音楽ナタリー Power Push - シュガー・ベイブ
山下達郎が語る「SONGS」40周年と大瀧詠一
山下達郎、大貫妙子、伊藤銀次らが在籍していた伝説のバンド、シュガー・ベイブ。彼らが発表した唯一のアルバム「SONGS」が、発売から40年を経て「SONGS -40th Anniversary Ultimate Edition-」として生まれ変わった。本作はDISC 1に最新リマスター音源、DISC 2には40年前のオリジナルトラックを最新のデジタル技術で新たにリミックスした音源を収録し、多数のボーナストラックを加えたCD2枚組でのリリースとなる。
音楽ナタリーではこの40周年盤の発売を記念して、山下達郎にインタビューを実施。今回のリマスター&リミックスの狙いやオリジナル発売当時の状況、さらに「SONGS」にプロデューサー兼エンジニアとして参加した故・大瀧詠一の思い出に至るまで、じっくりと話を聞いた。
取材・文 / 大山卓也
恵まれない環境でのレコーディング
──「SONGS」発売40周年おめでとうございます。終戦70周年の今年、「SONGS」が40周年を迎えたと考えると、その歴史の重さを改めて感じます。
そう言われるとすごいね。ゾッとしてきた(笑)。
──時代を超えた名盤として聴かれ続けている「SONGS」ですが、制作当時を振り返ってみていかがですか?
我々に限らず、当時のロックバンドはまだ相当に恵まれない時代でしてね。レコーディング環境もライブ環境も、事務所との契約も、例えば制作予算とかスタジオでのメシ代とかまで含めて、そういうものが全体的にまだはなはだ未完成で常にギクシャクしてた。シュガー・ベイブもご多分にもれずで、まず、契約したエレックというレコード会社が実は倒産寸前だったんです。大瀧詠一さんのレーベル「ナイアガラ」も、立ち上がったばかりだったので、非常に不安定で。
──なぜそんなことに?
僕らは最初1974年の1月に、はっぴいえんどの所属事務所「風都市」に入ったんだけど、給料を一銭ももらえなくて。2月になっても3月になっても給料が出なくて、そのまま風都市はつぶれちゃった。大瀧さんはそこから自分のレーベル「ナイアガラ」を立ち上げることになり、シュガー・ベイブがその第1弾として計画された。それで4月にデモテープの録音を始めるんだけど、スタートした時点では東芝と契約するって聞いてたのが、夏が終わる頃、いきなり契約先がエレックになったと言われて。連れて行かれたエレックのスタジオは、新宿のごく普通のビルの2階にある天井の低い、まあ練習スタジオに毛が生えた程度の場所でね。もっとちゃんとしたスタジオでやれるもんだと思ってたのに、もう湿気ムンムンで、ピアノの弦にしずくが垂れてるみたいな、そういうところだったんですよ。そんな条件の中でレコーディングしなきゃならないのがとても不満で、せめて曲だけでも聴いてくれって意味で「SONGS」ってアルバムタイトルを付けたんです。でも、あとで申し上げますが、結果的にはそのインディーな録音環境がよい結果を生んで、当時のほかの作品とは違った個性が生まれた。
──レコーディング風景の写真はないんでしょうか?
残念ながらエレックでのスタジオセッションの写真は1枚もない。そもそもシュガー・ベイブがスタジオで演奏してる写真自体が皆無なんですよ。アーティスト写真は何枚かあるけど、ライブだってたまたま撮られたやつしかなくて。要するにマイナーだったんですよね。
「Johnny B. Goode」は絶対にやらなかった
──「SONGS」は達郎さんの音楽活動の原点と言える作品だと思うんですが、今改めて聴いてどのように感じますか?
