。生き方がうまい人では決してなかったから。あの人の持っていた男気、強さ、弱さ……。今となっては夢のようだけど。「SONGS」をリミックスしていたら「クリスマス音頭」のダビングを思い出し、なぜか「うれしい予感」のスタジオ風景までフラッシュバックしてきた。そういう人だった。

アルバム「SONGS -40th Anniversary Ultimate Edition-」 / 2015年8月5日発売 / [CD2枚組] 3024円 / Warner Music Japan / WPCL-12160~1
アルバム「SONGS -40th Anniversary Ultimate Edition-」
アナログ盤 [アナログ2枚組] 4320円 / NIAGARA / SRJL-1090~1
CD DISC 1(2015 Remaster)収録曲
  1. SHOW
  2. DOWN TOWN
  3. 蜃気楼の街
  4. 風の世界
  5. ためいきばかり
  6. いつも通り
  7. すてきなメロディー
  8. 今日はなんだか
  9. 雨は手のひらにいっぱい
  10. 過ぎ去りし日々“60’s Dream”
  11. SUGAR
  12. パレード(Live)(Bonus Track)
  13. こぬか雨(Live)(Bonus Track)
  14. 雨は手のひらにいっぱい(Live)(Bonus Track)
  15. WINDY LADY(Live)(Bonus Track)
  16. DOWN TOWN(Live)(Bonus Track)
  17. 愛は幻(Live)(Bonus Track)
  18. 今日はなんだか(Live)(Bonus Track)
CD DISC 2(2015 Remix)収録曲
  1. SHOW
  2. DOWN TOWN
  3. 蜃気楼の街
  4. 風の世界
  5. ためいきばかり
  6. いつも通り
  7. すてきなメロディー
  8. 今日はなんだか
  9. 雨は手のひらにいっぱい
  10. 過ぎ去りし日々“60’s Dream”
  11. SUGAR
  12. 今日はなんだか(Original Piano Version)(Bonus Track)
  13. DOWN TOWN(Live)(Bonus Track)
  14. 風の世界(Live)(Bonus Track)
  15. SHOW(Karaoke)(Bonus Track)
  16. DOWN TOWN(Karaoke)(Bonus Track)
  17. 蜃気楼の街(Karaoke)(Bonus Track)
  18. いつも通り(Karaoke)(Bonus Track)
  19. 雨は手のひらにいっぱい(Karaoke)(Bonus Track)
シュガー・ベイブ

山下達郎(Vo, G)を中心に1973年に結成されたロックバンド。1976年解散。解散時のメンバーは山下達郎、大貫妙子(Vo, Key)、村松邦男(G, Vo)、寺尾次郎(B)、上原裕(Dr)の5名。メジャー7thを多用したコード展開や美しいコーラスワークなど、当時としては珍しい音楽性でその後の日本のロック史に大きな影響を与えた。1975年4月に発表したアルバム「SONGS」は、現在に至るまで名盤として多くのファンに支持されており、2015年8月には多くのボーナストラックを加えた「SONGS -40th Anniversary Ultimate Edition-」としてリイシューされた。

山下達郎(ヤマシタタツロウ)

1953年東京出身の男性シンガーソングライター。1975年にシュガー・ベイブの中心人物として、シングル「DOWN TOWN」とアルバム「SONGS」にてデビュー。翌1976年のバンド解散を経て、アルバム「CIRCUS TOWN」でソロデビューを果たす。1980年に発表したアルバム「RIDE ON TIME」が大ヒットを記録し、以後日本を代表するアーティストとして数々の名作を発表。1982年には竹内まりやと結婚し、彼女のアルバムをプロデュースするほか、KinKi Kids「硝子の少年」など他アーティストへの楽曲提供も数多く手がけている。また、代表曲「クリスマス・イブ」は1987年から四半世紀にわたってオリコン年間チャート100位以内を記録。2011年7月に通算13枚目のオリジナルフルアルバム「Ray Of Hope」を発表し、2012年9月には初のオールタイムベストアルバム「OPUS ~ALL TIME BEST 1975-2012~」をリリースした。2015年3月には「第65回 芸術選奨文部科学大臣賞」の大衆芸能部門・大臣賞に選出。同年10月から2016年4月にかけて35都市64公演のホールツアーを実施する。