音楽ナタリー Power Push - シュガー・ベイブ
山下達郎が語る「SONGS」40周年と大瀧詠一
インディーのカルトバンドだった
──当時70年代の音楽シーンの中で、シュガー・ベイブは誰もが知ってる人気バンドというわけではなかったんですか?
全然(笑)。ごくごく狭い活動範囲ですよ。僕らはまだ20歳そこそこで、当時は今のようにテレビはおろか、ラジオでさえろくに取り上げてもらえなかったから。一般的にはほとんど無名だったんです。大学生の一部のみ。それは僕らに限らず、シーン全体がそうだった。今でもそういう空気はインディーの世界ではあまり変わらないと思う。でも例えば75年10月、渋谷のYAMAHAでの店頭無料ライブは黒山の人だかり。同世代の若者がたくさん集まってきた。もちろんギャラなんてもらえないライブですけどね。そのときは学生だったうちの奥さん(竹内まりや)がボーイフレンドと観に来てて、「なんか暗い人だな」と思ってたって(笑)。あと佐橋(佳幸)くんは中1で、目黒から自転車乗って観に来てたらしい。後にそういう人が業界に入ってくる。
──感度の高い人たちが注目してたんですね。
だけど、あくまでそれは一部の人たちの口コミでの広がりで。完全にインディーのカルトバンドですよ(笑)。最初は客も渋谷ジァン・ジァンの昼の部で2、30人くらい。それがアルバム出した途端に人が増えて。
──解散ライブは荻窪ロフト2DAYSですよね。
荻窪ロフトや下北沢ロフトみたいなライブハウスでは動員があったし人気もあったんだけどね。日比谷野音の野外イベントみたいなオープンな場所だと全然ウケない。一晩で5バンドとか6バンド出て、最初が我々、次がサンハウス、その次がハックルバック、トリがウエスト・ロード・ブルース・バンドとか上田正樹みたいな、そういうイベントがあったんですけど。
──そのラインナップだとシュガー・ベイブは浮きそうですね。
そりゃ浮いてましたよ(笑)。「あんなのロックじゃない」「軟弱だ」なんてさんざん言われたし。地方都市に行くと「踊れるのやれ!」「ノれねえぞ!」とか野次られるし。そういうとこに出てもウケない。だけど下北沢ロフトでは最大動員数の記録を持ってたりして。その差が極端で、なんだかよくわからなかった(笑)。
──当時「SONGS」はどれくらい売れたんですか?
7000枚って言われてるけど実際のとこはわからない。エレックがつぶれたので印税一銭ももらってないし、オリコン100位になんてもちろん入ってないし。僕自身、発売日前後にこのアルバムがレコード屋に置いてあるのを見たことがない。あの頃は誰が買ってるんだろうって思ってましたよ。でも82年にMOON RECORDSを立ち上げたとき社員が17人だったんだけど、そのうち3人が持ってたんだよね。その後この業界で会う人会う人みんな買った、聴いてた、持ってるっていう。だから「SONGS」を買った人はほとんど全員この業界に入ってきてるんじゃないかと(笑)。
大瀧さんが録ったから40年間生き続けた
──「SONGS」では大瀧詠一さんがプロデューサーとレコーディングエンジニアを務めていますね。
うん、今回僕が書いたライナーノーツは“プロデューサー大瀧詠一”じゃなく“エンジニア大瀧詠一”に、ほとんどページを費やしてます。「SONGS」っていう作品の音は大瀧さんありきですからね。
──読ませていただきましたが、とても興味深かったです。
もしこのアルバムがメジャーカンパニーのスタジオで、当時の一流と言われてたレコードエンジニアが録ってたとしたら、こういう音にはならなかったと思う。あの頃は歌謡曲とかせいぜいGSしかないから、ロックのドラムとかベースの録り方に精通してるエンジニアはあまりいなかった。
──大瀧さんはその録り方がわかっていた?
大瀧さんは、はっぴいえんどの3枚目(1973年発売「HAPPY END」)のレコーディングでアメリカに行って、そのときにヴァン・ダイク・パークスとかLittle Featの仕事を見て興味を持って、それで自分もエンジニアやりたい、スタジオを持ちたいと。だから大瀧さんは実は当時のメジャーなレコード会社のエンジニアとは違って、独学で技術を習得したんだけど、ロックの音の録り方の本質はわかっていた。要するにこのアルバムってガレージポップなのね。
──はい。
例えばコーラスひとつ録るにしても、僕らはいつもマイクを無指向にして、1本のマイクをぐるっと取り囲んで歌ってた。今でもそうしてる。大瀧さんも僕も例えばThe Beach Boysの写真なんかでそれを見て、ディスカッションしながらトライ&エラーでそこにたどり着いた。だけど当時はメジャーなスタジオに行くと、ヘタすりゃマイク1人1本で別々に録音されるわけ。それじゃコーラスはきれいに混ざらない。一事が万事その調子で、当時の歌謡曲的なスター歌手最重視の編曲ノウハウ、録音ノウハウでは、ロック的な拡張性は望むべくもなかった。この作品が曲がりなりにも40年間生きてこられたのは、大瀧さんがエンジニアだったという要素がとても大きいんですよ。
──達郎さんから見て、大瀧さんのエンジニアリングはユニークなものだったんですか?