うーん、これはいわゆるバンドのアルバムと言い切れないところが多々あるんだよね。僕とター坊(大貫妙子)は2人とも作家的な要素が強くて、あの頃こんなにいろんな曲調が入ったバンドのアルバムはかなり珍しかったと思う。ストリングスやブラスも入ってて、フィル・スペクター風なものもあるし。村松(邦男)くんのギターはLittle Featみたいだし。そういう意味では変なアルバムなんですよ。
──まだ歌謡曲全盛の時代ですよね。
当時の日本のロックはまだ生まれたばかりで、音楽性とか個性よりも盛り上がり、ノリ重視のものが多かった。特にライブの場ではね。なので、当時のロックバンドはしばしば、最後の盛り上がりにチャック・ベリーの「Johnny B. Goode」を演奏してた。でも僕はセッションでもなんでも「Johnny B. Goode」は一切歌ったことない。
──確かに達郎さんが「Johnny B. Goode」を演奏しているイメージはないですね。
別に歌詞は知ってるけど、そんなことやるためにバンドを始めたんじゃなかった。洋楽的なメロディに日本語を乗っける難しさをどう克服するかを必死に考えてるときに、昔のGSみたいに洋楽をただカバーすることなどに意味を感じなかった。例えばThe Beatlesも「Help!」あたりまでは全部歌えるけど、シュガー・ベイブをやってる頃はThe Beatlesは努めて聴かないようにしていた。聴いたら絶対影響されるから。とにかくオリジナリティがすべてだったので。そういう時代だったんですよ。
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- アルバム「SONGS -40th Anniversary Ultimate Edition-」 / 2015年8月5日発売 / [CD2枚組] 3024円 / Warner Music Japan / WPCL-12160~1
- アルバム「SONGS -40th Anniversary Ultimate Edition-」
- アナログ盤 [アナログ2枚組] 4320円 / NIAGARA / SRJL-1090~1
CD DISC 1(2015 Remaster)収録曲
- SHOW
- DOWN TOWN
- 蜃気楼の街
- 風の世界
- ためいきばかり
- いつも通り
- すてきなメロディー
- 今日はなんだか
- 雨は手のひらにいっぱい
- 過ぎ去りし日々“60’s Dream”
- SUGAR
- パレード(Live)(Bonus Track)
- こぬか雨(Live)(Bonus Track)
- 雨は手のひらにいっぱい(Live)(Bonus Track)
- WINDY LADY(Live)(Bonus Track)
- DOWN TOWN(Live)(Bonus Track)
- 愛は幻(Live)(Bonus Track)
- 今日はなんだか(Live)(Bonus Track)
CD DISC 2(2015 Remix)収録曲
- SHOW
- DOWN TOWN
- 蜃気楼の街
- 風の世界
- ためいきばかり
- いつも通り
- すてきなメロディー
- 今日はなんだか
- 雨は手のひらにいっぱい
- 過ぎ去りし日々“60’s Dream”
- SUGAR
- 今日はなんだか(Original Piano Version)(Bonus Track)
- DOWN TOWN(Live)(Bonus Track)
- 風の世界(Live)(Bonus Track)
- SHOW(Karaoke)(Bonus Track)
- DOWN TOWN(Karaoke)(Bonus Track)
- 蜃気楼の街(Karaoke)(Bonus Track)
- いつも通り(Karaoke)(Bonus Track)
- 雨は手のひらにいっぱい(Karaoke)(Bonus Track)
シュガー・ベイブ
山下達郎(Vo, G)を中心に1973年に結成されたロックバンド。1976年解散。解散時のメンバーは山下達郎、大貫妙子(Vo, Key)、村松邦男(G, Vo)、寺尾次郎(B)、上原裕(Dr)の5名。メジャー7thを多用したコード展開や美しいコーラスワークなど、当時としては珍しい音楽性でその後の日本のロック史に大きな影響を与えた。1975年4月に発表したアルバム「SONGS」は、現在に至るまで名盤として多くのファンに支持されており、2015年8月には多くのボーナストラックを加えた「SONGS -40th Anniversary Ultimate Edition-」としてリイシューされた。
山下達郎(ヤマシタタツロウ)
1953年東京出身の男性シンガーソングライター。1975年にシュガー・ベイブの中心人物として、シングル「DOWN TOWN」とアルバム「SONGS」にてデビュー。翌1976年のバンド解散を経て、アルバム「CIRCUS TOWN」でソロデビューを果たす。1980年に発表したアルバム「RIDE ON TIME」が大ヒットを記録し、以後日本を代表するアーティストとして数々の名作を発表。1982年には竹内まりやと結婚し、彼女のアルバムをプロデュースするほか、KinKi Kids「硝子の少年」など他アーティストへの楽曲提供も数多く手がけている。また、代表曲「クリスマス・イブ」は1987年から四半世紀にわたってオリコン年間チャート100位以内を記録。2011年7月に通算13枚目のオリジナルフルアルバム「Ray Of Hope」を発表し、2012年9月には初のオールタイムベストアルバム「OPUS ~ALL TIME BEST 1975-2012~」をリリースした。2015年3月には「第65回 芸術選奨文部科学大臣賞」の大衆芸能部門・大臣賞に選出。同年10月から2016年4月にかけて35都市64公演のホールツアーを実施する。