ネガティブな自分がこんなに寂しがってるとは思わなかった
──ラッパーはなんでも言いたいことを本音でバリバリ言いまくるというイメージもありますけど、そうでもないってことですか。
うーん、ラップやってる人が言いたいことをバリバリ言ってるかどうかっていうと、微妙なところじゃないですか。これはDISじゃないんですけど、「フリースタイルダンジョン」とか見てると感じる。最近のバトルブームとか、別に嫌いじゃない人を思いきりDISったりするじゃないですか。で、思い切りDISりあったあとで、それへの言及は一切なしに普通に話したりお酒飲んだりしてるのを見てると、たぶん言いたいことを正直に言ってるかどうかっていうと微妙……でも実際はいろんなものに左右されてる人が多い気がします。ラッパーだけじゃなくてね。
──昔の「朝まで生テレビ!」で、激しく意見が対立して怒鳴り合った人たちが終わったあと何事もなかったかのように和気あいあいと飲んでる、なんて話を聞いたことがあります。
ああ。でもあれは討論じゃないですか。それはわかります。討論することはありました。でも今回の(ぼくりりと交わしたの)はケンカですよ。はははは!(笑) 音楽にしても、「この曲はどうだった」とか意見を交わし合って反省することはあっても、単なる口ゲンカですからね。「バーカバーカ」「お前のほうがバーカ」みたいな(笑)。なかなか長いことしてなかった。もともとあまりそういうことするタイプじゃなかったし、平和主義者だから。
──ケンカしないことで、いろいろ自分の中に溜まっていくものがあったってこと?
ケンカしないのと、言いたいことを言わないのはまた別だと思うんですよ。言いたいことは言うけど言い方は選ぶし、言う順番も選ぶし、僕の場合思考から言葉になるから、感情から言葉を発することはなかった。強いて言えば、感情から言葉を発することはステージ上でずっとやっていたから、俺にとってそれはプラスのもの、ポジティブなエネルギーしかなかったんです。でも自分の中にネガティブな部分は存在しているわけで。だから、ネガティブなエネルギーを見つめてあげる機会がなかったのかもしれないですね。ネガティブな自分がこんなに寂しがってるとは思わなかった。ほったらかし続けていたから(笑)。なんか、ポジティブはよくてネガティブは悪いみたいな風潮があるじゃないですか。絶対そんなことないんだなって思いましたね。後ろ向きとか弱い自分みたいなのは、ポジティブな自分としっかり同じ年数を生きてきたのにあまり目もかけられないし、悪者にされがちだし、押さえ込まれがちだから……それを見つけてあげられたのが「JAPRISON」を作った自分への一番よかった“効能”です。
──自分の弱さを克服するとかじゃなく、認めてあげること。
そうそう。それだと思いました。まさに今おっしゃったように、弱さって「克服する」って言葉が付いて回るじゃないですか。「自分の強さを克服する」なんて言わないのに。弱さは「克服する」とか「打ち勝つ」とか「打ち消す」とか言われがちで。だからこそ無視されてきた自分の弱さに声をかけてあげるっていうかね。存在を普通に認めてあげることができたのは、自分にとって一番優しい行為だったし、それは他人への愛情に直結したと思います。
──聴いている人が「弱いのは、苦しんでるのは自分だけじゃないんだ」と思わせてくれるような。
うん、自分の弱さが悪いことだと思わないようになってくれるといいなと思います。
人に対して意識的であることのほうが、単純に優れていると思います
──ただヒップホップには強さこそが正義で勝ち負けにこだわるもの、という価値観もあります。ラップバトル番組も人気だし。
ヒップホップがそういうものかっていうと、僕は必ずしもそうは思わなくて。それよりむしろコンシャス(意識的)であることのほうが大事だと思うんです。意識的であることが社会に対するレベル(反抗、抗議)につながったりするんですけど。ロジックが自分の自殺願望について歌ったりとか、ドレイクもエミネムも自虐的なラップをしてたりする。だから決して俺が特別だとは思わない。でも人に対して意識的であることのほうが、単純に優れていると思います。そっちのほうが聴きたいしね。ちょっと前時代的な気がしますね、強さとかボースティングとかを売り物にするのは。
──でもトランプ(米大統領)以降は……。
まあトランプはそんな感じですね、確かに(笑)。「Make America Great Again」でしたっけ。ちょっと前時代のラッパー的だけど。それよりは人……リスナーもそうだしスタッフもそうだし、自分自身までちゃんと意識してあげるほうが大事かな。
──なるほど。
