モーニング娘。の9代目リーダー・譜久村聖が、11月29日に神奈川・横浜アリーナで開催されるコンサート「モーニング娘。'23コンサートツアー秋『Neverending Shine Show』譜久村聖卒業スペシャル」をもってグループおよびハロー!プロジェクトを卒業する。CSテレ朝チャンネル1では、長きにわたりモーニング娘。を支え続けた彼女をフィーチャーした番組「モーニング娘。'23譜久村聖卒業特番~人生(モーニング娘。)って素晴らしい~」を11月24日に放送。加えて、彼女のモーニング娘。としてのラストステージとなる卒業コンサートの模様も生中継する。
2008年にハロプロエッグ(現ハロプロ研修生)に合格し、オーディションを経て2011年にモーニング娘。に加入した譜久村。2014年に史上最年少リーダーに就任し、2019年からはハロー!プロジェクト全体のリーダーも務めている。自身が所属するモーニング娘。にとどまらずハロー!プロジェクトの発展にも心血を注ぎ続けてきた彼女の卒業発表は、グループ内外のファンに大きな衝撃を与えた。譜久村の新たな門出を祝うべく、音楽ナタリーでは彼女の卒業を記念した特集を展開。本人へのインタビューを通じて得た、ハロー!プロジェクト、そしてモーニング娘。愛にあふれる真摯な言葉の数々を交えながら、15年にもおよぶ彼女のハロー!プロジェクトでの活躍の軌跡をたどる。
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取材・文 / 岸野恵加
「譜久村、降りといで」
「ハロプロを知らない人は人生の10割損してる」──これはかつて譜久村聖が残した名言である。彼女は3歳の頃から、筋金入りのハロー!プロジェクトの大ファンだった。
「モーニング娘。は、パワフルなところが大好きでした。ベリキュー(Berryz工房と℃-ute)からは、自分と同世代の女の子たちががんばっている姿を見て『私もがんばろう!』と勇気をもらっていましたね。ベリキューで最年少の℃-ute・萩原舞さんは、私の1歳上なんです。私が年齢制限で受けられなかった(ハロー!プロジェクト・キッズ)オーディションにチャレンジしている子たちを見て『すごいなあ』と思いながら、テレビの前で応援していました」
その後もハロー!プロジェクトに憧れ続けた譜久村は、ハロプロエッグのオーディションを受け、小学6年生だった2008年に見事合格。そこからは歌やダンスのレッスンを積み、デビューを目指す日々を送る。
2009年にはアニメ「しゅごキャラ!! どきっ」のオープニングテーマを担当するユニット・しゅごキャラエッグ!のメンバーに選抜されるなど、順調にキャリアを積んでいくが、2010年に受けたモーニング娘。9期メンバーオーディションでは3次審査で落選。中学2年生だった譜久村は「これがラストチャンスだ」と考えて臨んでいたため、かなりのショックを受けたそうだ。
しかし2011年1月2日に行われた「Hello! Project 2011 WINTER ~歓迎新鮮まつり~」のステージ上にて、モーニング娘。9期オーディションの合格者である鞘師里保、生田衣梨奈、鈴木香音の3人とともに、譜久村もメンバーとして加入することがつんく♂の口からサプライズ発表された。ハロプロエッグから初めてのモーニング娘。加入ということで場内には大きなざわめきが起こり、発表の際につんく♂が放ったフレーズ「譜久村、降りといで」とともに、ファンの間で伝説的なシーンとして語り継がれている。