もう超ユニーク(笑)。今回リミックスしてみてよくわかったけど、不思議なバランスなんです。エレックのスタジオはピアノも弱かったから、どっちかって言うとギターをメインでミックスして、それこそガレージパンクみたいなアプローチでやってるの。でも曲はメジャー7thを多用してるっていう。それでこんな不思議なレコードができあがったわけです。当時の日本のメインストリームの録音形態とはかけ離れた方法論。でも聴く人がきっとそれに感応したんだよね。そうじゃなきゃ残ってないですよ。
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- アルバム「SONGS -40th Anniversary Ultimate Edition-」 / 2015年8月5日発売 / [CD2枚組] 3024円 / Warner Music Japan / WPCL-12160~1
- アルバム「SONGS -40th Anniversary Ultimate Edition-」
- アナログ盤 [アナログ2枚組] 4320円 / NIAGARA / SRJL-1090~1
CD DISC 1(2015 Remaster)収録曲
- SHOW
- DOWN TOWN
- 蜃気楼の街
- 風の世界
- ためいきばかり
- いつも通り
- すてきなメロディー
- 今日はなんだか
- 雨は手のひらにいっぱい
- 過ぎ去りし日々“60’s Dream”
- SUGAR
- パレード(Live)(Bonus Track)
- こぬか雨(Live)(Bonus Track)
- 雨は手のひらにいっぱい(Live)(Bonus Track)
- WINDY LADY(Live)(Bonus Track)
- DOWN TOWN(Live)(Bonus Track)
- 愛は幻(Live)(Bonus Track)
- 今日はなんだか(Live)(Bonus Track)
CD DISC 2(2015 Remix)収録曲
- SHOW
- DOWN TOWN
- 蜃気楼の街
- 風の世界
- ためいきばかり
- いつも通り
- すてきなメロディー
- 今日はなんだか
- 雨は手のひらにいっぱい
- 過ぎ去りし日々“60’s Dream”
- SUGAR
- 今日はなんだか(Original Piano Version)(Bonus Track)
- DOWN TOWN(Live)(Bonus Track)
- 風の世界(Live)(Bonus Track)
- SHOW(Karaoke)(Bonus Track)
- DOWN TOWN(Karaoke)(Bonus Track)
- 蜃気楼の街(Karaoke)(Bonus Track)
- いつも通り(Karaoke)(Bonus Track)
- 雨は手のひらにいっぱい(Karaoke)(Bonus Track)
シュガー・ベイブ
山下達郎(Vo, G)を中心に1973年に結成されたロックバンド。1976年解散。解散時のメンバーは山下達郎、大貫妙子(Vo, Key)、村松邦男(G, Vo)、寺尾次郎(B)、上原裕(Dr)の5名。メジャー7thを多用したコード展開や美しいコーラスワークなど、当時としては珍しい音楽性でその後の日本のロック史に大きな影響を与えた。1975年4月に発表したアルバム「SONGS」は、現在に至るまで名盤として多くのファンに支持されており、2015年8月には多くのボーナストラックを加えた「SONGS -40th Anniversary Ultimate Edition-」としてリイシューされた。
山下達郎(ヤマシタタツロウ)
1953年東京出身の男性シンガーソングライター。1975年にシュガー・ベイブの中心人物として、シングル「DOWN TOWN」とアルバム「SONGS」にてデビュー。翌1976年のバンド解散を経て、アルバム「CIRCUS TOWN」でソロデビューを果たす。1980年に発表したアルバム「RIDE ON TIME」が大ヒットを記録し、以後日本を代表するアーティストとして数々の名作を発表。1982年には竹内まりやと結婚し、彼女のアルバムをプロデュースするほか、KinKi Kids「硝子の少年」など他アーティストへの楽曲提供も数多く手がけている。また、代表曲「クリスマス・イブ」は1987年から四半世紀にわたってオリコン年間チャート100位以内を記録。2011年7月に通算13枚目のオリジナルフルアルバム「Ray Of Hope」を発表し、2012年9月には初のオールタイムベストアルバム「OPUS ~ALL TIME BEST 1975-2012~」をリリースした。2015年3月には「第65回 芸術選奨文部科学大臣賞」の大衆芸能部門・大臣賞に選出。同年10月から2016年4月にかけて35都市64公演のホールツアーを実施する。