そういう点から言うと、今の日本の芸能界の音楽って意識的じゃなさすぎる。果たしてどれだけの人がリスナーの顔を想像してステージ上で笑顔を振りまいているか。特にアイドルシーンが活発化した弊害だと思うんですけど。人間が嘘の自分……作り物の自分を演じてステージに立って、それに何かしらの感情を投影して……という構造が成立しちゃってる。それがすごく……現代では危うい気がしますね。
──「作り物の自分」と言っても、観客がそれを求めているという面もありますよね。
そうですね。それが危険。ヤバい気がします。「どこに向かうのか?」みたいな話になるんですけど、聴衆が求めるものをプレゼントするのがアイドルの役割だとすると、それはサービス業ですよね。で、刹那的な快楽を与えるための、その瞬間に「最高!」って時間を与えるための最強のものと言えばドラッグじゃないですか。それはすごく危険ですよね。お互いが幸せになりづらいシステムができちゃってる気がします。
──今のアイドル産業のいびつなあり方が、受け手側の欲望を反映したものに過ぎないという意見もある一方で、でもお客様の喜ぶものを提供して、それを演者の喜びとするという、いわば古来からのエンタテイナー、芸能のあり方も確固として存在しますね。
うん、そうですね。ただ自己犠牲を孕みすぎてると思う。
──ああ、なるほど。
それが、安室(奈美恵)さんが引退するときの「芸能人じゃないほうが幸せ」という発言につながったのかな、という気がします。普通に生活してる人のほうが絶対幸せで、芸能人は幸せじゃない、という。この25年間芸能界の最前線を走っていた人の言う言葉だから、なおさら説得力があった。実際俺もそんなに短くない間(芸能界の)内側で見てるから、幸せそうな人がいかに少ないかというのは実感しますね。もちろんゼロじゃないですよ。でも今はSNSの時代ですからね。「作り物の自分」と「本当の自分」を切り離せない。以前だったら、客の前に立つ何時間だけ作り物の自分を演じて、その時間が戻ったら本名に戻る、みたいな切り替えが成り立っていたと思うんです。でも今はSNSがあるから、24時間その状態を周りから求められる。心身が崩壊してもおかしくないと思うし、崩壊するようにできている、と思いますね。
──日高さんもTwitterとか、ガンガン利用してますよね。
そうですね。ただ俺はそういった場で「いかに自分であるか」ということを大事にしてます。意識的にそうしないとヤバいです。それこそサービス業のためにSNSをやるようになっちゃったら、簡単に心が死んでしまうと思います。で、何も感じないように心を殺したら、たぶんモノなんて書けなくなっちゃうし。「What a Wonderful World!!」の「そのココロ一つ売れば何も問題ないよ」とか、「Shed Luster」の「愛される為に切り売りする心とカラダ 砂糖にアルコール 美味いものは体に悪いからな」とか、そういうことを今回のアルバムでもちょこちょこ言ってるけど、ほんとそうなんです。「こうあるべき」みたいな既存の価値観やシステムや決まり事に自分を適応させちゃえばラクなんですけど、PRISONIZE(監獄化)されてるな、という気がしますね。人間としての幸せは絶対そこにはない。
──なるほど。自分が人としてあり続けるために自分の弱さを認めて、苦しいところもさらけ出すわけですね。
俺はリスナーのことをすごくリスペクトしてるんです。俺の音楽を聴くために時間とお金を費やして、ライブもすごく時間をかけて来てくれる。ありがたいし感謝してるのは当然なんですけど、リスペクトしてるんです、自分を見つけてくれたことに対して。そういうリスナーの人たちに接する自分が嘘でニセモノで、人間じゃない自分だったら、こんなに失礼なことはない。人のままちゃんと接したいから、自分は人間であることを辞めたくないと思って。
──それはすごく正論だけど、この世界でそうあり続けるのは難しいでしょうね。
むちゃくちゃ難しいですよ。人でないほうが喜ぶ人、多いと思うし。よくそういう会話になるんですよ。売れる売れないを考えるならば、早めに人である気持ちは捨てたほうがいい、みたいな(笑)。
──そんなこと言われるんですか。
そんな話になりますよ。それが一番手っ取り早い、日本の芸能界での受け入れられ方。でもそれで幸せなはずがない。キャラクターを大きく作ってやる形の芸能ビジネスの危うさみたいものは……アメリカのいいとこ悪いとこって両方あると思いますけど、素晴らしいと思うのは、人のまま生きることを尊重してるってことですよね、リスナーもアーティストもお互いに。みんながみんな人間であればいいと思いますね。
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「人間である」ってだけ