「3次審査で落選してからは、魂が抜けた状態でした。直後に亀井(絵里)さん、ジュンジュンさん、リンリンさんの卒コンを観に行かせてもらったんですが、『自分はここに入れるチャンスを逃しちゃったんだな』と悲しくなって。でも当時のモーニング娘。は大人な雰囲気が強かったので、そりゃ私は入れないよな、と思ってもいました。なので、加入が発表された瞬間は、もう頭が真っ白で。頭の中では『香音ちゃんは入るだろうな』とか9期メンバーの予想をしてましたし(笑)、『エッグから受かるの?』と驚きました。その頃、つんく♂さんに『髪の毛、バッサリ切ったほうがええと思う』って言われて、髪を切ったばかりだったんですよ。私はロングが好きだから切りたくなかったんですけど、前向きな気持ちになれなくて、言われるがままに切って。加入発表された1月2日はまだヘアアレンジの仕方がわかってなかったので、くせっ毛をアメピンでグサグサ止めた状態が加入時の記録映像として残ってしまったんですよね(笑)。こうした細かい部分まで全部しっかり覚えているのは、一度落選したことが、まだ幼かった自分が味わう挫折としては大きかったからなのかな……と思っています」
先輩が次々に卒業し、史上最年少リーダーに
メンバーの卒業と加入を繰り返して進化し続けてきたモーニング娘。だが、とりわけ譜久村が加入してからの数年は、激動の時代が続く。9期加入のわずか8カ月後には10期メンバー4人が加入し、その翌日に6代目リーダーとしてグループを牽引した中核メンバーの高橋愛が卒業。続けて2012年に新垣里沙と光井愛佳が卒業すると、譜久村は加入後わずか1年4カ月にして、グループ内で3番目の年長者に。だがパフォーマンス面では、同期の鞘師が重要なパートを任されていく傍ら、ソロパートをなかなか獲得できず、存在感を発揮できない日々が続く。
2013年に田中れいなが卒業すると、譜久村は10期の飯窪春菜とともにサブリーダーに就任。リーダーの道重さゆみを支えようと尽力するも、当時は自分と飯窪を比較して、不甲斐なさに落ち込んでしまうことも多かったそうだ。一方でモーニング娘。は、この頃からフォーメーションダンスの完成度の高さ、EDMを取り入れた楽曲の新鮮さが話題となり、再ブレイク時代に突入。2013年1月に52ndシングル「Help me!!」で3年8カ月ぶりにオリコンウィークリーランキング1位を記録すると、そこから5作連続で首位を獲得する。
そんな再ブレイク期の立役者であり、まだあどけなさが残る後輩メンバーを1人で率いてきた道重も、2014年11月に卒業。卒業コンサートでは、パフォーマンス中に足がつってしまった道重がセンターステージへ移動できず1人メインステージに残っていたところ、状況を察知した譜久村が道重のもとへ駆け寄って感動を誘った。“フクムラダッシュ”として知られている名場面である。当時、道重は「後輩たちが頼もしくなってきたから、卒業を決意した」と話していたが、譜久村はそんな彼女に頼もしく成長した姿をしっかりと見せて、リーダーのタスキを受け取ったのだ。
こうして9代目リーダーに就任した譜久村。18歳でのリーダー就任はモーニング娘。史上最年少であり、1990年代生まれのリーダーの誕生は初であった。譜久村は在籍4年目にして、加入してわずか2カ月の12期を含む12人のメンバーを束ねる立場となる。前向きにグループをまとめようと奮闘するも、同世代ばかりの構成となったことで意見がぶつかることもあり、就任当初は必死でもがいていたそうだ。そんな中で、2015年12月には鞘師、2016年5月には鈴木と、苦楽を共にしてきた同期の2人が続けて卒業することに。譜久村は大きなショックを受ける。
※鞘師里保卒業セレモニーにて手紙を読む譜久村聖(07:18~)
「同期の鞘師里保ちゃんと鈴木香音ちゃんの卒業は、自分にとってすごく大きかったです。2人は個人としても目立っていたし、ユニゾンも支えてくれていたので、彼女たちが卒業してからは、私がそこをがんばらないと……と思いながら2、3年過ごしていました」
センターを務めることも多かった鞘師の担当パートを多く引き継ぐことになった譜久村は、リーダーとして奮闘しながら、パフォーマンス面でも重要な役割を担うことになる。「鞘師のよさや歌い方をそのまま引き継ぐんじゃなくて、私流にしていかないと……と思いながらやっていました」と語る通り、繊細さを内包しながらも芯のある、自身の歌声の個性と魅力をより磨き上げていく。
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